芥川賞と言葉 | ふせい白書

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芥川賞と言葉


芥川受賞作家の田中慎弥さんが芥川賞受賞時に「もらっといてや
る」と発言をし話題になっている。


田中様がおもらいになられたのは芥川賞である。芥川賞とは純文
学の最高峰の賞で、二度はもらえない、作家といえど、ねらって
いただけるような賞ではない。


それだけの賞を射止め「もらっといてやる」と言っているから騒
がれているのだ。


授賞式には何を言ってくれるのか楽しみにしていたのは私だけで
はないはず。


しかし彼は「ありがとうございました」の一言で終わらせた。

「万感の思いがこめられていました」と司会者が即座に進行したの
で、頭の切れる司会者だな、とそちらが気になってしまった。

本人がさほど本気で言ったのではなさそうだということと、「万
感の思いが・・・・」と司会者が言っている際に笑っている姿が
嫌味がなくてよかった。


「共喰い」まだ読んでないので、読んでみたい一冊である。


今から十数年前に同じ芥川賞を受賞した作家が「言葉を守りたか
った」と言ったことがある。さほど騒がれなかったが、個人的に
はあまり好ましくは思えなかった。
言葉を守るという意味が曖昧なのと、仮に守るという定義があっ
たとしても、守れないと感じたからである。まして一人で守って
いけるものではないだろう、と考えたからである。


言葉はかわっていくもの、だと思っているからで、古文を読めば
それは明らかであるし、コンビニに行けばわかる。
「1000円からお預かりします」の「から」や「次でお待ちの方」
の「で」は正しい日本語の使い方ではない。


2週間ほど前に病院にいったのだが、会計の際にやはり「○○円
からお預かりします」と言われ、ほう、病院までコンビニ化した
のかと驚いた。


しかし、慣れというのは怖いもので、今ではコンビニのレジでそ
ういわれても全く気にならない。


きっと私自身がレジにたっても「1000円からお預かりします」と
言ってしまうだろう。いや、むしろ言いたいのかもしれない。


また似たような使い方で最近仕事の際に自分のことを私ではなく
名字でいう人がいる。


例えば私が佐藤さんだとして「その際には佐藤の方できちんと稟
議を図らせていただきますので」といった使い方である。

お分かりだと思うが、これだけでは別の佐藤さんが稟議を図って
くれるものだと勘違いしてしまう。

分かりにくい上に、ビジネス用語としても自分のことを名字で表
すのはおかしい。


流行っているのかわからないが、自分のことを名字で表すことは
違和感がある上に気持ちがわるい、というのが正直なところであ
る。


コンビニで間違った日本語を当たり前のように使ってみたい、と
いう衝動はあっても、自分のことを名字で呼びたいとは全く思わ
ない。


好んで芥川賞作品を読んでいるわけではないが、130回受賞作、
綿矢りさの「蹴りたい背中」を機会があって読んだことがあるが
学生の日常生活がテーマとなったものであった、読んだ時にこん
な文章が書ける若い子がでてくるなんて、日本文学も捨てたもの
ではないな、と感じたものである。


そのあと各紙の新人賞で「蹴りたい背中」調の若い層の応募作品
が増えたそうなので、彼女も日本の文学界に一役買ったわけだ。
ただ彼女の文章は稀にみる才能に恵まれた文章なので、単に模倣
ではただの模倣に終わってしまう。


彼女にはたぶん言葉を守る、という発想はないだろう、言葉の使
い方がおかしかったわけではない、言葉等守ると言わずとも、彼
女にはまっすぐに言葉を綴っていけるだけのセンスがある、から
である。


昔、同じような感覚になったことがあるがそれが75回受賞作、村
上龍の「限りなく透明に近いブルー」であった。


この本は私が本を好きになるきっかけになった。当作品も著者が
まだ学生時に書いたもので、とても同じ年代で書けるものではな
い、もう何回も読んでいるのであまり新鮮さはなくなった。


こんなことを考えていたら、頭がくらくらしてきた。
なんて日本語は難しいんだ。


もしかしたら私が知らないだけで、「ありがたくいただきます」
と言っていたのは一昔前で、今は「もらっといてやる」っていう
のが正しい使い方なのか?