昔の日記にも書きましたが、尊敬する福島正伸さんの言葉の一つに、

『私は講演会の前にやることがあります
 それは、お客様を大好きになることです』

-福島正伸さん



というのがあります。
福島さんの言葉は、どれもこれもどれもこれも”ものすごい”のですが、この言葉も、

「ぉおお~~~~~~~~・・・・・・」

としびれました。





さて、最近、「奉仕」シリーズが続いていますが、今回もです。
(毎回、一つの気付きに対して書きたいテーマがたくさん発生したりするので、削ぎ落とすのに苦労します)






奉仕。
貢献。
人のために。
誰かのために。

なぜそんなことをしたいと思うのだろうか。



具体的にどんな奉仕か。

例えば、家猫のクゥちゃんが喜ぶことを、してあげたいと思う。
なぜか。くぅちゃんのことが好きだから。

例えば、母の腰を揉んであげたいと思う。
なぜか。親への愛情を持っているから。


何かの見返りのために?
世界は重層的だから、暗にそれもあるのかもしれないけれど、そんなに難しく考えずとも・・・、そうなんだから仕方がない。湧き上がる思いに正直に生きるのがいい気がする。




しかし奉仕をしたいその対象には、自分にとって共通点があると思う。

それは、一言で言うと、その対象への愛を持っていること。



人間誰でも、嫌いな対象のためには奉仕をしたくない。
もちろん僕も。当たり前。

そして、人間誰でも、好きな対象のためには奉仕をしたい。
喜んで欲しい。

奉仕をしたい。つまり自分はその対象を好きなのだ。
奉仕をしたくない。つまり自分はその対象を嫌いなのだ。
その対象は、自分自身も含む。




例えば、世界中に奉仕の輪を広げていったマザーテレサは、世界を愛していたのではないだろうか。世界を愛していたからこそ、世界のために奉仕したかった。


世界を愛せる深い人間性に、憧れる。
全てを許し、受け入れ、感謝する大きな器に、憧れる。

すっごいなぁ、と思う。
そして人は(自分は)変われると信じている(認識している)ので、自分もそうなりたい。
ただそれだけ。




世界に奉仕していきたい、というよりも、世界を愛することを、追求していきたい。


手を伸ばして寝るくぅちゃん
この毛布にくぅちゃんを置くと、かなりの確率でモミモミしだして、そのままビヨーンと手を伸ばしたまま寝てしまいます。



◆◆◆◆◆
10月:29.2km/84km 10月13日朝

2014年:1048.8/1000km
総計:3058.9/10000km(2012年~2021年末まで
クマ~!



個人的な繋がりで、尊敬している人以外で、一般(世間で有名な)の方で私が最も尊敬し、生き方の指標とさせていただいている方が、福島正伸さんです。


先日、「特殊ステータス『奉仕』」という日記を書いて、その中で奉仕を意識するキッカケは「思考は現実化する」という書籍だ、とお話しをしましたが、日記のテーマが分散してしまうので書きませんでしたが、実行の巨大な契機となり、今も大きな力をいただいているのは、この福島正伸さんです。

(ところで、元々、奉仕したくてたまらなかったわけではないのです。
ただ、「そうなりたいな」という想いがあることに気付き、そうなれるように生活の仕組みを工夫したり日々修練していたら、そうなってしまったのです。)



○株式会社アントレプレナーセンター
http://www.entre.co.jp/

このHPの存在を知り、内容に衝撃を受け、隅々まで読み、同時に福島さんの本は全て購入し、全て座右の書になっています。「7つの習慣」に次いで、何度も読み返していますし、一生、定期的に読み返していきたい本です。


世の中に、生きる指標にさせていただきたい人が何人かいる中で、具体的な指標にする仕方にもいろんな種類があると思っています。元々豪快な人が優しげに振る舞っても不自然ですし、元々温和な人が豪快に振る舞ってもちぐはぐになってしまうと思います。具体的には、

・畏怖・学びの対象の人(あの人ならば)
・恩返ししたい人(あの人のために)
・共に世界を切り拓いていきたい人(あの人と共に)
・私のあり方の具体的な理想系(あの人のように)


等。
福島正伸さんは、「あの人のように」なりたい人です。
一言で言うと、”全てを受け入れる巨大な器”です。





さて、前置きが長くなりましたがようやくこの日記の本題です。

本当は国際機密であり、あまりこういうところで言ってはいけないのですが、この中で、

「国際救助隊」というのがあります。

これが私が奉仕をすることがとても喜びになった原動力の一つです。
これ以上は言えません。


ということで、国際機密を知らない方にはわかりにくい日記になってしまいましたが・・・、



~シャケ!


