私たちが日々経験する時間の質(幸福か不幸か)は、何によって決まるのか?
それは、世界と自分に対して自らが取っている態度(あり方)の違いによって決まる。
たとえば、家族や友人と一緒に食事をしながら会話している時、自分が取っている態度により、満たされた時間を体験できるか、それとは異なる質の時間を体験できるかが決まる。
つまり、自分のあり方(態度)次第で、私たち人間は、幸福にも不幸にもなり得る自由を持っている。
しかし、たいていの人は、この自由があることを知らない。
知らないがゆえに、幸福を感じられない態度を自ら取ったまま、同時に幸福を自ら作りだそうとする自己矛盾に陥ってしまう。
そして、この自己矛盾は、自己のあり方(態度)が変わるまで続く。
幸福は作ることができない。
しかし、この世界には、まるでマニュアル通りにあることを実行すれば、幸福が作れるかのように訴えるメッセージであふれている。
そして、それに従って幸福になろうとしたなら、その時、あなたが取っている態度は、あいかわらず幸福な時間を感じられない態度を取り続けたまま、ただ行動を変えることで手に入る範囲の「幸福」という名で世間的に呼ばれているものを、次々に手に入れる幸福のパロディを演じ続けることになる。
幸福は、何らかの行為の結果としてもたらされる意識の対象ではない。
それは、あなたが、本来のあなたとして有る時、いとも容易に体験できる時間であり、あなたがこれとは異なるあり方(態度)を取っていたなら、あなたは自らの手で幸福を感じられないあり方へと自らの手で自らを追い込み、苦しむことになる。
自分が体験できる時間の質は、自分が取っている態度によって決まる。
もし、あなたが、誰かと会話している時、「私なんて無いから…」などと発言し、相手の思考を混乱に陥れたなら、あなたが相手に対して取っているその態度は、私たちが同じ母語を使って育んできた「私ーあなた」という人称的で人間的な関係の否定であり、このような態度をあなたが取り続けたなら、言葉を持つ人間の本来的なあり方は失われ、幸福とは異なる種類(質)の時間を自ら体験し続けることになる。
