「気づき」について語る人は、世の中にたくさんいます。
同じ「気づき」という言葉を使っていても、それが何を意味しているかについては、天と地ほどの違いがあります。
気づきは、時間をかけて磨けるものでしょうか?
気づきは、徐々に、何らかの努力によって育成できるものでしょうか?
もし、そういったものであるなら、それは「気づき」ではなく、特定の何かにエネルギーを注ぎこむ「精神集中」です。
集中力は、時間をかけて訓練すれば、高めることができます。
しかし、「気づき」は、努力によって高められる何かではありません。
たとえば、「気づき」があるなら、そこに「怒り」はありません。
怒りの感情は、気づきの光にさらされることで、消えてなくなるからです。
しかし、「気づき」と「集中」を混同して(「精神集中」を「気づきだ」と思い込んだまま)、怒りに意識の焦点をあてると、怒りが消えるどころか、怒りが強調されてしまいます。
このようなトラップにかからないようにするには、「気づき」と「精神集中」の違いを明確に理解する必要があります。
そして、この理解は、もちろん「言語的な理解」ではなく、事実を私見なく(歪みなく)見ることから生じる理解であり、それが「知恵」を備えた慈悲心です。
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