非二元と虚無感 | 非二元|自分を見失わず幸福に生きる「技と知」

非二元|自分を見失わず幸福に生きる「技と知」

より多くのお金を求めて働く貨幣経済の中で、自分らしく輝きながら、他者と共に幸福に生きる「技と知」を、ライフコーチの矢沢大輔が提案。

「非二元(ノンデュアリティ)」という言葉を知ってから、虚無感に陥った。

という話しをプライベートセッション中に聞くことが増えてきました。

虚無感に陥った人の多くは、「私はいない」という言葉を誰かから聞いて、それが非二元(ノンデュアリティ )の「教義」であるように思い込み(もしくはそう語る人物を教祖のように崇め)、その意味を理解しようとしたり、それを実現しようと試みたりしたものの、何年経っても生きづらさから解放されず、その帰結として虚無感に陥ってしまっているようです。
 
そもそも、私たち人間は、自分のことを「わたし」と呼び、目の前にいる相手のことを「あなた」と呼び合ってお互いに言葉を交わしあい、人間同士の関係を良好に保ちながら生きている生き物です。

たとえ目の前にいる相手の名前を知らなくても、私たちはお互いに会釈しあったり、言葉を交わす機会が訪れれば、自分のことを「わたし」と言い、相手のことを「あなた」と呼び合って、いつでも対話しあえる関係性の中で生きています。

また、あなたが自分のことを、時に「わたし」と言ったり、「僕」「俺」と言ったり、「わたくし」と言ったり、自分の子供の前では「パパはね」「ママはね」と言ったりして一人称を使い分けているのは、何より私たち日本人が、相手との関係性を重んじて言葉を使い分け、良好な関係を築こうとする、他の言語にはあまり例を見ない日本語特有の文化の中で生きてきたからに他なりません。

目の前の相手に向かっても、「あなた」という言葉を直接使わずとも、「すみません」呼べかければ、「わたしのことですか」と相手が応じてくれるのも、私たちが既に「わたしーあなた」と呼びかけ合い、同じ日本語を使って言葉を交わし合える関係の中で生きている、ということです。

つまり、私たち人間が現に生きているのは、「わたし」あっての「あなた」であり、「あなた」あっての「わたし」であり、そのどちらか一方が欠けても、「わたし」も「あなた」も存在しえない世界で生きている、ということです。

ですから、私たちが日常の会話の中で使っている「わたし」という言葉の言語使用を否定し、「私はいない」と言っているなら、それは私たちが生きているこの人間的世界(人称的世界)の否定であり、「わたしーあなた」の関係性の世界で現に生きづらさを感じて悩んでいる人に対して、決まり文句のように「私はいない」と何度繰り返した告げたところで、それは冷たく響くだけで、なんの救いにもなりません。

その人がなぜ、この世界の中で生きづらさを感じているかに耳を傾け、相手の聞くあり、行き詰まっている人に対して、ような教義を信じてどれだけ実践してみたところで、私たちはどこにも至ることはできず、そこに解放もなければ、幸福も自由もありません。


お知らせ
自分を見失わず、他の人と共に良好な関係を築いて幸福に生きたい方は、矢沢大輔のノンデュアリティ・プライベートセッションをお受けください。