クマとシャケ



◆◆◆◆◆
9月:87.5km/84km 9月30日夜
10月:15.0km/84km 10月3日夜

2014年:1034.6/1000km
総計:3044.7/10000km(2012年~2021年末まで
私の人生は、ドラクエ型人生なわけですが、日々の生活の中で随所にドラクエが潜んでいます。

まず私はステータスを持っています。

HP、MP、ゴールド、経験値、知力、筋力、体力、素早さ、運の良さ・・・。
他にもよく意識する独自なものとして、意志力、人間性、奉仕。
他にもいろいろあります。(未来のGoogle Glassでは、こういうステータス情報をバーチャルに付加して人生がリアルドラクエになったら面白かったり。)

人生に深みと拡がりを掛け算で持たせてくれるものとして、家族、仕事(職業)、特殊能力、仲間等々。武器は事業(仕事・職業)、防具は・・・?

そして、日々、短期、中期、長期、超長期にいろんな物語を発生させたり発生したりして、それをクリアしていきます。例えば3年目に突入した早朝ジョギングは、日々意志力、体力をピロリロリーンとアップさせてくれます。”ミッション・ステートメント”の実践は私の人生の長さと等しい最も長い物語です。





さて、そんな中で、1年位前に、

『思考は現実化する』 ナポレオン・ヒル著

という超有名な本を、(たぶん)再読したのですが、その中で超印象的な項目がありました。
それが『奉仕』です。1日1時間は、自分の給料にならないことをやるという。つまり”誰かのために”自分の心身を使う。


●P416
『プラスアルファの魔法。
常に、報酬よりも高い仕事をしよう。
そうやって培った信頼という種は、もっと大きい収穫をもたらしてくれる。 』

●P425
『1日1時間、給与の対象となっていない仕事に従事することだ。
そうすれば、単に義務を遂行しているだけから得る収入よりも、もっと大きな収入が得られるのだということを常に心がけておくべきであろう。 』


これにビビっときたのでステータス”奉仕”が追加されたわけです。


例えば、日々具体的に実践していることは・・・、

・神社、ほこら、ご先祖のお墓の掃除
・母の腰や肩を揉む
・家や外でトイレに入ったら、必ず入る前よりも少し綺麗にして、ティッシュペーパーは三角折りにして出る(笑)
・その他どこでも気がついた汚れやゴミをササッと処理
・自分が話すより、人の話を聴くことを意識する
・車運転中、狭い道だったり、車線に入りたい車や右折したい対向車や後ろから煽る車がいたら譲る
・もちろん、「ありがとう百萬遍
・買い物等、自分がサービスの受け手の時、お店の店員さんを尊重する
・地域の自治体活動、地域貢献活動
・人の仕事の手伝い、協力
・自分の各ステータスアップの修練全般
 (それにより奉仕する力自体がアップする)

楽しくて気持よくて仕方がありません。

さらにまだまだできていない、もっともっとやっていきたいことは、

・人に感動と喜びを提供しまくる
(どうやったら感動を提供できるかを四六時中夢中で考え実践する生き方)
・上機嫌な雰囲気
・商売をどんどん大きくして奉仕する力を拡大させる





さて、そんな中で、ちょっとした気付きもありました。
ある人がちょっと気遣いがなく、私がそれで手間暇がちょっと増えてしまうことがありました。
この時「そうか!」と。
その人のちょっとした、例えば10秒かかるだけの気遣いで、私のそれをカバーする手間暇(10分)の時間は他のことができた。逆に言うと、自分が生活の中でちょっとした数秒の気遣いをするだけで、それに何倍かする時間を他の人は費やさずにすみ、大げさに言うとその分それぞれ自分の使命に集中できる。それに気づいた時、自分も気遣いのなさやミスでたくさんの手間暇を人に負わせていたことに気づきました。

自分の数秒の気遣い、配慮、奉仕によって、その何倍かの他の人の時間を生むことができる。
これを人類全員がやったら。




ちょっとした奉仕。
日本は、世界でダントツに他者への気遣いができる国だと思います。
綺麗なトイレ、スタジアムでゴミを拾って帰る、東北大震災時の電車の待ち行列・・・。
日本独特の歴史的経緯や土地柄などがあるかもしれませんが、これは文明の成熟と比例して洗練していくものという感覚があります。

