本が沢山並び
本棚だと見て分かるぐらいに
潤ってきました
それ眺めてるだけで美味しい炭酸飲めそう←
てことで
25冊目
読了しました
それではいつもの如く
印象に残った言葉、文章を綴ります
(ネタバレなので知りたくない人は内容スルー
笑顔で光って輝いて/小林正観

病気について、いちいち落ち込まないこと、いちいちめげないこと、一喜一憂しないこと。良くなったとか悪くなったとか一喜一憂するのではなくて、めげずに、笑顔で淡々と受け入れながら生きていく。
目の前にどんなことが起きても、愚痴や泣き言を言わないようにすると、悲しみや辛さを感じなくなります。そして、自分の心が成長した結果として、物事に対して、否定的な反応をしないようになります。
心の成長には、難航、苦行がまったく要りません。ただ、目の前の現象について、思い方、捉え方、受け取り方を変えるだけなのです。
お釈迦様の言葉に「対面同席五百生(たいめんどうせきごひゃくしょう」というものがあります。対面し同席している人は最低でも五百回、人生を一緒に過ごしてるという意味。
病気や事故が不幸と思っている方が多いかもしれませんが、自分の魂の成長に、必ず必要なことを自分がシナリオに組み込んでいるのです。
死ぬこと自体は、全ての人に訪れるので、選びようがありません。すべての人に公平平等に怒ることなので、不幸なことでもないし、いけないこと、悲しいこと、嫌なことでもありません。死ぬことについて、考える必要はありません。死を考えている「私」は、生きているのだから死を考える必要はなく、死んでからはもうすでに死んでいるので、どちらにしても考える必要がない。
神社仏閣はお願いすることころでなく、自分がいかに恵まれていてありがたいか伝えるために「ありがとう」とお礼を言いに行くところです。
いま、幸せだと思ったら、いきなり「幸せ」になります。幸せとは何かを手に入れることではなく、ただ、自分が感じるものなのです。
「ごめんなさい」「すいません」という謝る言葉は、どうも空気を冷やしてしまうようです。それに対して「ありがとう」は、その場を温める作用があり、お互い笑顔に生まれ、ほっと和んでいきます。
年間に、5回6回と有頂天になる人は、必ず同じ分だけ落ち込みます。そして、有頂天になる高さと、落ち込む高さが一緒です。人の論評や評価に対して、一喜一憂する人が、有頂天になったり落ち込んだりしています。成績の良し悪しに関わらず、淡々としている人には神や宇宙が応援、支援してくれる。
「念」とは「今」を大事にする「心」。未来とは関係ありません。今、目の前にある物、人、事を大事にするのが、「念」を入れて生きることになり、「今」を生きるということなのです。
二十一世紀の最先端の文明、最先端科学、最先端医療というのは、実は「ありがとう」かもしれません。
体が痛んだり、不調というとき、痛むところ、不調なところを挙げ連ねるのですが、その人に共通していることは「今まで順調に動いてくれていたところに、何一つ感謝をしていない」ということ。体のどこかが痛んだり、不調というときに、その不調なところに文句を言うのをやめる。そして、不調ではないすべてに「痛くなくて、健全に、健康に働いてくださってありがとう」とお礼を言い、感謝することで、その一か所が消えてしまうという宇宙の法則が存在します。
以上
須藤元気の本でもありましたが
「対面同席五百生」がここでも出てきました
この言葉、大好きです
これを知ってから、初対面の人でも関わったときに
この人も前世で自分と会っているのかと思うと…胸ワク
全ての起こりうる出来事は
自分のシナリオに組み込まれていること
まずは何事にも感謝を持つ心からの投稿