クリスマスが近づいてきたので、今日は、キリスト教寄りの話。
創世記の「エデンの園」にからめて非二元(ノンデュアリティ)について語ってみる。
アダムとイヴは、楽園で暮らしていた。
そこには、「知恵の木」が植えられていて、アダムとイヴはその実(禁断の果実)を食べてしまった。
そして楽園から追放され、別々の人間になった。
これが有名な失楽園の話。
なぜ、知恵の木の実が、禁断の果実なのか?
なぜ、知恵がつくと、楽園から追放されるのか?
考えたことは、あるだろうか?
ここで言われている知恵とは、言葉のことだ。
言葉は、世界を分断する。
「私」と「他人」
「男」と「女」
「人間」と「動物」
「動物」と「植物」
「植物」と「土」
「土」と「水」
言葉は、世界が異なるものの集合でできているように思わせてしまう。
言葉は世界を複数に切り裂く。
でも、実際に分かれて存在しているものなど、何もない。
ワンネス(一元性)の生があるだけだ。
この生は、分かれた個別の生の集合ではない。
全体から切り離された個別の(部分的な)生など、初めから存在していない。
あるのは、一つの生。
全体性だけ。
全体性に、不足はない。
不足があったら、「全体」とは言えない。
しかし、言葉で綴られた概念の世界を信じれば、たちまち二元性(分離)の迷宮に落ちる。
全体性が砕かれ、不足や欠乏、問題だらけの世界で生きているかのように思える。(これが失楽園)
でも、それは言葉が表す二元性の世界を信じたからであって、現実に存在している楽園は失われてはいない。
禁断の果実である言葉を通さずに、現実を見れば、楽園は目の前で輝き続けている。
お知らせ
年末年始の期間は、大阪に滞在していますので、非二元の対面セッションは、大阪の梅田で行います。
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