元々人類は、法もなく、殺し合いや理不尽が世にまかり通っていました。
そして徐々に法ができ、科学が発展し、倫理感が高まっています。

日本では江戸時代の閉ざされた村社会の中で、自分の行動が世間に筒抜けであるため、良い意味で気遣いの文化が発展したのかもしれませんが、これからの地球は、人口が100億に近づき、情報流通がさらに活発になるため、江戸時代の日本のように、狭い地球の中で”変なこと”をするとすぐにそのあり方が拡散していきます。そのため、人と情報であふれる世界の中で、世界全体で他者への気遣いや配慮が必要になってくると思っています。

この地球での次の100年は、言ってみれば『相互奉仕社会』 が実現していくのではなかろうか。




奉仕は掛け算。
奉仕は魔法。
自分のあらゆるステータスをx2、x3してくれるだけでなく、自分が費やした奉仕の時間に対してそれに関わる他の人は何倍かの時間や豊かさを獲得できる。

自分のあらゆる行動に”奉仕”という魔法をかけて、この世界で、一隅を照らして生きていきたい。




ほこらの苔_201409

ものすごーく地味に、苔庭も発展しています。



◆◆◆◆◆
9月:82.4km/84km 9月26日朝

2014年:1014.5/1000km
総計:3024.6/10000km(2012年~2021年末まで
最近、Twitterで、こんなリンクを貼っている人がいました。

●ナッツを抱えるクマさんクッキー
http://bit.ly/1hF2oFU



これ見た瞬間、何はともあれお菓子好きな友人のことが頭に浮かび、

「喜ぶかな~?でも食いしん坊(嬢)だからもう知ってるかな?」

と思いつつ伝えてみました。


案の定?反応してくれて僕も嬉しかったんですが、ふと、

「そういうことか~」

と気付きが得られました。


【それを好きだと公言している人のところに、それの情報が集まる】


私がとても尊敬する経営者の方が、

「商売を始めたら、ドーンと大きく看板を掲げよ」

とおっしゃっておられましたが・・・、純粋な心で、欲しいもの、やりたいこととかの望みがあったら、遠慮無くバンバン公言するのがいいですね。



とはいえ一つ、自分がこういうあり方でいる時に同時に気をつけよう、と思ったのが、

「もう知ってるよ」

という”姿勢”でいると、

「もう知ってるだろうな」

と思われ、遠慮され、そこで止まってしまう。その食いしん嬢はオープンマインドなので遠慮無く伝えることができたのですが、もし自分がいろいろ知っているとしても、

「何でも学び。全ては教師。教えてくれてありがとう!」

と、まるで始めて聞いたかのように感動し、教えてあげようと思ってくれたその想いとご縁に感謝しつつ、オープンマインドな姿勢で常にいよう、と。
つい知ったかぶりしたり、メリット・デメリットで評価してしまったりしてしまうんですよね。自分を偉く見せたり効率ばかりで生きるのは、たぶん長い目でみて自分の尊厳を中から毀損してしまう気がする。大事なものが何か、常に見つめていたい。




ということで、公言することで情報が集まり、ますます好きになり、周りからそのように認知もされるのでさらにその気になり・・・、そうやって、使命にまで発展していくのでしょう(大げさ)。





神龍
龍が好きなんですが、甥の悠矢(中2)に昔そう言ったら、神龍くれました。




◆◆◆◆◆
8月:99.5m/84km 8月31日夜
9月:29.4km/84km 9月9日朝

2014年:961.5/1000km
総計:2971.6/10000km(2012年~2021年末まで
先日、ジョギング中に立ち寄るほこらで草むしりしていた時のこと。

ちょっと大きめの草をむしった瞬間、「チクっ!」とやられました。
トゲのある草ではないので、「虫だ!」ととっさに手を引いたんですが、指を見たらちょっと赤く点ができていました。

トゲが刺さったくらいの感じなので全然問題なかったのですが、、、それから、草をむしる時には、その時のトラウマ(というほどではないですが)から、むしる時にちょっと「大丈夫かな?」と1mmくらいの心配と一瞬の躊躇が入るようになりました。




そこで気付きが。

これが「心配」や「不安」の原点なのだ。
生き残るために生物が獲得した、「失敗」に対する防御機能なのだ。

動物も、命が脅かされた経験を覚えていて、同じようなシーンになると逃避体制に入る。



さてここで、「チクっ」を「心配」する僕の行為は、馬鹿らしいのだろうか。
確かに再度起こる確率は小さいので、毎回毎回必要以上に怖がって、ましてや草むしりをやめてしまうのは何だか逃避し過ぎな気がする。
要は「失敗」の経験を生かして、軍手をするなり、ササッとむしってしまうなり、刺されてもいいやと開き直るなり、何らかの対処をすればいいだけの話だ。

