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グッときたテレビ番組、オッと思った新聞記事

普段は、ぼーっと見ているテレビ番組だが、たまにグッとくる番組がある。
そんな瞬間を記録していく。
たまに、オッと思った新聞記事も取り上げる。

 11月14日のTBSnews23で放送された「“激戦地”でどんなメッセージ?ウクライナに『バンクシー』の作品」が面白かった。

 「こちらはロシア軍から激しい攻撃を受けたウクライナの激戦地ボロディアンカです。破壊された建物の壁には逆立ちをする人物が描かれています。


 これはイギリスの覆面ストリートアーチスト、バンクシーが公開した作品です。

 他にも、ウクライナ国内ではバリケードをシーソーに見立てて遊ぶ子供や、ガスマスクをつけた人物など、バンクシーが残したとみられる作品が相次いで見つかっています。いったい、どんなメッセージが込められているのでしょうか。

 ロシアによる軍事侵攻によって破壊された建物。


 その壁をよく見ると絵が描かれていました。レオタードを着た体操選手でしょうか。崩れたコンクリートの上で逆立ちをしていますが、瓦礫に手が挟まれているようにも見えます。これは覆面ストリートアーチスト、バンクシーの新作で、SNSには、ウクライナ、ボロディアンカの文字も。

 ボロディアンカはロシア軍による激しい攻撃を受け、多くの市民の遺体が見つかった激戦地です。この町では柔道着を着た少年が黒帯を締めた大男を投げ飛ばす絵も見つかっています。苦戦するプーチン大統領を皮肉った作品と見られています。

 市民「バンクシーが来てくれて嬉しいです。私の心にずっと残るでしょう」


 ウクライナの戦況を伝えるニュースの冒頭に使ったエピソードだが、バンクシーに改めて興味を持った。


 大谷翔平の考え方、野球への取り組み方については、いつも驚かされるが、11月12日に放送されたNHKスペシャル「メジャーリーガー大谷翔平ー2022アメリカの新たな伝説へー」で、またまた大谷の自由な発想、新しい価値観に触れることができた。


 ーー8月15日。これまでにない球種を投げた。

 実況「落としてきましたか。ツーシームですね」

 ーーシーズン中に新たな球種を取り入れるのは異例のことだ。

 ーーツーシームは、右打者に対して食い込むように曲がりながら沈む速球。大谷のツーシームは最速162キロ。平均的なツーシームより沈む幅も大きい。まさに“魔球”だ。シーズン途中から投球の軸となった多彩なスライダー。それとは逆方向に動くツーシーム。メジャー屈指の二つの球種によってバッターはより狙いを絞ることができなくなった。

 チャズ・マコーミック(ヒューストンアストロズ)「スライダーを待つと162キロのツーシームがきてバットを折られる。振り遅れたくないと思うとスライダーがくる。打つのは難しい」

 ーーいつのまに大谷はツーシームを身につけたのか。実はその鍵は練習ではなく7月のある試合だったと明かした。

 大谷 「練習ではあまり変化しないタイプだったので、なので実戦で投げてみないと分からないなと。投げてみようと思ったのは、だから、ちょっと前ぐらいですかね、あの試合の」

 ーー7月6日。4点リードの7回。ワンナウト、ランナーなし。その初球だった。160キロ。この1球。当時、誰もツーシームだと気づかず、フォーシーム、ストレートだと記録された。

 大谷「ゲームの様子を見ながら、ここはリスクないなと思えば、投げてもいいかなという場面の1級だった。もちろんそういう場面がもっとあればもっといっぱい投げていたけれど、あの試合も大量得点で勝っているわけではないので、ギリギリのゲームメークの中で投げられる場面があの1球だった。投げたら変化した」

 「その後のゲーム、または次の年のゲームをより勝てる試合にするための実戦の中での練習。実戦でやらないと分からないことの方がほとんどなので。そこは実践の方が吸収するものはもちろん多い」


 実戦の中での練習、というのはなるほどな、と思った。


 大谷「もともと仕事で野球をやっていたわけではないので、今も仕事と、もともとやっているような野球の本質的な楽しさとか、そういう部分、どちらが大きいのか他と言ったら、もともとやっているところがメインなので」


 楽しさがメインと言うところ、ステキだ。


 ーー最終戦で規定投球回、規定打席、ダブルでの到達を成し遂げた大谷。この快挙を自身はどう評価しているのか。返ってきたのは意外な答えだった。

 大谷の「(投打を)同様にやる上ではあまり目指さなくていいかなと思います。個人的には。もちろん規定というのは例えばバッターならばバッター、ピッチャーならピッチャーの規定なので。どんな形のツーウェイ(二刀流)のスタイルがあってもいいと思うんですけれど。これとこれをやらなきゃいけないという

形である必要はないかなとは個人的には思いますね。例えばもっとカジュアルな感じのプレースタイルがあっても不思議ではないので。野手で出ていてクローザー(抑え)で出るタイプももしかしたらいるかも分からないし、ファーストを守っていてリリーフで1回出てファーストにまた戻るパターンもあるかも分からないので、どちらの規定も目指さなければいけないということはないかなと思いますね」


 本人は全然気にしてないんだな、でも達成してしまうんだな。固定観念が全くない。


 ーーメジャーの歴史を塗り替えたいま、どんな景色を見ているのだろうか。

 大谷「今はやっぱり不安しかない。毎年ー。去年もそうでしたけれど、必ず結果が残るという保証もないし、同じことをやっていると、なかなか同じような結果は出てこないので、毎年、進歩していくのが大事。そこをオフシーズンにどれだけできるかが、来シーズンのためには大事かなと」


 不安というのは、自信を持つためには常に必要な気持ちなんだなと、教えてくれたことば。不安をエネルギーに変える努力をしたいと思った。


 







