●ここでのセッションや講座は、こんな方に適しています
ブログにお越し下さり、ありがとうございます。
のんです。
真理と心理の視点で、クライアントさまの立ち位置や求めることによって
その時に最適な内容を提供していくセッションです。
こんな方におススメです、という内容は
今日は、その前提となっている考えについて
こちらに書いてみたいと思います。
どんなタイプの方に合っていて、合っていないのか。
心理と真理をどのように並行してセッションが進んでいくのか。
心理をもとめるひとも、真理をもとめるひとも
どちらにもやさしいセッションとは。
しばしお付き合いください^^
目指すところは「ジャッジなく、楽に在ること」
非二元や、ノンデュアリティにおいては、目指すところは「何も無さ」。
ただ、そこを目指すという事はできますが、
もし目指すところに行ったなったら、
それを真には達成し得ないことなのですよね。
なぜなら、なにもないから、どうやって達成し得ることができるでしょうか。
ですから、ここでは、その手前のところまでを、目指すところとして
記したいと思います。
それは「ジャッジなく、楽に在ること」です。
「ジャッジなく楽に在ること」にせよ「何もなさ」にせよ、それに至るには、いろんな道があります。
富士山に登るにも、いろんなルートがあるのと同様です。
今現在の自身のコンディションや立ち位置によっては
合うことも合わないこともあるでしょう。
主体的に「確かめる」ことを大切にしていきたい方へおすすめします
「信じるな、疑うな、確かめよ」という言葉が好きなのですが
それにあるように
確かめるということは、自ら経験する、実践する、観察するということが無ければ
成し得ることができません。
また、そこには、
正直さと素直さと見切る覚悟も必要になってきます。
内面世界における、その微細なセンサーは、
内面の真実を見出すのに必要不可欠なものだからです。
そうすることで、上手く行くことや行かないこともあるかと思いますが
その体験こそが、進む道を照らしてくれるものになります。
そんなプロセスをたどりたい方へ
「問い」を中心にした対話によって寄り添っていくのが
このセッションの得意なスタイルです。
「問い」が中心ですから、主体的に受けていただくのが必須となってきます。
セラピストは、答えを見出しやすい問いをお渡しする伴奏者なので
解説の時以外はあまりしゃべらないスタンスです。
(解説の時は沢山お伝えします^^
が、セッションの最後の解説タイムは、皆さんが解放されている感じになってるので、
言葉が入りづらい感じになっていることが多いですw)
受動的に「答えを与えてほしい」かたには、おすすめしません
「信じるな、疑うな、確かめよ」という言葉に照らすと
「信じる」「疑う」という状態で臨む方にはおすすめしません。
人間の思考は、とてもパワフルです。
見たもの、信じたものを、何でも脚色し作りあげていくという、圧倒的なパワーがあります。
外側からの情報を、なんの検証もなく「信じる」という状態は
それに翻弄されるしかなくなってしまいます。
信じるがゆえに、正しさと間違い、正義と悪という構図が出来上がります。
それが、自分にとっての真実であるかどうかもわからないままに、です。
「疑う」という状態もまた、被害者と加害者という二極に
立場が埋め込まれてしまいます。
なんの検証もなく「疑う」だけであれば、その立場から抜け出ることはないので
いつまでも立場から抜けることができず、自分にとっての真実が明らかになりません。
「信じる」「疑う」の根底にあるのは「恐れ」です。
恐れは、人を、いとも簡単に乗っ取っていきます。
それは生存本能と直結するからです。
立場の上下を作り、敵を作り、パワーゲームに持ち込まれます。
盲目的に信じることや、疑うことが大前提であるなら、どうなっていくか。
古今東西、宗教戦争やカルトとしか思えない信仰が
いつまでたってもなくならないことを鑑みると、その裏付けになるかと思います。
これを信じろ、これを疑え、というような答えを与えられるのは、
楽ちんでいいように見えますが
宿題の答えを丸写ししても
実力がつかないのと一緒で
自分にとっての答えは、自分の中にしかなく
また
それに自ら気づくことが最もパワフルであることを沢山見てきました。
「自ずから気づく」その感動的でパワフルな瞬間を、
ご自身のものとして味わっていただきたい。
目指すところは「ジャッジなく、楽にあること」と書きました。
文章にすると簡単ですが、簡単なことこそむつかしいということは、よくあることですよね。
「ジャッジなく」というのは、ひとつめの関門です。
誰もが大なり小なりジャッジをして生きていますが
必要なジャッジもあれば、本来ならなくていい生きづらさを生み出すジャッジもあります。
そんな重たいジャッジにまとわりついているのは、未消化の「感情」です。
しかもそれは、自分では普段意識しないところに、重く沈んでいます。
それが今を生きる自分に影響しています。
このセッションでは、この「感情」に出会うことを、大切なことの一つにしています。
というと、「感情解放」のような「感情を放出させる」ということを思い描かれやすいのですが
そうではありません。
静かに確かに「ただ気づく」だけで、パワフルな癒しが起こります。
気づきにより自然に凝り固まった感情は昇華されて、自然に「楽」が訪れてくれます。
そこからみる今までの世界は、今までと全く同じにもかかわらず
なぜかクリアで楽に見えてきて
この世界を重くしていたのは、自分の思考や感情であったということが明らかになります。
ノンデュアリティや非二元を意識されている方は、ここが要点なのですが
「わたし」が明らかになれば、それらのことは全部ひっくるめた気づきが明らかになっています。
ただ、これは、いきなり起こることでもないことが多いなと感じます。
そもそも、この分野に関心を持つ動機そのものが、自我的なことがほとんどですし
また
早く楽になりたい一心で、グルに盲目的になってしまうケースもあります。
そして何より、大上段から、よくわからないことを念仏みたいに繰り返されても、やはりちょっとわからない・・・ですよね。
自分の位置に合わせて一つ一つ確かめながら
「わたし」という存在が明らかになることがあってもなくても
少なくとも「ジャッジなく楽に生きてる」って感じを得る
というのが、無理のない歩みかなと思っています。
いま現在の自我にとって、楽にあるための最適の着地点であり
「わたし」という存在が明らかになる可能性をあきらめない着地点を探りながら
というわけで
当サロンで提供しているセッションや講座全般において、ここに書いたようなことが基本姿勢になっています。
私自身が、たくさんの講座やセッションを受けてきた中で感じたことや
自分自身が元来「自分で」やりたいタイプであることも相まって、
今のようなスタイルになっています。
幸いなことに
こちらにセッションや講座を受けに来ていただけるかたは、
自分の中の答えを、自分で見出したい
何かの言いなりになるのは嫌
違和感を見過ごせない
このような感じの方が多いです。
クライアントさんの
そんなスタイル、そんな生き方、本当に大好きです♡
これからも
そんな方がこちらを見つけていただきやすいように
また
私自身がそのようなかたにお会いできたらいいなという思いで
この記事を書かせていただきました。
何かに迷ったとき
自分で気づきたいとき
このセッションがお役に立てば幸いです。

最後までお読みくださり、ありがとうございました。
のん
お知らせ
伊東医師