「心配」は、活かせばいいのだ。
それに振り回されて自分を生きにくくしてしまうのは、本末転倒だ。



こんな言葉を思い出しました。


「感情は、良いサーヴァントであるが、悪いマスターである。」
(第8の習慣(フランクリン・コヴィー著) P273)


感情は、素晴らしい従者であり、それによって素晴らしい人生を満喫することができる。
しかし、感情が自分の主人になった時、感情に振り回され自分が傷つく。




この世にある全てのものは、自分にとって薬にすることもできるし、毒にすることもできる。
例えば、


・心配

・ストレス

・欲望

・仕事

・夢

・知識

・運動

・人への奉仕

・鬼の金棒

・失敗体験、成功体験、あらゆる経験

・長所、短所

・周りに存在する全て

・自分の身体





この世界に存在するものは全て”手段”であり、己の人生の”目的”の成就のために全てが存在してくれているのだ。相互に。


そんな風に世界と関わり合えたら、と思っています。




尾白の湯

山梨県北杜市にたくさんある温泉のうち、No.1に気持ち良い温泉。
「尾白の湯」。
温泉も、入り方を間違えると湯あたりするので、最近は気持ち良い入り方をマスターしました。



◆◆◆◆◆
8月:81.5m/84km 8月29日朝

2014年:914.1/1000km
総計:2924.2/10000km(2012年~2021年末まで
最近、

●薬品を使わず半永久的に髪色を変えるナノ構造転写技術、集束イオンビームで回折格子を形成
http://japanese.engadget.com/2014/08/04/diffraction-haircolor/?ncid=rss_truncated

こういうニュースが載っていました。
実用化は遥か先らしいのですが。

ファッションもそうですが、老化対策、ひいては永遠の命、という人類にとっての究極のニーズに繋がるものなんだろうなぁ、と思います。



ここで、いつものようにズバッと妄想の世界に入りました。

白髪を黒くする、白髪が出ないようにする、細胞の老化自体を抑える、細胞を若返らせる、もしくは個体の意識を永遠にとどめおく・・・。

しかし、生物というカテゴリに入っている人類は、”新陳代謝”をすることによって時を超えて生き延びているわけで、その新陳代謝が行われなくなれば、進化も起こらず、それは生物の根本的な進化の原則に外れてしまって、永遠の停滞という、究極の部分最適(自分さえよければいい)という破滅に繋がるという直感があります。


ではどうすればいいのか・・・。




生物は、遺伝子等を膜で外界と隔離し自律する”細胞”を作ったところから始まりました。その細胞は、単細胞から、複数の細胞が寄り集まって連携する多細胞生物に自らを進化させたのですが、多細胞生物の個体の生き延び方は2つあります。

・細胞分裂(プラナリアとか)
・生殖細胞を繋いでいく


で、細胞分裂の方は、分裂するたびに細胞自体が新しくリセットされるようですが、人類は生殖細胞をつないでいく方法を選びました。
母の体内で生殖細胞を元にして人体が形成された時、”赤ちゃんの体内”で必ずできるのが、さらにその先の子孫につなぐための生殖細胞だそうです。マトリョーシカのよう。

細胞分裂と違って個々の細胞自体は生まれて死ぬけれども、遺伝子としては生殖細胞(次の人体の卵)をつないでいくことで、常に一定のサイクルで新鮮な個体を維持していく。


さて、

生物が維持発展させていきたいのは何かというと、究極的には遺伝子なわけですが・・・、今までの生物だったらそれしかイメージできないけれど、ヒトという種を得て、ここからさらに億年を超えてさらに生物が進化した時に、もっと発展した何かが見えてくるのではないか、と感じています。



そこで、生物がいるのは宇宙の中であり、宇宙には大きな流れがある中で、”宇宙の目的”を考える。即ち、宇宙はどのような原理で進んでいるのか(つまり宇宙の進化)というと、、、

”ひたすらにおもしろくしていくこと”

