非二元の瞑想は、行うものではない | 非二元|自分を見失わず幸福に生きる「技と知」

非二元|自分を見失わず幸福に生きる「技と知」

より多くのお金を求めて働く貨幣経済の中で、自分らしく輝きながら、他者と共に幸福に生きる「技と知」を、ライフコーチの矢沢大輔が提案。

昨日は、「非二元(ノンデュアリティ)の本を読んでも、分離感が消えない」という女性とプライベートセッションをやりました。

 
待ち合わせ場所からカフェまで歩く最中、彼女は歩行しながら瞑想を行う仏教の「ヴィパッサナー瞑想」をやったことがあると教えてくれました。
 
非二元の瞑想は、「足の動き」などの対象に意識を向けて「行う」それらの瞑想とは異なり、その行為や努力以前にあるもの、自分とはどのような存在であるかにただ気づいていることなので、セッションでは、それを体験してもらいました。
 
セッションを行う前まで、彼女は、自分とは体であり、思考であると思っていました。
また、時間というものが存在していて、その経過とともに、自分は変わり、いつしか消えゆくものだと、彼女は信じていました。
 
しかし、セッションが進むにつれ、体も思考も自分ではないこと、時間は存在せず、過去も未来も一瞬の今もなく、「永遠なる今」だけがあり、自分がいつか滅びるような体でもなければ、心でもないことに、彼女は気づいていきました。
 
そして、セッションが終わって、カフェから駅まで歩く間も、非二元の瞑想をそのまま続け、自分が途切れることのない永遠の存在であることを確かめてもらい、非二元の喜びを分かち合いました。
 
お知らせ
途切れることのない永遠の今こそ、私そのものであり、私はそれ以外の何かになることはできません。
このことを自分で確かめてみたい方は、非二元のプライベートセッションをお受けください。