日本人の力 | 国際支援団体•認定NPO法人 Future Code

国際支援団体•認定NPO法人 Future Code

国際医療支援団体であり、医療の届かない場所に医療を届ける活動を基本として教育、貧困、公衆衛生など様々な途上国の問題に対し、日本人として何ができるのかを考え、行動を続けています。支援事業は農業/食糧支援、ソーシャルビジネスによる雇用創出等、多岐にわたります。

こういう海外での途上国支援などの活動をしていると割と聞かれる事のひとつには「日本と海外なら、海外の方が好きなんですか?」というのがある。
もちろんこの質問は悪意があるわけではなく、少し不思議に思ったか、もしくは少し私の動機に興味を持ってくれたからのものだろう。

答えから言えば、私は日本のこの文化も言葉もわりと、というか、ものすごく好きで、他の国や文化も好きだし勉強もするが、自分の中ではおそらくやはり一番は日本だろうと思っている。もちろん日本人だからではあるだろうが。

そもそも高校から剣道を始めたのも、日本の剣の文化をもっと知りたいし体験したい、という想いからだったし、いろいろと日本の文化や精神論で気になる事があれば、それなりに追求して調べたりもする。



そのまま剣道を継続し、大学生の時に3段まで取得できたのは、そういった文化へのこだわりがあったからでもあるだろう。(今は怪我するかもしれないので、たまにしかしないことにしている)

今回は別に剣道について語りたいわけでなく、日本の文化だからこそ、途上国から見ればかなりの異文化だが、それでも現地から評価をいただき、固い信頼を得る事ができると言う事実の話だ。



どの国に行っても割と日本人という民族は目立ちはせずとも好感度もよく、現地の中で溶け込んでいる姿もあるし、またこの好感度というものも、結局は先人たちが築いてきた「日本人」のイメージであると、信頼であると、そういうところを現地でもよく感じる。

もちろん一番重要なところは、相互理解と寛容があってこそではあるのだが、この点においては理解よりも何よりも、まず寛容については世界中から見ても日本人はいい意味で恐ろしく寛容に思う。

もちろんこれは神道から仏教の融合と共存という歴史にもあるように(ここでは戦前戦後の変化については触れないでおく)、ある程度は物事を理解していなくとも、寛容さがある文化に思う。

Future Codeの活動に関しても、我々の「活動方針と理念」として掲げている4項目の最後の一つに、「日本人としてのアイデンティティーを持って世界で活動する」としている。




これは身近なスタッフでさえもあまり触れてこないもので(話が長くなると思ってか苦笑)、確かに私が無理やり他の3つの理念の後にねじ込んだものであるが、いまいち日本人のアイデンティティーという言葉自体が明確ではないことはわかっている。
特に宗教と規範が一体化した海外から見ればより一層複雑なもので、信じる宗教が明確でなく、また明確であってもその内容は本人もあまり知らないこともあったり、と、ある意味どういった基準や規範で社会が行動しているのかが海外の基準では明示しにくい。

しかし日本に住んでいれば当然わかるのだが、日本人には一定の規範があり、社会は動いている。

「和を以て貴しとなす」
あまりもう説明する必要のない言葉だろうが、これは私が思うには、現代としては宗教的な概念と言い切れるものではなく、どちらかと言えば風習のようなもので形成されている。
これほど自分の行動の前に他人への影響を考えて動く社会も珍しいし、信頼を裏切らない。
また逆に言えば、和を"無意味に、もしくは責任を持たず”乱す人間は受け入れられないという基準が確かに社会にある。


さらには、私が剣道、剣術の世界を経験してきたから特に思うのかもしれないが、物事に命を懸けて取り組み、解決を目指し、そして精神を深めていくという歴史と文化がある。

「守破離(しゅはり)」という言葉がある。
剣士の一生を表す言葉であり、またおそらく剣道だけではなく、「道」のつくものには共通する概念で、師の教えを守り、次第に破り、最後に離れる、というものである。



物事に真摯に取り組んだ結果の創造性を歓迎し、多様性を認めるものでもあり、それが精神ともなる。

これらの要素は相反することは本来はなく、まさに今の、そしてこれからの世界でも必要とされるものではないだろうか。

そういう文化こそが日本人のアイデンティティーと我々自身が認識した上で、他の文化や宗教の中でもしっかりと誇りを持ち、仕事を、活動を、相互理解をすることが未来に来れば、これからも多くの可能性があるのではないだろうか。
もちろん我々は活動を通じ、先人たちがどれほど現地の文化を踏まえ、すでに「日本人」として素晴らしい信頼を得てきたことを知っている。

その先人たちが創ってきた信頼を裏切らず、私もまた、「日本人」として途上国の現場での活動を続けていきたい。

個人的に一人の日本人として思うには、これほど頼れるアイデンティティーもない。