が、宇宙の進化の原則ではないか、と思うのです。


宇宙が生まれた時、宇宙内はただのエネルギーの塊。全然つまらない。
宇宙が大きくなるにつれてエネルギー密度が下がりながら、エネルギー密度のゆらぎができる。
温度も下がりながら、徐々に素粒子が落ち着き始め、原子や分子が構成されていき、星々ができていく。
さらに温度が下がる中で、固体が生まれ、ところによっては有機物が形成され、それを材料に有機生命体が生まれる。
その有機生命体がカンブリア爆発的変化を経て、とりあえず地球では様々な生物の中で、最もおもしろい存在(だと主観的に思っているだけかも)である人類が誕生しました。

宇宙は、宇宙の中を賑やかにしたいのではあるまいか。
独りだけで寂しいし。




という原則を照らして見ると、生物の進化系の一つである人類の進化には、

1.遺伝子を繋ぎ発展させる

というおもしろさの他にもう一つ、過去から未来へ

2.情報を繋ぎ発展させる

というおもしろさの追求もあるのではないか。


単細胞生物が寄り集まり、多細胞生物として遺伝子をつなぎ発展させていく今までの多細胞生物。人類は、人と人が寄り集まり・・・組織として連携しながら個人あるいは組織の情報を保存し、掛け合わせ、新しい情報を作り発展させ、それを後世につないでいく。


考えてみたら、蜂や蟻の世界では、生殖を担当しない個体も存在し、分担しながらコロニー(家族)全体でその遺伝子を残す、というやり方も存在しているわけで、その超発展形とも言えるだろうか。人類は情報を遺伝子だけでなく外にも保存し繋いでいく方法を生み出したわけです。





ということで、生物∋人類としてできる、宇宙を最もおもしろくできる挑戦としては、こんな分担で進化しながらやっていけばいいのではなかろうか。

・生殖細胞で遺伝子をつなぎ発展させていく役割を担当
・細胞分裂で遺伝子をつなぎ発展させていく役割を担当
・情報をつなぎ発展させていく役割を担当



”個体として、死にたくない”という欲求が生まれてしまった人間として、全部一人でやるとしたら、、、

体内の細胞分裂で自分の個体は永遠に新陳代謝し維持しながら、自分という意識を保つ脳の情報もしっかり保持しつつ、時々生殖細胞を持つ個体を生み出して(子を生む)、遺伝子の変化を促す。
科学技術を発展させながら生み出される情報を常に格納したり掛けあわせたりしながら、情報をつなぎ発展させていく。





しかしこんなことになったら、人類というコロニーは、減ることがないので数が増えすぎて、物理的に地球ではすぐ飽和してしまいますね。もう飽和しつつあるか。

ということは、現在の物理的飽和の壁をみごと突破し、宇宙にステージを移してさらに繁殖していくか、物理的繁栄はとりあえず地球内で抑えながら、情報としての繁栄をまずは追求していくか、という感じでしょうか。
いずれにしても、私たちの太陽は50億年以内に死にますし、もっと早い段階で隕石が地球に衝突し、”高等生物”が死に絶えるのは必然ですので、地球内だけで細々とやっていこうよ、という部分最適は、滅亡する時に苦しむ未来の人たちに対して無責任ですので、その前に人類は地球外に脱出している必要があると思っています。



~まとめ~


人類は、宇宙内に存在するいろんな形のエネルギーを、”情報”へと変えていく、エネルギー保存の法則を超えた創造の世界を生み出すという、さらなる飛躍の刻を迎えつつあるように見えます。

