なぜ、私は生きているのか?
この問いほど、人をドツボにハメて苦しめる問いはない。
何のために生きているのか?
という問いは、自分の存在意義を問うている。
調べることなく、自分がいると思いこんでいるから、「なんでいるんだ?」という問いが出てきてしまう。
人は、自分が存在することを疑わない。
哲学者でさえ、ここを見過ごす。
そして、矛盾した問いのドツボにハマり、深刻に生きることになる。
自分が存在しているという前提が崩れれば、「なぜ、生きているのか?」という問いは成立しなくなる。
無用になる。
自分がいないことがはっきりすれば、この問いは出なくなる。
逆に言えば、自分がいると思い込んでいる限り、この問いの意味を一生考え、悩まされながら、深刻に生きることになる。
哲学者のように、ありもしないものの答えを求めて考え続けることになる。
なぜ、私は生きているのか?
を問う前に、その前提になっている私が本当に存在しているか?をちゃんと確かめてみればいい。
私はいないことがわかれば、無用な問いもろとも深刻さは消える。
無用な思考のループから解放される。
存在しているのは、生。
その生の自由さを条件付けたり、意味づけできる個人など、どこにもいない。
お知らせ
私が存在していないことを確かめたい方は、非二元(ノンデュアリティ)のプライベートセッションをお受けください。
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