自分=部分=苦。無=全体=愛 | 非二元|生きている「おいしさ」を味わう

非二元|生きている「おいしさ」を味わう

宇宙的自己に目覚める記事を配信。
「迷悟」「苦楽」「生死」の相対を超えた「身体・宇宙」一如の絶対的あり様とは?
迷い、悩み、苦しみのない、日々、生き活きとした生活の実践。

今日は、人間の苦しみの原因について書いてみる。

自分には何かが欠けている。
そういう感覚がどこかにあって、そのままだと居心地が悪いので、人は動こうとする。

何かを手に入れたら、きっと欠けている部分が埋まり、居心地の悪さが消えると思い込んで。


求めるものは人によって違う。

お金、仕事、健康、パートナー、スピリチュアル…

しかし、何を求めて、それを手に入れたところで、心が満たされるのは、いつもつかの間。

やっぱり、何かが足りない。何かが満たされていない。

そう感じて、次なるものを求めはじめる。

そして、どこまでいってもその追求が終わることはない。


なぜ、こうなるのか?
それは、この世界から分離した「自分」というものが存在していると思い込んでいるからだ。

何かが欠けていると感じる居心地の悪さは、「自分」が全体から切り離されて部分的に存在しているという思考の錯覚からきている。


「自分」がいることが苦しみの原因だったなんて、なんというパラドックス。

だから、自分がいなくなれば、たちまち幸せは訪れる。


事実、誰もが時々、自分を失う経験をして、その至福を感じている。
それは美しい夕陽に見とれいる時かもしれないし、スポーツに没頭している時かもしれない。
音楽と一つになってダンスを踊っている時かもしれないし、熟睡している時かもしれない。

自分が消えて、世界と一つになった時のこの喜びを、誰もが知っている。


笑い話のようだが、人が本当に望んでいるのは、自分がいなくなることだ。
自分がいる限り、何かが欠けているという感覚に耐えきれず、人は何かを求いかけ続けることになる。
それこそが、人生の苦そのもの。


しかし、自分が消えた時、本当にあったものが姿を現す。
何かを探している自分が消えたとき、欠落の幻想は消え、無条件の愛だけが残る。


矢沢大輔


追伸
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