今年の正月休み、大阪の実家で、夜、眠ろうとした時、隣の部屋から父親のイビキが聞こえてきたのだが、私があることを意識しはじめた途端に、その音がピタリと鳴りやんだ。
隣の部屋に行って、父の鼻をつまんだり、ゆすったりして、起こしたわけでもなく、私は自分の布団の中で横になったまま、イビキの音を聞いていただけ。
なのに、隣の部屋で寝ていた父のイビキの音が消えるなんて、あなたは信じられる?
でも、実際にそれが起きたのだ。
しかも、3日連続で。
では、なぜ、そんなことが起こったのか?
私がその夜、意識したことはただひとつ。
いつもなら、
このイビキは父親が発しているもので、私はその音を聞かされ、今夜も悩まされている被害者
と感じていたのだが、その夜は、
父親と私は、意識の領域では、同じ一つの存在で、今、その意識がこの音に気づいている
という認識に立って、イビキの音を聞いていたのだ。
実は、私がその日、こんなふうに意識を切り替えられたのには、訳がある。
私は、その日の昼に、「意識」に関する本を買ったのだが、そこにこんな文章が書かれていた。
真我が知られないとき
世界は現れる
真我が知られれば
世界は現れない
そして、夜、父親のイビキを聞いているときに、この文章のことをフト思い出し、自我ではなく、真我の意識で音を聞いていたら、本当に「世界は現れなく」なってしまったのだ。
私たちは、普段、一人一人は別々の存在だという前提に立って、相手のことを批判したり、自分の思うように相手が行動してくれなければ、腹を立てたりしている。
でも、意識のレベルでは、私たちは一つで、それを思い出せた時、この世界に平和が訪れる。
あわただしい世界で生きるか?
穏やかな世界で生きるか?
それを決められるのは、自分。
いや、そんな自分なんていなくて、意識はいつも一つ。
もし、あなたが誰かのことを迷惑に感じることがあったら、その瞬間は感情的になっているかもしれない。
でも、ここまでこの文章を読んだのなら、思い出してみてほしい。
相手とあなたは、同じ一つの意識であることを。