過去記事で、美容と健康の探求は行き過ぎると宗教と同じ、というような云々を長々と書きました。今回はその続編を書くつもりで、今更ながら有名なこの本を読みました。
動的平衡 生命はなぜそこに宿るのか/木楽舎

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しかし読んでみると、本文の多くの部分は過去記事で書いてしまったことばかり。あれ?どこかで読んだっけな?と思い返してみるのですが、どうもそれらしい記憶に行き当たりません。ただ、著者の福岡伸一は以前からドキュメンタリー特別番組を監修していたりもするので、その辺りの記憶と混同しているのかも知れません。
本書は主に分子生物学について書かれていて、タイトルの「動的平衡」とは、著者が考える「生命とは何か?」の解答となる言葉です。生命活動とは、常に動いていていること=動的であって、決して静止することは無いということ。また、その動きは常に綱渡りのようなバランス=平衡の上で成り立っているということを指しています。
タイトルからして、かなり神秘的かつ哲学的です。本書を読んだ動機は美容と健康だったのですが、結果的には哲学に関する記事を書くことにしました。
【生命とは何か】
私達の体は常に代謝を繰り返しています。古くなった細胞は死んで体外へ排出され、それと置き換わるように新たな細胞が分裂し、毎日のように生まれています。例外的に、成人の脳や心筋細胞は分裂しませんが、それでも細胞を構成しているタンパク質等の物質は、常に入れ替わっています。
(以下、病院検索MEDWEB「健康美人道 Vol.2 『細胞が生まれ変わる周期』」より引用)
代謝周期が一番短い細胞は小腸の上皮で、約2日と言われています。胃は5日 肌は28日 筋肉や肝臓は60日、骨細胞で90日など。見た目には変わらない私たち人間の体は、細胞レベルでは約5~7年でほとんど入れ替わっているのです。
(引用ここまで)
私達が生命を考える時、それは例えば人体模型や骨格標本のような構造をイメージします。ある意味では、スチル写真のような静的なイメージですよね。しかし、現実の生命とは代謝によってのみ存在し、中身が常に入れ替わっているので静止することはありません。体のどの部分を調べても同じです。
つまり、私達が生命と捉えているものは一連の過程であり、サイクルに過ぎないのです。著者はこれを端的に表現し、「生命とは構造ではなく効果である」と述べています。
【ウンチは何者?】
冒頭から汚くてすみません。でも皆さんに最初に考えて頂きたい。ウンチって何ですか?
私達は毎日食事をします。食べ物のほとんどは水(水分)ですが、吸収された水はやがて汗や尿となり、速やかに体外へと排出されていきます。
一方、水以外の固体物質は胃腸で消化吸収されていきます。体内に入った栄養分はエネルギーとなって燃焼し、私達の生命活動を支えます。汗や尿、あるいは呼気として排出されるのは、言わば燃焼した後に残った排気ガス、または燃えカスです。また、使いきれずに余ったエネルギーは皮下脂肪や内臓脂肪となって、いつか使う時に備えて貯蔵されます。
となれば、最後に登場する「便」とは、「消化吸収しきれなかった食べカス」が排出されたものということになりますよね。
私達は一般に、「食べる」という行為をこのようなメカニズムで捉えています。
しかし実はこれ、間違いだそうです。便に含まれる食べカスは実際は僅かで、便の大部分は死んで排出された私達の古い細胞の残骸なのです。すなわち、「ウンチの正体は死んだ細胞」が正解です。
【食べ物はどのように吸収されるのか】
私達が食べるもののほとんどは、肉・魚・野菜など動植物です。普通、人間の体内に動物の一部を入れれば、必ず免疫反応(アレルギー反応)が起こるはずです。でも実際にそんなことは起こりません。
口から入った食べ物は、まず胃と腸で消化されます。消化とは、食べ物を細かく砕く作業のように思えますが、本当に細かく砕きます。膵臓から分泌された大量の消化酵素は、動物性タンパク質も植物性タンパク質も分解し、アミノ酸の単位にまで砕きます。
こうして小さくなって、初めて体内に吸収されるのです。もしもタンパク質のままで吸収してしまえば免疫反応が起こってしまいますので、作業は徹底的に行われています。つまり、体内に別の動植物が入り込めないよう、ヒトはそれを防ぐメカニズムを備えているという訳です。