・人類以外の生物は、
 生きて、”うんこと死骸”というより豊かな物質を出力する。
・人類は、
 生きて、上記+”情報”というより豊かな創造物を出力する。

うんこや死骸が後の生物の肥料になるように、情報も、何らかの形で後の人間を含めた生物に残すことで、後世の生物の生きるおもしろさに活かされ得る。





ということで、とにかく宇宙の意志である、

「おもしろくしたい」

という想いに応えるために、一個体としては

「いろんな事に挑戦していこう!」

と思うのでした。




群馬霊山たけやまの大ケヤキ
群馬、霊山たけやまの大ケヤキ。

こっちを向いてるくぅちゃん
こっちを向いてるくぅちゃん

長野市二郎インスパイヤのまとや
長野市の二郎インスパイヤの「まとや」


みんなかなりおもしろい。




◆◆◆◆◆
8月:52.2m/84km 8月17日朝

2014年:884.8/1000km
総計:2892.9/10000km(2012年~2021年末まで
【ご注意】
ご飯を食べる前は、読まない方がいいです。



~~~~~

3日くらい前の話ですが、台所で出た”野菜くず”などを、畑の肥料作るやつに捨てに行ったんですが、夏のムシムシした気候ゆえに、フタを開けた時・・・、

その中では、ものすごいワンダーランドが展開されていました。
臭いもそうですが、ドロドロに腐りかけた元食材達と、なんといってもハエの幼虫、即ちウジ虫が・・・、無数に、まさに無数に。

うにょにょにょにょにょにょにょにょにょにょにょにょにょにょにょにょにょにょにょにょにょにょにょにょにょにょにょにょにょにょにょにょにょにょにょにょにょにょにょにょにょにょにょにょにょにょにょにょにょにょにょにょにょにょにょにょにょにょにょにょにょにょにょにょにょにょにょにょにょにょにょにょにょにょにょにょにょにょにょにょにょにょにょにょにょにょにょにょにょにょにょにょにょにょにょにょにょにょにょにょにょにょにょにょにょにょにょにょにょにょにょにょにょにょにょにょにょにょにょにょにょにょにょにょにょにょにょにょにょにょにょにょにょにょにょにょにょにょにょにょにょにょ・・・。

・・・と、ダイナミックに入り乱れていました。
風の谷のナウシカのラストシーンみたいな感じです。
まさにうねりの中で喰い尽くされつつある野菜くず達。
こんなにたくさんのオーム達を見たのは始めてです。



さてしかし、不思議と、あまり嫌悪感はありませんでした。
こんな日記を書いたり、また食事前に神棚に皿を置き、こんなお祈りを一年前くらいからしているので、映画マトリクスの主人公にとってマトリックス内の世界が電子の流れに見えるみたいに、最近は目に見えるものが諸行無常に見えたりします。

~~~

本日も、素晴らしいいただきものを、
本当にありがとうございます。

いただきものと、
宇宙の隅々からご縁をいただきここに結集すべくお力添えをいただいた森羅万象に、
感謝いたします。

今いただき、そして融合し一体化していく中で、
相乗効果をもって、
”第3の案”を創造して参ります。

いつもありがとうございます。
おかげ様です。
感謝いたします。

いただきます。

~~~


並行して、森羅万象がこの世界の中で生きて働いて、隅々まで”世界を練り上げて”いく中で生まれて、ここに辿り着いてくれた目の前の食事、というイメージをしながら祈ります。
だんだんイメージが細かくストーリー立ってきたので、時に3分くらい祈る感じになったりして自分でもお腹がグーグーなってちょっともどかしいですが。

ウジ虫君たちがあの中でただ生まれて生きてくれるだけで、いろんなものが練り上げられて、ここではわかりやすく人間にとっては良い肥料として再利用させてもらえる。
強烈な臭いは目に見えない菌たちがそこで生きて働いて食物を腐らせてくれるおかげ。





我々のいるこの宇宙の中では全てが完結していて、モノも出来事も、この宇宙にとってあらゆる事象は無駄にされず活かされていくのではなかろうか。きっと僕の骨も拾ってくれる。


隅々まで配慮して頑張ってくれているこの宇宙の温かさを、じわっと感じるのでした。



畑の野菜_20140727
さすがにうにょうにょの写真は、自主規制しました・・・。




◆◆◆◆◆
8月:26.3m/84km 8月11日朝

2014年:858.9/1000km
総計:2867.0/10000km(2012年~2021年末まで
この日記は、どちらかというとビジネスとか日々の出来事とか世間のニュースとかより、心の中や世の中の原理原則を見つけ出すことがメインテーマになっていますが、今回もです。



竹田和平さんという、日本の個人株主No.1と言われる方が、
「ありがとう百萬遍」
という取り組みを提唱されています。

1年間で100万回「ありがとう」をつぶやくという。
1日にすると3000回、累計およそ30~40分。


いろんな想いから、2013年4月9日から行っています。

●ありがとうの開発
http://ameblo.jp/furuta4521/entry-11528215608.html
●世界一への挑戦
http://ameblo.jp/furuta4521/entry-11546434411.html
●ありがとう2.0
http://ameblo.jp/furuta4521/entry-11622364156.html



で、実は今年の4月9日に、1年間きっちり行い百万回突破し、習慣になったので今もずっと続けています。
年間1000kmジョギングは3年目に突入し、10年で1万キロを楽しみにしていますが、同じように10年間で”ありがとう千萬遍”、続けることになると思います。



さて、ありがとう百萬遍を始めてここ1年半、内面的にも、人とのコミュニケーションの部分でも大きく変化しています。
この取り組みだけでなく、「7つの習慣」(フランクリン・コヴィー氏著)をベースとした様々な修練を並行して行っていて、どれが原因かわかりませんので・・・、確実に「ありがとう百萬遍」にまつわる部分での気付きを2つ。

