私がいる。それこそ人生最大のジョーク | 非二元|生きている「おいしさ」を味わう

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宇宙的自己に目覚める記事を配信。
「迷悟」「苦楽」「生死」の相対を超えた「身体・宇宙」一如の絶対的あり様とは?
迷い、悩み、苦しみのない、日々、生き活きとした生活の実践。

40代の後半まで、私は大きな思い違いをしていた。
「私が存在している」という思い違いを。


だから、自分が心地よく生きるためには、自分を取り巻く周りの環境(人間関係、仕事の成果、預金通帳の金額、家族との関係、健康状態)を整えないと心の平和は訪れないと思い込んでいた。


環境の中心に私がいるのだから、自分を取り巻く環境のすべてを管理し整えるのが、人生の目的であり、それを達成するには自己成長が必要だと思いこみ、落ち着く暇なく動きまわっていた。


ところが、どれだけ努力しても、周りの環境を整えることはできなかった。
むしろ、努力するほど、状況は悪化していくように思えた。
絶望的な気分になっていった。


その頃に出会ったのが、ヨーロッパの非二元の教師の言葉だった。
その教師の言葉を聞いて、「私がいる」というのが、そもそもの思い違いの始まりであることがわかった。

「私がいる」と思い込んでいる限り、人生の最後に待ちうけているのは絶望であること。
それを自分がやっていたことに気づけるようになってから、「私がいる」という幻想が落ちはじめた。


それまで中心的な存在であった「私」がいなくなっても、そこに残っていたものがあった。

それは、それまで自分が環境だと思っていたものだった。

自分の周りにあると思い込んでいた全てだった。


「私」という中心をなくしても、それは変わらず存在し、なんの問題もなく動いていた。

あったものは、その生命の動きだけだった。


その生命の動きから抜け出し、それを他の場所から観察している「私という主体」など、どこにもいないことがわかった。


あるのは、生命の動き、変化。
誰かが何かをしなくても、それは勝手に動き、変わっていくもの。

それが自然。それが自由。


誰一人、何一つ、その動きから切り離されてはいない。
それが非二元。


私が存在し、周りの環境があると思い込んでいた二元性の幻想が解けた時、人は解放され、生命と一つになって自由に踊れるようになる。

踊っているのは、生命そのもの。


私がいて、その私が何かを動かしていると思い込んでいる。

それが人生最大の思い違い。


気づいてみれば、それこそ最大のジョーク。


誰が仕掛けたジョークだって?


ここには、騙すものも、騙されるものもいない。

それが非二元。


ただ、ジョークが起こっただけ。

自然に。自由に。


矢沢大輔


追伸
私たちは普段、二元性の思考体系で出来事の意味を捉えています。

その二元性の思考体系で、非二元のメッセージを理解してしまうと、それは二元性の理解となり、単に目新しい知識を増やすだけのことになってしまいます。

そして、そこからさらなる疑問や誤解が生じてしまいます。

非二元のメッセージが、二元性の思考をさらに強化する肥やしになってしまったのでは、かえって余計な探求を深めてしまうことになり、それこそ本末転倒です。

そこで、個人的な問題(お金、仕事、恋愛、人間関係など)や覚醒に関する疑問にお応えできるよう、4月に非二元の個人セッションをお受けすることにしました。

個人的な問題について聞いてみたいことがある方、スピリチュアルな目覚めの探求にくたびれた方は、個人セッション をご活用ください。


追伸2
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