 10月6日のSONGS「松任谷由実」は面白かった。

 多くの人は当たり前に知っている話かもしれないが、おっと思った話その1。


 2012年、ユーミンは自らの原点を見つめ直すため、母校・立教女学院を訪ねました。ユーミンが音楽の道を歩み出すきっかけとなったのが、この礼拝堂(聖マーガレット礼拝堂)。初めて聴いたパイプオルガンの音色に心を奪われたユーミン。独学で作曲を始めました。

 その頃出会ったのが、「青い影」。イギリスのロックバンド、プロコルハルムの代表作です。 

 ユーミン(自分にもできるかもしれない。ロックと教会音楽を橋渡ししてくれるみたいな、もっとそのギターに夜ロックをずっと聴いてたんですけれど、キーボードでのロックができるかもしれない」

 そんなユーミンが教会音楽とロックを融合して作ったのが、「翳りゆく部屋」(1976)。


 おっと思った話その2。

 そして2020年。新型コロナウイルスの感染拡大に伴い、外出自粛が叫ばれた日々。ユーミンは自宅にこもって、夫でプロデューサーの松任谷正隆さんとアルバム作りに挑んでいました。


 ユーミン「どのくらい疲れましたか」

 松任谷正隆「吐くほど疲れました」

 ユーミン「吐いて」

 松任谷正隆「しかし。この年にしてまだ伸びしろがあるじゃないですか」


 完成したアルバムは「深海の街」。世界が海に沈んだら愛しか残らない」。コロナ禍の世界に向けてどうしても発表したかった作品です。


 ユーミン「クリエーターとしてね、こんな未曾有の年を記さずにおくものかみたいな。だって歌っていう形じゃないと残せない言葉がいっぱいあると思う。100年後にこれを聴いてもらって誰かがそのときに日本の国があるかどうかもわからないけれど、日本語もどうなっているかわからないけれど,日本のなんかシンガーソングライターがこういうことをね、コロナの最中に作ったんだって思ってもらえたらなあって」

 

 100年後、日本の国があるかどうかもわからないけれど、か(汗)。


 おっと思った話その3。

 大泉洋「昔から宇宙への思いが、お強いんですか」

 ユーミン「強いです。わたしは80年代の頭に、特に、具体的に歌で宇宙のことを言いたいなっていうのがあったんですね。もう亡くなったけれど、小松左京さんっていう学者でもあり小説家でもありっていう方にすごい影響を受けて、その小松左京さんの『さよならジュピター』っていう映画ー原作で監督もされたーその主題歌を依頼されて、その時にいっぱいお話したりとか、自分でも勉強したりとかして、もっともっと興味が深くなったんですね。で、その時に作った歌が『VOYAGER〜日付のない墓標〜』(1984)という曲で、去年、シン・エヴァンゲリオンの中に使っていただいたことで、すごく理解してもらえた。あの80年代頭の曲なんですけれど、ある種、ヒーローの悲しみみたいなものなんですね。傷ついた友達さえ置き去りにできるソルジャーっていう歌詞で始まるんですけれど。置き去りにする側も辛いっていうことがあるじゃないですか。あまりそれが歌になっている野は見たことがなかったんだけど。何か、その感じ、やっとわかってもらえたなと思います」


 おっと思った話その4。

 大泉洋「今年でデビュー50周年ということで今夜の1曲目に歌っていただくのは1975年に発表されました『あの日にかえりたい』という歌でございますが、この曲はどういう思いで作られた曲なのでございましょう」

 ユーミン「これも不思議な曲で、最初、違う詞を付けて歌ってたんですけど、ドラマの主題歌の話が来て、そのディレクターの人にね、曲は大好きなんだけど詞が世界が違うからと。で、詞を丸ごと書き直したんですよ。それで私にとっての初なシングルナンバーワンヒットになったんですけれど」


 ユーミンも苦労したんだ〜(汗)。


 おっと思った話その5。

 大泉洋「すべてはご自身の経験の歌ではないんですね」

 ユーミン「もちろん。そんな、身が持ちませんよ。ファミレス伝説とかあるんですけれど。ファミレスで他人の話を聞いてメモしてって。まあ、たまにはあったかもしれないけれど、でも人の話は普通に会話の中でよく聴いてるし、映画や小説、ある時は絵画とか。なんか絵画のタイトルでひらめくこともあるし、そういうのが複合的に後で出てきますね」

(中略)

 JUJUさんが愛してやまない真珠のピアス(1982)。

 彼のベッドの下に片方捨てた

 Ah…真珠のピアス

 大泉洋「そっと置いてくって、男にしてみたらこんな怖い話しないみたいな」

(中略)

 ユーミン「たいてい曲先なんですね。そこに乗せていくときに、なんかそういう響きが聞こえるみたいな。真珠のピアスみたいに聞こえるんですよ。その話自体はね、昔、サポートしてくれてためんばーが、本命の彼女じゃないところに手を出したら、車の助手先にイヤリングを落とされたっていう話をしてて、あっいただき、って思ってたものが、その曲を作って

いる途中で、あっ、そういえばそういう話があったなっていうストーリーになっていったりとか」

 大泉洋「えっ、これ俺の話じゃね?って人はどこかにいる」

 ユーミン「そうですね。パーソナルなところに掘り進んでいくと、ある時から急に一般性を帯びるという法則を持っています。ずっとやってきてね。なんか、みんなにわかるように、みなさーんってやるものよりもどんどんどんどん個人的な感情にー私個人というよりも歌の中のパーソナルなところに入り込んでいくと、あー、あるあるになるんですよね。不思議と」


 ユーミンはやはり時代の巫女のような方だなと改めて思った。