Fujii 11月29日‐2月26日‐O‐Mi‐Fumi-Mica
Amebaでブログを始めよう!

Micaには番号を聞かなかった。


それは私のやり方じゃなかった。


多分に私の性格的なところだけど、言いたければ言うだろうし、相手が望まないことをさせる気はなかった。


それでも予想通りMicaはその次の日も掛けてきた。


そしてふたたび昨日と同じ時間が流れた。


ある意味冷静でCoolな時間だ。 それでも私にとっては楽しいひとときだった。


が、あるとき突然切れた。


受話器からは、ツー、ツー、ツー、と回線が切れたことを示す音が続いていた。


最初呆然として何が起きたのか分からなかった。


電話機を見つめながら、その瞬間のことを思い出して検証してみた。


会話の途中だった。 しかも、彼女が話している途中だった。


センテンスが終わらないうちに切れた。 つまり、


彼女自身が切ったのではない。


それが結論だった。


じゃあ、何故、誰が、と言う疑問が残った。


その後しばらく待った。10分くらい過ぎた後、その場を離れたがいつでも出られるように電話は開けておいた。


でも結局その日は掛かってこなかった。


そして次の夜もやはり掛かって来なかった。


おそらくMicaは私が切ったと思ったのだろう。


それで怒っているのだろう。   そう思った。





諦めきれなかった。 


Micaとつながった2Shotラインにまた掛け始めた。


Micaをつかまえるために。


たとえ違うふりをしても、絶対間違える声じゃない。それがMicaの声だった。


毎日何度もそのラインに入って彼女を探した。


でもダメだった。 出てくる女性はごく普通の、私にとっては何の魅力もない女性達ばかりだった。


話を適当に切り上げて早めに切った。


そうやって何日かが過ぎていった。





1月18日。 この日につながった女性は今までと違っていた。


高い品性、知識、話し方やかけひきなど話術の点ではMica以上だった。


でも話し方の方法論が何かとてもMicaによく似ていた。


彼女もこちらの番号を言うと直接掛けてくれた。


彼女は最初つながってから一時間以上もほとんど一人で喋っていた。


そして彼女の今置かれている状況と悩みを含んだ話を聞いた。


ただ聞いた。


そしてこの女性がFumiだった。



Micaの登場だ。


でもこのブログの主題となる女性ではない。

WKKKと題した主人公となる女性が現れるのはもっと後になる。


だからここが本当の始まりとは言えない。


でも、後で分かるけど、(そういえばWKKK-1で少し触れたな。)このMicaはその後の話に、奇妙な事実の一致でつながっている。

そしてその後も少しこのMicaとその一族のことについて触れることになる。






1993年1月5日

2Shotを開いてから何人目でMicaとつながったかは覚えていない。

でも、薄れゆく記憶をたどってもその前に何人もの女性と話してはいない気がする。

あるいは最初の女性がMicaだったのかもしれない。


つながってすぐに声に惹かれた。

細い声で甘ったるいと言えなくもないトーンだけど、ストレートで“媚び”がみじんもない。つまりもって回った言い方をしない。 考えをそのまま言葉にしているようだ。


さらに自分をを相手より下に置かない。 駆け引きなどもつかうけど、、それを相手に嫌味に感じさせることなく会話を進めていく。


こういうラインだけでなく、今まで一度も聞いたことのない声だった。


すでにそういうところで600人くらいと話してと思う。

自分の好みに合う話相手を見つけたと思った。  

それは向こうも同じだったようで、1時間くらい話した後、もしよかったら直接掛けてこないかと持ちかけたら、すぐに掛け直してくれた。


途中、食事休憩をはさみ、かなり長く話した。


























ある女性と出会い、付き合うようになった。

申し分ない女性。

容姿もスタイルも文句のつけようがない。

何より性格が良かった。


裏表がなく、さっぱりとした性格で明るかった。

食事に行っても高級なところはもちろん、安いお店でも変わらずおいしそうに食べる。

相手に不快感を与えないのだ。

 

そのためにけんかになることがなかった。  

それはつまり相手に必要以上に期待したり、自分の欲求を押し付けたりしないということだ。

疑問があれば質問するし、こちらからの質問にもちゃんと答えてくれた。

今考えれば彼女は素晴らしい女性だったのかもしれない。





彼女の住んでいるところは私の住んでいる街とは離れていた。

そのために時間を調整して、実際に合うのは2,3週間に1回くらいだった。

ほとんどは私が彼女の住んでいる街へ車を走らせていた。


すこしの間の区間は高速を使えた。  しかしそれでもほぼ3時間の道のりだった。

仕事を終えてからの出発なので、くたくたで息を整えることも多かった。

彼女は両親と実家にいるために泊まることはできない

彼女を送り届けた後は、当然再び3時間かけて帰途に就いた。

ハンドルを握りながらよく居眠りをしてたな。  

今考えればあの時期よく事故を起こさなかったと思う。




彼女の家は開業医をしていた。 

彼女自身、結婚相手は医者に限るという事情があった。

確か私と出会うまでに14回のお見合いをしたと言っていた。

それでもそんなことは関係なしに私たちは楽しい時間を過ごした。

と言ってもほとんどは電話でのたわいもない会話だ。


海外のアーティストがその町で公演あると必ず行った。

その時には彼女はこちらに来て市内のホテルを取るか、うちに泊まったりした。




ボビー・コールドウェル、ボズ・スキャッグス、シャーデーなどなど。

みな、見ておいて良かったと思える面々だ。

すべて彼女の希望だった。 今ではそのことにとても感謝している。

ひとりではとても行かなかっただろうから。


そういうわけで彼女との思い出で、嫌だと思ったことは一つもない。

その意味でも感謝しかない。




しかし、後で登場する人達はみな判で押したように彼女のことを嫌った。


何故だろうと思う。 色々想像してみたけど結局納得できる答えは見つからなかった。


その人たちは一体彼女のどこを見ていたのだろう・・・。






ところがしばらくして年末が来た。

彼女の家はしきたりがいろいろとあるようだった。

兄弟たちも帰って来て、家族全員での時間を過ごす必要があった。



それで大晦日から正月明けまで電話が出来ない状態になった。


彼女との電話での会話が日課となっていた私は、この時彼女と話せないことでとても孤独に感じたl。

というのも前に書いたように、以前の仲間との交友は途絶えていたし、気軽に声をかけられる知人もその時にはいなかった。

まともに話せる相手といえばその頃は彼女しかいなかったのだ。


一日一日と孤独感は強くなり、耐えきれない状態になった。



それで明けて93年の正月明けに、2shotにかけてしまった。

契約を解除して掛からないようにしていたのを、NTTが新年明けて営業を始めるのを待って、わざわざ開いたのだ。


とにかく誰かと話がしたかった。





そこでつながったのがMicaだった