~~~


1.百万回続けると

ありがとうを百萬遍言うと奇跡が起こる、ということではなく(たぶん)、これだけ地道に続けると、身体にしみつき、口ぐせになり、即ち習慣になる、という感じです。
学問でも武道でも、歴史のあるものには”型”が存在し、数十年~数千年の人類の累積された叡智が”型”として練り上げられ、新しく学ぶ者は、その型を無心に覚えることで、まるで赤ちゃんが母親のお腹の中で億年の進化の過程を経て生まれるように、数千年の叡智を短期間で自分のモノにできますが、同じように人類が積み上げてきた、人生をより良く生きる型、”ありがとうという姿勢”を一生続けていく自動スイッチがONされたと感じています。

ゴジラ松井が高校に入学した時、その恩師が、手の皮がゾウのようになった松井の手に、途方も無い素振りの量を感じたように(http://ameblo.jp/otegami-fan/entry-11901801066.html?frm_src=favoritemail)、またイチローのスウィングが芸術的な美しさを放っているように、これからも何年、何十年とありがとうを重ねたら、”ありがとうの芸術”を体現するような存在になれるのでしょうか。楽しみで仕方がありません。


2.ありがとうを人に向ける

あまり人に話すようなことでもないですし、たいしたことではないですが、日記ネタとして一つ。
私は基本的にシャイなので(笑)、対人関係が得意ではありません。
人の前でしゃべる機会を自らできるだけ作ることで、思い出すだけで今でもビクッとしてしまうくらい散々恥をかきながら、しかしまあまあしゃべれるようになってはいますが、平気なふりをしつつも気の利いたことが言えなくて、基本的によくドキドキしています(しかし話し始めると止まらなくなったりもします・・・)。
要は自意識過剰で自分に向けられる意識に対して過敏に反応してしまう生来の性質があるようです。

そんな時、ありがとうを人に向けることが、絶大なる力を発揮することがわかりました。

人と対話している時、今までは人の目を気にして、「うまくしゃべれてるだろうか」「顔の表情はちゃんとしているだろうか」「不快な思いをさせていないだろうか」と、自分の所作を気にしてしまって、かえって不自然になってしまっていた気がします。自転車に乗り始めた子供のように。対話しているとは言えない・・・。

