宗教やスピリチュアルは、「マインド」のためにあります。
マインドは、時間、空間、因果関係のある世界にあるものですから、「自分は、死んだらどうなるのか?」とか、「私は何のために生まれてきたのか?」とか、常に「なぜ?なぜ?」と考えてばかりいます。
その意味や理由や目的が見つかるまで、マインドは落ち着けません。
このマインドの「なぜ?」に答えてきたのが、宗教であり、スピリチュアルです。
マインドが納得できるような壮大な「ストーリー」を語れなければ、その宗教、スピリチュアルは存続できません。
宗教、スピリチュアルとは、マインドを癒し、喜ばせるためのものであり、そのためには、話をどこまでデコレーションしてエンターテイメント性を出せるかが重要な鍵になります。
なぜなら、マインドは、ラ・ラ・ランド(おとぎの国)の住人であり、自分を喜ばせてくれるエンターテイメント性に富んだストーリーを好むからです。
マインドは、自分にとってしっくりくるストーリーが見つかると、それに魅了され、一時的に疑問がなくなるので、しばらく落ち着きます。
どのストーリー(宗教)に魅了されるかは、人によって異なります。
また、あるストーリーに魅了されても、それ以上に魅惑的な別のストーリー(例えば、引き寄せの法則)が現れれば、たちまちマインドはそれに飛びつきます。
そして、信じているストーリーがお互いに異なれば、どちらが正しいかという対立や戦争まで起きます。
でも、どんなにもっともらしく思えるストーリーも、それはマインドがマインドそのものを満たすためにつくりだしたストーリーに過ぎません。
宗教やスピリチュアルは、マインドを満たすためのストーリーを生み出すために言葉を継ぎ足し、どんどん複雑化していきます。
これに対して、非二元は、マインドのストーリーによって覆い隠されてしまった「存在」のシンプルさをあらわにするものです。
マインドは、自らを満たしてくれるストーリーばかり追いかけていますから、マインドには、自然に動いている生のシンプルさがわかりません。
現れ出てきている生には、時間の前後関係もなければ、因果関係もストーリー性もないからです。
生は、マインドが知りたがっているような意味も理由も目的も必要とせず、自由に動いています。
自由に変化する生が、ただあるだけ。
このシンプルさを指摘しているのが、非二元です。
マインドは、意味や理由や目的を求めて、なぜ、なぜ?を繰り返し、自分の納得のいくストーリーを求めて、どんどん複雑性を増していきますが、非二元の目覚めが起きたなら、答えを知りたがっていた個人はいなくなり、リアルに存在しているワンネスの生の動きだけがシンプルに見えるようになります。
お知らせ
非二元の感覚を直接感じてみたい方は、プライベートセッションをお受けください。