心とファッションのカウンセラー
ふたばです。
先週金曜日は東京Beトレ。
3ヵ月振りの生仁さんのお話。
ZoomのBeトレも、おけいこ感満載で良かったけど、
舞台の上を動き回りながら、ちょいちょい小芝居を挟みながら話をする仁さんが見られるBeトレLIVEは、やっぱりいいね。
肝心の内容は、聴いているようであんまり聴いていなかったような…
マスクをしてると、どうも集中力が上がらなくて。
以下、メモより。
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自分の中に無いものはすぐに理解できない。
ex)「車を盗られる」という経験も考えも自分の中に無いと、停めたはずの所に車が無くても、直ぐに「盗られた」とは認識できない。
自分のことは実は理解していない、ということを理解する。
「私は●●(ネガディブワード)な人である」は、
正確に言うと、「私は『●●な人だと思っている』人である」となる。
自分だけが勝手に「私は●●な人」だと思っている。
色眼鏡を掛けている。
色眼鏡を掛けているとは、過去に生きているということ。
過去に起こったある出来事から、「私は●●な人」だと思い込んで生きてきた。
表があったら必ず裏がある。その逆も然り。
「私は●●な人」の真逆の「私は○○な人」も、自分。
●●は悪い事で、○○は良い事。
●●な人は反面教師に、○○な人は目標に。
そうジャッジし続けるといつまでも過去に生きることになる。
ジャッジの基準は、自分が小さい頃両親をどう見ていたか。
お母さんが幸せそうなら良い事。
お母さんが苦しそうなら悪い事。
価値観は変わる。
不幸の象徴だったものが、ある時から幸せの象徴になる。
幸せと不幸に境目は無い。
つまり、一緒。
不幸でも幸せ。幸せでも不幸。
なら、いつも幸せだと思っておけばいい。
幸せと不幸のメビウスの輪をライブツアーのタオルを使って実演中
一度知ってしまったら、知らなかった自分には戻れない。
ex)心屋を知ってしまったら、知らなかった自分には戻れない。
ex)一度結婚したら、結婚したことない自分には戻れない。
「私は●●な人」だと思い込んでいると、
たとえ真逆な「○○な人」だと言われてきたとしても、
理解できずに全て排除してきた可能性がある。
理解できないのではなく、
理解したくない、感情的に「嫌だ」と受け入れられない場合もある。
正面からは見えない自分の背中は、
三面鏡を使えば見ることができる。
自分の周りにいる人は鏡。
あの人は鏡だけど、あの人は鏡じゃない…
ではなく、周りの人は全部自分。
色眼鏡=大前提=先入観
ex)金髪はチャラい。
自分のことは何一つ理解していないし誤解している、
ということを理解する。
自分は自分が思う100万倍素晴らしい、
ということを理解する。
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自分は、
自分が信じている通りの「●●な人」だし
でもその真逆の「○○な人」でもある
ということを理解する。
今はそうは信じられなくても。
「○○な人」でもある(かも)ということが、
一度自分の中にインプットされると、
「●●な人」だけでなく
「〇〇な人」の証拠も目にするようになってくる。
と自分なりのまとめ。
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今回は、特に好きな歌ばっかりで、沁みたな~。
仁さんの生のお話を聴けたのは嬉しい。
仁さんの生の歌を聴けたのは嬉しい。
でも、Beトレに行けばほぼ毎回会えたあの人やあの人はもういない…
この点はやっぱり寂しい。