存在しているのは、「肉体」ではなく「全体」。
肉体という器はない。
器がなければ、その中にいるとされている「私」の居場所もなくなる。
肉体がないとわかれば、私もなくなる。
あるのは、今、見えている全体。
年をとる体があるというのは、ストーリー。
病気に侵される体があるというのは、ストーリー。
不安がったり、後悔したりする私がいるというのは、ストーリー。
それは、単独に存在する体があって、その中に私がいるという創作話から始まったストーリー。
あるのは、全体。
それはいつもフレッシュ。
お知らせ
あるのは、生のフレッシュさだけ。
でも、個人の私がいると信じていると、この生のフレッシュさは見えなくなる。
変わらない毎日の連続のように思えてくる。
体も私も存在していないことを確認したい方は、非二元(ノンデュアリティ)のプライベートセッションをお受けください。
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