幸福なあり方、不幸なあり方 | 非二元|自分を見失わず幸福に生きる「技と知」

非二元|自分を見失わず幸福に生きる「技と知」

より多くのお金を求めて働く貨幣経済の中で、自分らしく輝きながら、他者と共に幸福に生きる「技と知」を、ライフコーチの矢沢大輔が提案。

う私たちが日々経験する時間の質(幸福か不幸か)は、何によって決まるのか?


それは、世界と自分に対して自らが取っている態度(あり方)の違いによって決まる。


たとえば、家族や友人と一緒に食事をしながら会話している時、自分が取っている態度により、満たされた時間を体験できるか、それとは異なる質の時間を体験できるかが決まる。


つまり、自分のあり方(態度)次第で、私たち人間は、幸福にも不幸にもなり得る自由を持っている。


しかし、たいていの人は、この自由があることを知らない。


知らないがゆえに、幸福を感じられない態度を自ら取ったまま、同時に幸福を自ら作りだそうとする自己矛盾に陥ってしまう。


そして、この自己矛盾は、自己のあり方(態度)が変わるまで続く。


幸福は作ることができない。


しかし、この世界には、まるでマニュアル通りにあることを実行すれば、幸福が作れるかのように訴えるメッセージであふれている。


そして、それに従って幸福になろうとしたなら、その時、あなたが取っている態度は、あいかわらず幸福な時間を感じられない態度を取り続けたまま、ただ行動を変えることで手に入る範囲の「幸福」という名で呼ばれているものを次々に手に入れようとする幸福のパロディを演じ続けることになる。


幸福は、何らかの行為の結果としてもたらされる意識の対象ではない。


それは、あなたが、本来のあなたとして有る時、いとも容易に体験できる時間であり、あなたがこれとは異なるあり方(態度)を取っていたなら、あなたは自らの手で幸福を感じられないあり方へと自らの手で自らを追い込み、苦しむことになる。


自分が体験できる時間の質は、自分が取っている態度によって決まる。


もし、あなたが、目の前の相手に対して「私はいない」と発話したなら、それは私たち人間がたとえ相手の名前を知らなくても、「私ーあなた」という人称概念を用いて互いに意思疎通をはかってきた日常言語(母語)における「私」という語の使用(言語規則)に反する非日常的で理解不能な発言であり、目の前の相手との意思疎通を拒む態度を自ら取っていることになる。


私たち人間は、4歳になる頃、「私ーあなた」のあり方の違いをはじめて認識できるようになるが、3歳くらいの幼児はまだこの違いを認識できないので、かくれんぼなどの遊びができない。


そして、私とあなたの違いを認識できるようになった幼児は、文法を学ばずとも、様々な人たちとの会話(実践)を通して、一人称、二人称、三人称を使い分けながら、母語を使って人と語り合える能力を身につけ、自分のものにしてきた。


それゆえ、私たちが日常の会話の中で当たり前に使いこなしている「私ーあなた」の人称概念から「私」という概念のみを切り離し、その存在を否定する発話行為は、私たちが既に自分のものにしてきた母語の言語規則を自己破壊するような行為であるため、そのような態度を取っている限り、幸福とは異なる種類(質)の時間を自ら体験し続けることになる。


【お知らせ】
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