国内総生産と比較してGDH(国内総幸福度)を増やすべきと言う新しい見方がいつの頃からか現れてきている。
ブータンがその幸福度においては世界トップということらしいが、その尺度をどこにおくかによって単純に結論づけるのは難しいように思われる。
北朝鮮であなたは幸せですか、という質問をすれば皮肉なことに100%幸せですという回答が帰ってくるのかも知れない。
幸福かどうかは、質問してその回答率で決められるような単純な問題ではない。
国民のレベルが国によって大いに異なる。
経済レベル、文化レベル、教育レベル、道徳レベル、、、、様々なレベルが違うので幸せの感じ方も違ってくる。
個人的には大きく分けて、内外二つの方向に分けて考えるべきと思っている。
精神レベルと物質レベル。
物質レベルは経済的豊かさに直結する。
物質的に見れば、幸福とは経済的にリッチであり、必要なときに必要なものが買える、或いは必要なものを持っている、使えるというようなことになる。
コレは生活レベルの違いによって、色々とニュアンスが違ってくる。
基本的には、テクノロジーの進歩によって物資的幸福の度合いは高まってくる。
もう一つは精神レベル。
物質レベルより、より重要で主体的なことは論ずるまでもない。
精神的幸福も、色々なレベルに分かれる。
仏教では十界論というのがある。
地獄、餓鬼、畜生、修羅、人、天、声聞、縁覚、菩薩、仏、という十界だ。
宗派によって解釈が異なるのでややっこしいが、心のレベルと単純に考えるとそれだけでも色々な精神的レベルが存在するのが解る。
更にその十界の中にまたそれぞれ十界があって、十界互具という考えがある。
一念三千とも言い、とにかく色々なレベルがあるのは想像に難くない。
色々な哲学、宗教、心理学によっても心の成長段階も色々な考え方があり、それぞれの心のレベルによって幸福の感じ方が違ってくる。
こう考えると万人にとっての精神的幸福とは何か?
考えるだけでもややっこしいことになりそうでもある。
人間とは何か?
その問いに答えを出せずして、精神的幸福の最終地点を予測することは困難ではないか。
ブータンがGDH世界一というのは、本質的にはチベット仏教という共通の価値観によって政治経済が動いていることによる所が大きいと見ている。
今後日本が幸福大国を目指すとすれば、天皇制の議論も含めて戦後民主主義教育の問題を根底から問い直す必要があるように思う。