2013年3月11日 | 国際支援団体•認定NPO法人 Future Code

国際支援団体•認定NPO法人 Future Code

国際医療支援団体であり、医療の届かない場所に医療を届ける活動を基本として教育、貧困、公衆衛生など様々な途上国の問題に対し、日本人として何ができるのかを考え、行動を続けています。支援事業は農業/食糧支援、ソーシャルビジネスによる雇用創出等、多岐にわたります。

今回の記事はFuture Codeの活動報告ではなく、私、大類の個人的な2013年3月11日に対するものです。

2年前、私は他団体(AMDA)で緊急医療活動に志願し、宮城県南三陸町 志津川地区に派遣され、志津川小学校の仮設診療所に従事しました。

今回、私は当時現地で共に診療に当たった医師にお誘いいただき、個人的に二人で南三陸へ向かい、当時に共に働いた、元志津川病院のスタッフの方々と再会することになりました。この場所は、私にとって、Future Codeの活動を始めることの原点ともいえる場所でもありました。

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             現在の南三陸町


もちろん私も今回が2年ぶりに訪れたというわけではなく、昨年もFuture Codeの活動としても定期的に南三陸町に足を運び、「みらいはゆめいろ」展でハイチの孤児院や南三陸の子どもたちに絵を描いてもらい、展覧会を行ってきました。
昨年末はその全国からご寄付いただいたものを半額ずつハイチ事業と、南三陸町の子どもたちの教育資金に換えさせていただきました。


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             南三陸町から頂いた感謝状



しかし当時の多くの方々とはお会いする機会が今までありませんでした。

復興期に入り、継続的に関わっていくためにも、ただ私たちが何をやりたいのかということではなく、どのような支援の形がもっとも現状に必要であるのか、考え続けなければなりません。


震災の記憶を忘れたという人はいませんが、特に私のような実際の被災者でない者にとっては、特に時間は経過していきます。
しかしながら、2年という時間が経過した今だからこそ、というべきか、改めて足を運び思う事もあります。
あのとき私自身が強く感じたこと、今だからこそ語り合えること、今も終わらない問題、亡くなった方への想い、たくさんの気持ちがそこにはありました。
2年前に私がこの現場で働く機会を与えていただいたこと、そして2年後の今日にまたこの場に呼んでいただけること。多くの方に感謝しています。

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            当時共に仮設診療所で働いた南三陸町の医療スタッフの方々と



あの現場でお互いの背中を見ながら必死に働き、お互いが築いた「絆」は決して色あせるものではないのだと、改めて確認し合えた時間でもありました。
今では私はハイチやバングラデシュなど海外で現地の人々と共にプロジェクトを進めていますが、この「絆」はもちろん日本人だけでなく、世界中の人々と共有できる変わらない感情であるとも感じます。

今後、私たちがこの震災を通じて経験したことを踏まえ、また私たち自身も日本だけでなく、世界の現実を学び、これからも考え続けることをやめず、そして行動していきたいと思います。

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また今回、興味深い出会いがありましたので、紹介させていただきます。

たまたま南三陸の復興市である「さんさん商店街」の少し海側にある「さんさカフェ」というカフェに立ち寄ったのですが、そこにあったのはなんとハイチから取り寄せているハイチコーヒー「カフェ・クレオール」。

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ハイチはクオリティの高いコーヒーが有名ですが、なかなか日本では出会えません。

南三陸町という場所でまさかFuture Codeでプロジェクトを行っているハイチの、ハイチコーヒーに出会えるとは思いませんでした。
なんでも志津川高校で震災後に炊き出しをしていたメンバーでカフェをしているのだそうです。

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是非ともこれからも復興への取り組みの形は違いますが、お互いがんばりましょうとエールを送りあいました。
もし皆様が南三陸町にお立ち寄りの際には、飲んでみてください。

私は個人的にですが、少なからずこんなご縁も感じた日でもありました。