寂しくもベランダから
寂しくもベランダから
ベランダから見た東京側の建物が、異様にへし曲がり、気付くと
相当な揺れで、目前に差し込んでいる東京港の波も尋常ではない。
私が揺れているのか地球規模でいわばお揺れになっているのか、
自身、地震?
先程から、へし曲がり、立ったまま前屈屈伸しているはずの建物
は曲がっているはずもなく、横揺れに耐え切れず崩壊、倒壊し、
数年前に写真や記憶に残っているそれとはみごとに似ても似つか
ぬ姿になっている。
昔の友達や、妻や子供や仕事仲間の笑い声や、その時の記憶が
呼び起される。逃げまどう人の中に誰かいないかと目を細めてみ
るがどれも見ぬ顔。このような事態に、思い出みたいなものが
回想するのも、回想録みたいで、記憶を司っている脳は海馬だっ
たっけ、等と空ぞらと胸を風がふくようで。
しかし、この揺れだと、そろそろ巨大な橋も落ちるのではないか
と心配になる。
私だけではない、妻や子供、いつか同乗していた、電車、バスの
お年寄りなども見ているのであるから、見たこともない観衆を前
に悲壮な想像ばかりふくらみ、耐え切れず、退席することになる。
そのような事態は果たして、席に立つと決まった時から予想でき
たもの。
倒壊、崩壊した建物からは放射能がもれている、想像もつかない
ほどの額にまで膨らみ上がり続ける損害賠償額に、それでも終結
を想像できないために、想像をこえた対策を練る、想像力のない
電力会社。
揺れ事態が直下型なのかそうでないのか、私自身の保身、興味な
どはすでに遠いもの、放心したまま涙にもならず。
しかし、人間、揺れには弱いものだ。じっと耐えていればいいも
のを、断りもなく退席するものだから余計にめだってしまう。こ
のような時に、当の妻である、偉大な大臣の娘の爪の垢でも煎じ
て飲ませたいと、よからぬ気づかいをしたのは私だけではないは
ず。
「このあとトイレに行かせてください」といった娘、奥様のVTRが
とても勇ましく見えた。
退席せぬまま、自信の保身ばかりに気をもむ電力会社もどうかと
思うが。何も言わずに退席し、恥ずかしそうに詫びをいれるより
まだましだ。
いやどっちもどっちか。
かたや、昨年の中くらいまで、揺らいでいた西の方は、揺れもと
まり、崩壊した荒野に新たな党を建築しつつある。その眼を見張
るような、空に突き抜ける、さわやかな風になぞられる爽快感は、
崩壊した東京の街の羨望を受け更に輝きを増す。三つ巴の様相を
持った、本来は、巨大建築物の真下で押しつぶされたはずの当事
者が尻尾を振って擦りよっているので、世も果てである。
かじ取りができなくなった政治と、放射能汚染問題に煮え切らな
い対応ばかりする電力会社。よからぬことに使いすぎた税金を増
税でごまかす政府。役員、社員の給与をかえず、あり余る資産も
そのままに、電気料金の値上げに頼る電力会社。
あまりにも似すぎたこの構造にもし、私の声が届くなら、と考え
る。
ほらそろろそろ、足が壊れた、大きな橋の上からぞくぞくと人が
冷え冷えとさざなむ海水にそうれと身を投げ始めている。
橋の向こうの都内側は赤く、夕日に照らされたような、紫がかっ
た色で、私たちの心をさかなでするかのように綺麗な色に輝いて
いる。
人に驚いて今羽ばたいたのか、下の動乱に気をとられ私が気付か
なかったのか、上空に目を移すといつの間にか何百羽ものかもめた
ちが、はるか上空で私たちをあざ笑うかのように、海岸で聴くあの
声で鳴いているのであった。