2001年2月7日(水)西日本東部地区大会 兵庫県 ハチ高原スキー場 SBX
この年に、初めて西日本選手権に参戦した。
普通の大会より大きな大会だとは思っていたが
勝ち上がれば全日本選手権に行ける事など
あまりよく理解してなかった。
エントリーするにはJSBA公認のチームに所属しないとダメなので
大袈裟で面倒くさいな~位しか思っていなかった。
仕方がないので、会社の近くのショップで形だけチーム員として登録した。
今とは違って、全日本はもちろんの事、西日本の大会に関しても
特別な想いはなく、他の大会と変わらない気軽な気持ちで大会に望んだ。
しかも、前年からSBXの大会に参戦ていた自分は少し自信を持っていた。
しかし、大会当日にスタートエリアに行って、自分の考えが甘い事に気付いた。
今でこそ、西日本選手達は和気あいあいのムードだが
当時はチームキャプテンを中心に各チームの選手達が
一丸となって行動していて、みんなピリピリムードだった。
それは、大会と言うよりも体育会系の競技会という雰囲気だった。
一人で行動していた自分は、明らかに場違いな存在だった。
この年は現在とは違って、1日目に1人ずつ2本のタイムトライアルをして
上位96名が、翌日の決勝トーナメントに出場する事が出来た。
200名以上のエントリーがあったので、半分以上が予選落ちとなった。
初めてのタイムトライアルと言う事で、柄にもなく少し緊張していたが
普通に滑れば、予選通過は問題ないだろうと少しナメていた。
1本目のタイムトライアルが始まり、前半を順調に滑っていたが
最後の急斜面の3連ウェーブで転倒してしまった。
もちろん、タイムは問題外だった。
2本目のタイムトライアルは午後から行われた。
そのインターバルを利用して、翌日の決勝トーナメントから加わる
シード選手達の公開練習が行われた。
その滑りを見て愕然とした。
スピード、ライン取り、パンピング、テーブルトップの抜け方
すべてが異次元だった。
自分と比べるまでもなく、力の差は歴然だった。
少しだけあった自信は、ガラガラと音を立てて崩れていった。
そして、その公開練習のあと2本目のタイムトライアルが始まった。
ここで完璧に滑らないと、翌日の決勝トーナメントには進めない。
とにかく全開で攻めた。
しかし、テーブルトップのランディングで転倒してしまい
初めての西日本選手権は、呆気なく初日で終わった。
126位だった。
悔しいと言うよりも情けなかった。
あまりにも力の差がありすぎて、全く歯が立たなかった。
と言うよりも、全く話にならなかった。
しかし、決して諦めようとは思わなかった。
西日本選手権に対する、自分の甘い考えを改めようと思った。
シード選手やトップグループに、すぐ追い付けるとは思わなかったが
時間が掛かっても、少しずつ追い付こうと思った。
そして、いつかは対等に戦えるまでになろうと思った。
必ずこの大会を勝ち上がって、絶対に全日本選手権に行こうと心に誓った。
この時から『限りなくゼロに近い可能性への挑戦』 が始まった。
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2002年2月2日(土)西日本東部地区大会 長野県 白馬乗鞍スキー場 SBX
前年に引き続き、翌年の西日本選手権に参戦した。
前年の西日本選手権の後に、いろいろな大会に参戦している間も
シーズンオフの間も、ずっと全日本選手権に行く事だけを考えていた。
もちろん、前年とは違って特別な思いでこの大会に望んだ。
この年は、雪不足のため1週間前にハチ高原から白馬乗鞍に急遽会場が変更になった。
ハチ高原よりも少し遠くなるが特に問題はなかった。
でも、少し嫌な予感がした。
この年からタイムトライアルが廃止になり
現在と同じように、1日目に1回戦と2回戦が行われ
2日目に3回戦以降が行われる形となった。
1日目には、一番先頭でゲートに着いてインスペクションが始まるのを待っていた。
「〇〇〇さん、大丈夫ですか? 〇〇〇さん!」
何故か自分は、リフトを降りた所でうずくまっていた。
H井君に声を掛けられて、初めて目が覚めた。
「ここ何処?俺はここで何してるの?」
「ここは乗鞍ですよ。西日本の大会です。大丈夫ですか?分かりますか?」
「えっ?大会はハチ高原じゃないの?」
H井君の話によると、インスペクションのスタート直後に転倒したらしい。
でも、すぐに起き上がって滑り出したので大丈夫だと思ったみたいだ。
しかし、自分は無意識のうちにコースを滑って
そのままリフトに乗って、リフトを降りた所で力尽きて倒れていた。
転倒した時に頭を強く打って、意識と記憶が完全に飛んでしまっていた。
後で分かった事だが、明らかな脳震盪だ。
だから、今自分が何処にいるのか何をしているのか全く分からなかった。
会場がハチ高原から乗鞍に変わった事さえ理解できないでいた。
「大丈夫、大丈夫、ありがとう・・・。」
全然大丈夫じゃなかったが、とりあえずスタートエリアに行った。
そこから、また記憶が飛んだ。
気が付いたらゴール直前を滑っていた。
4番手だった。
意味も分からずにゴールした。
どうやら、1回戦は勝ち上がって2回戦で負けたらしい。
1回戦の記憶が全く無く、知らない間に終わっていた。
訳が分からず、意識もうろうとしたまま荷物を片付け
気が付いたら車を運転して帰路についていた。
そこから、また記憶が飛んだ。
次に気が付いた時には、何処か分からないSAで車を止めて寝ていた。
時計の針は6時を差していた。
辺りはすっかり暗くなっていた。
しかも、豊科ICから長野道に乗らないといけないのに、何故か北陸道のSAにいた。
幸い下りのSAだったので、米原から名神に抜けて帰る事にした。
お腹がスゴク減っていたので、そのままSAで食事をして
トイレで顔を洗ってスッキリしたあと、給油を済ませて車を走らせた。
暫らく走っていると、日本海がきれいに見えてきた。
「冬の日本海は波が高くて荒れてるな~」
と思っていたが
「えっ?ちょっと待って?なんでだんだん明るくなってくるの???」
そう、夕方の6時だと思い込んでいたが、実際は翌日の朝の6時だった。
なんと、12時間以上も車の中でずっと寝ていた事になる。
しかも、直立の運転席に座ったまま。
それとも、意識を失っていたのか。
この季節は、朝の6時も夕方の6時も暗いので、起きた時には全く気付かなかった。
とりあえず、一番近いSAに入って車を止めて少し落ち着いて頭を整理した。
大会に出た事、そこで転倒した事、今から自宅に帰ろうとしている事。
なんとかいろいろな事が理解できたので、少し休憩した後に再び車を走らせた。
何度か休憩しながら、なんとか夕方に自宅に辿り着いた。
お風呂に入り、少し横になっていたら、そのまま翌日の朝まで寝てしまった
そして、何事も無かったかのように普通に仕事に向かった。
こうして、2度目の西日本選手権の挑戦は、ほとんど記憶のないまま終わってしまった。
もちろん、今でもこの時の記憶は全く思い出せない。
後編につづく。