なぜ、これを明白にする必要があるかというと、深刻な問題を抱えて苦しんでいる人は、「物語」を現実と思い込み、「現実」を見失っているからだ。
言葉で綴られた物語の中には、「私と他人」がいて、「味方と敵」「国民と移民」「勝ちと負け」「善と悪」「成長と衰退」「増加と減少」「豊富と欠乏」の二元性が存在する。
でも、それはあくまで、二元性の言葉によって創作されたフィクションにすぎない。
物語の中では「欠乏」が存在することになっているが、ちゃんと「現実」を見てみると、「欠乏」はどこにも見当たらない。
先週開催したノンデュアリティのフォローアップ講座でも、このことを確認できるよう、現実に見えているものを使って私がガイドしていくと、誰もが欠乏した生(現実)を一度も見たことがないことに気づけるようになる。
それでも、いまだに多くの人が、物語を現実だと思い込んだままなので、多くの人が「欠乏」が現実にあるものだと思い、おびえながら生きている。
まるで、いもしないオバケが本当に存在していると思い込み、夜、怖くて一人でトイレに行けなくなった子供のように、多くの人がオバケ(欠乏)を信じておびえてしまっている。
でも、それはホラー映画を見て、おびえているようなもので、その映画の上映が終われば、現実が見えるようになる。
「現実」には、不足も欠乏もない。
ここには、仕事もお金も、食べ物も、飲み物も、全て自然に現れ出てくる。
そして、欠乏、不足の物語も、時々、上映される。
でも、それは物語に過ぎず、「現実」ではない。