こうして取り込まれたアミノ酸は、体内で再びタンパク質へと合成され、体の一部となるのです。過去記事で、コラーゲンやヒアルロン酸などのタンパク質をいくら食べても意味が無いと書いた論拠はここにあります。結局はアミノ酸に一旦分解されなければ吸収されず、また吸収したアミノ酸が体内で再びコラーゲンに戻る保障はないからです。というか、恐らくはほとんどが別のタンパク質になってしまいます。
参考:過去記事「美容教と健康教(2)」
【私達の体は食べ物で出来ている】
昔、ある学者が、口にした食べ物は一体どこへ行くのかという疑問を抱きました。彼はマウスを使い、それを観察する実験を行いました。具体的には、アミノ酸の分子に目印(放射性同位体)を付け、マウスに食べさせてそれをレントゲンで観察したのです。
結果は、先に述べたような一般的な「食べる」イメージとは全く異なりました。
マウスの体内に取り込まれた物質は、消化吸収された後、頭から指先まで、脳、筋肉、皮膚、あらゆる臓器、血液へと速やかに広がっていきました。全ての物質が体外へ排出されるまでにかなりの時間を要したそうです。加えて、この実験を繰り返している間、マウスの体重は増減していません。
これはつまり、食べ物が私達の体の一部となったことを証明しています。マウスはその間、絶え間なく古くなった細胞を体外へ排泄し続け、その代わりに食べ物が新たな細胞を構成したのです。それは言葉通り、食べ物が血となり肉となったことを証明したのです。
【体内と体外の境界線】
ところで、人間の消化器官、即ち、口→食道→胃→小腸→大腸→肛門は、医学的に見れば「体内」です。しかし生物学的に見れば、これらは人間の体表面の一部でもあるので「体外」と見なされます。著者の表現を借りれば、「チクワに空いた穴」です。
では、体内と体外の境界線はどこにあるのでしょうか?
ここで皆さんご自身も是非イメージしてみて下さい。
さっき食べた胃の中にある物、腸の中にある便、吸収し体内へと運ばれた栄養素、今まさに燃焼しているエネルギー、次の呼吸で排出される二酸化炭素。
これらのうち、あなたの一部はどれですか?
恐らく皆さんはこの問いに明確に答えることができないでしょう。と同時に、「私」という人間の境界線がとても曖昧であるということにも気付くはずです。
静止した構造を持った生命というものはイメージに過ぎず、現実には存在しません。細胞は常に入れ替わり、その代謝というサイクルの上でしか生命は成立しないのです。
食べ物がやがて体の一部を構成するという事実は、生命の体内と体外の境界線もとても曖昧にします。これらは明確に区分けすることはできません。
著者の福岡は生命の様々な特性に着目し、その結論として、外と区別できないことこそが生命であると考えています。ひょっとすると、自分自身が世界に溶けているようなイメージかも知れません。
【分子生物学は色即是空】
最後に記事タイトルの意味ですが、本書を読んでいて、私はどうしても「色即是空」という言葉が浮かんでしまいました。生物学的に私の存在が曖昧ならば、この世は全て空である、と。
この考え方は以下の過去記事に詳しいので、参考にして頂ければと思います。
参考:過去記事「坊さんをやめたくなった日」←般若心経に関する記事
かつて宇宙物理学者達は、相対性理論が導き出したビッグバン理論に気付いた時、それが旧約聖書の創世記と酷似していることに気付いてしまいました。そしてまたここでも、分子生物学が般若心経へ行きついてしまうようです。
科学は私達を宗教から解放するはずなのですが、歩めば歩むほどにいつも宗教的真理との共通性に辿り着いてしまう。とても神秘的で不思議な気持ちになりますし、解けない哲学だなぁといつも考えてしまいます。
参考:過去記事「文明の衝突」←科学の宗教回帰に関する記事
また最後に余談ですが、深海の熱水鉱床や南極の地中など、極限に住む生物を研究している「辺境生物学者」の長沼毅に言わせれば、「宇宙の成り立ちにおいて生命は不要」だそうです。生物学はやっぱり深い哲学です。
辺境生物探訪記 生命の本質を求めて (光文社新書)/光文社

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今回も最後まで読んで下さりありがとうございました。
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