このプロジェクトを始めるきっかけとなったのは、ハイチ修道院のシスターであり、また医師でもあるシスター須藤昭子先生です。
「ハイチのマザーテレサ」として親しまれている須藤先生は30年以上前にハイチに来られ、現地で結核やハンセン病はじめ、その他の感染症について取り組み、人々の命を救ってこられた方です。

須藤先生は、ハイチに渡る前、日本では私が所属する兵庫医大の前身の病院で勤務されていたそうで、またご親族も多く兵庫医科大学を卒業されているとのこと。
話も盛り上がる中、様々なハイチでの活動の経験を語ってくださいました。
また私自身、須藤先生の人生をかけたこのハイチに対する想いに、深く感銘を受けました。
ずいぶんと昔の話ではあるそうですが、当時もともと須藤先生の住んでいる修道院は、行き場さえなくしてしまった結核患者や、重病患者を受け入れ、その最後の死をみとる場所でした。
そのため、この施設には助けを求めに来るハイチ人がたくさん押し寄せています。
そして、この修道院は結核病棟として運営されていたのですが、ハイチ地震の際に病院は全壊しており、それ以後はテントでの重症結核患者の入院をはじめ、また毎朝並ぶ患者たちを診療し、なんとか地域の医療を支えている、という現状でした。

ここでの診療は、医療者として非常に悔しいものです。患者たちの状態が悪いということは診断できても、テントでの治療ではこれ以上の手立てがない現実があるからです。
加えて、せっかく医師免許を取得しても、病院は倒壊し、医療システムも機能が不十分であるハイチでは医師は十分な医療を経験する機会がないのです。
そこで私は須藤先生や、日本大使館と話し合い、なにか役立てることを模索しました。
この話し合いの中で、日本政府の支援により建設予定の結核療養所で働く医師や医療従事者等が日本で医学教育の機会を受ける機会を作ることはできないだろうか?というものでありました。
そこで生まれたプロジェクトこそ、「ハイチ呼吸器疾患に対する人材育成プロジェクト」です。
今回招聘する医師は、須藤先生からの推薦があった、Dr グィー・ジャッセンとDr パスカルです。
Dr グィー・ジャッセンは4年間テントでの医療を続け、患者さんやスタッフからの信頼も厚く、須藤先生を助けてこられた方です。彼は日本で勉強の機会をもらえたなら、その知識を皆に伝え、今後、現地の医療に生かしたいと強く願っています。
そしてDr パスカルは、両親を結核で亡くし、須藤先生が孤児として引き取り、育て、医師にした方です。彼女は、親代わりである須藤先生のこの地で活動する想いを深く知っており、なぜ自分がこのプロジェクトに推薦されたのかを理解しています。
彼らであれば、日本で学んだことを生かし、このハイチの医療に今後ながく貢献できるでしょう。

1番左:Dr グィー・ジャッセン 右から2番目:Drパスカル
私は、このときに、この二人の医師に医学教育の現場を提供し、須藤先生の想いを紡いでハイチの医療に貢献することを約束しました。
日本政府が病院を建設し、そのスタッフを私たちが育てる。その他、日本のPKO部隊や、多くの日本人関係者がこの病院再建にむけて取り組んでおり、まさに、「オールジャパン」で、ハイチの震災復興と医療再建に尽力しています。
このプロジェクト、同じ被災国である日本の想いを乗せて、がんばりたいと思います。
大類 隼人