しかし、対話する相手に、心の中でひたすらありがとうを向けることにフォーカスしながら話を聴くと、自分のことを意識するヒマがなくなり、相手の話す顔や言葉、感情や想いに集中できます。自転車に乗り慣れたら、無意識に乗れて気持よく景色を楽しめるように、自分のことを必要以上に気にしなくなります。



~~~

自分の人生がうまくいくかどうかを考え悩むより、人の喜びのために生きた方が自分の人生がより良くなるケースが多いのは、こういうことかもしれません。

淘汰を経て生き抜いてきた、今生きている人間は全て、人間社会の中でより良く生きる術(すべ)を既に遺伝子レベルで持っているとも言えます。





ということで、何億年もかけて先人達が培ってくれた、既に持っている能力に磨きをかけるべく、さらなる”ありがとう”を積み重ねていきたいと思います。




外を覗くくぅちゃん2


日記に合ういい写真が見つかりませんでした・・・。



◆◆◆◆◆
7月:113.2m/84km 7月30日朝
8月:1.1m/84km 8月2日朝

2014年:833.7/1000km
総計:2841.8/10000km(2012年~2021年末まで
最近、甥の悠矢(中2)が、

「にーちゃん、パソコンの麻雀ゲームやりたい。」

と言ってきたので、フリーの麻雀ゲームを入れてやりました。
TVとゲームと部活(剣道)三昧の生活ですが、麻雀ならば将来も活用できるし良いかなぁと。

それに、雀鬼・桜井章一さんのものすごい生き方に、関心を持つきっかけにもなるかもしれないですし・・・。






閑話休題。

桜井章一さんを思う時、仕事とはなにか、というのをよく考えます。
人気のある仕事、人気のない仕事、表的な仕事、裏的な仕事・・・。



麻雀と言えば、なんとなく健全な世界とは言い難い。
どちらかというと世の中からしたら”裏”的なものであり、陰の存在という雰囲気があります。

しかし、桜井章一さんは、その麻雀を通じて、人の道を説いています。
麻雀を通じて人としてのあり方を、子どもたちに教えています。
「礼儀」「素直」「勇気」「研鑽」「調和」・・・。

「雀鬼会オフィシャルサイト」
http://www.jankiryu.com/jankikai/


桜井章一さんの周りだけ、麻雀は人としての生き方を追求するための手段になっているようです。
世界を変えてしまった。




ゲーム。
ゲームといえば、なんとなく健全な世界とは言い難い。
どちらかというと世の中からしたら”無用”なものであり、アウトサイダーな雰囲気があります。

しかし、世界の格闘ゲーム界で知らぬ者のいない日本人がいます。
梅原大吾さん。

彼はゲームを通じて、人間の道を追求しています。

「勝ち続ける意志力」梅原大吾著

梅原大吾さんの周りだけ、ゲームは人としての生き方を追求するための手段になっているようです。
世界を変えてしまった。





様々な分野での有名な人たち。

奇跡のりんごの木村秋則さん。
野球のイチロー。
岡本太郎。

全く世に知られずとも何かを追求する無数の、無名の人たち。





どんな仕事がいいのだろうかと考える。
夢を実現したいと思う。
理想の生き方を追求する。
使命を追求する。
道を究める。



それは、何をやるか、よりも、どうやるか、なのかもしれません。





窓の外を背伸びして覗くくぅちゃん
窓の外を背伸びして覗くくぅちゃん。
文章とは無関係です・・・。


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6月:84.6m/84km 6月30日朝
7月:60.6m/84km 7月16日朝

2014年:777.4/1000km
総計:2790.5/10000km(2012年~2021年末まで
よく、成功したいのならば成功者のマネをしなさい、と言われています。

人類史上、全く新しい分野、例えば、

・木村秋則さん「奇跡のリンゴ」(無農薬リンゴ農家)
・梅原大吾さん「勝ち続ける意志力」(プロゲーマー)


のような道無き道をゆく場合には、人類の進化の尖兵として、己の信じるままにあらゆる手法を考え総当りで試行錯誤を繰り返していくしかありません。

しかしそれに続く人たちは、いわゆる人類の文化の蓄積として、その成功するあり方を学び真似び、あるいは活用することで、より早く同じところに到達することができますし、それによって、さらに新たな地平を自分の代で開拓することができるのだと思います。
生物の進化も、人類の文明の進歩も、そうやって地道に蓄積されてきました。

なので、(まずは)既存の分野で成功したい場合には、その分野の尊敬する先達の一挙手一投足を、まさに盲目的に真似し尽くせば、あっという間にその分野であるレベルまでは到達できる、とわかっているのですが、僕は考えすぎる傾向にあって、どうしてもその意味を考えてしまったりします。というより、そういうのを考えるのが楽しいのです。目標達成のためにはものすごい非効率で、面倒くさい奴だなぁと感じていますが、そういう性格なので仕方がありません。





さて、ようやく本題です。


よく、成功するためには、

「目標を明確にしよう」
「願いが叶った時の”カラーイメージ”を想像しよう」
「まさに現実になったかのように事細かくイメージしよう」


と言います。



私はコケが大好きです。
http://ameblo.jp/furuta4521/entry-11817203109.html

ジョギングで寄るほこらの境内を京都の苔寺の庭のようにするべく、ジョギングがてらせっせと整備しているんですが、まさに、今は何の変哲もない境内にじーっと佇んであるべき理想の姿になった苔庭を妄想してニヤニヤしたりしています。

もし時間があるのならば、おそらく何時間でもその庭でじっと妄想したり、草をむしったり、コケや植物を移植したり整備したりする自信がありますが、これもまさに、理想のカラーイメージを持っているからこそできていることだと思います。

なので、この成功法則はかなり得心しているんですが、別の角度から、この成功法則を身体感覚として納得することができる瞬間がありました。




Twitterである人(@galois225:数学者:辻元さん)が、こんなつぶやきをしていました。

「共同研究が、進展したので、帰りに、ピアノを1時間ほど弾いて帰った。1時間9.5ユーロ。パリはピアノを貸してくれるところがあるので、本当に有難い。3日間、ピアノに触らないでいると禁断症状が出るので、カナダに行ったときには、教会のピアノを弾かせてもらったこともある。」


これを読んだ時、なんと私も、ピアノの禁断症状を感じてウズウズっとしてしまいました。
私はピアノは猫ふんじゃったくらいしか弾けないんですが・・・。

これを感じた時に、「あっ、そういうことか!」と気づいたのです。







ピアノが弾ける人は、ピアノを介して思う通りの音の旋律を奏でることができる。
ピアノが手元になくても、頭の中だけで極めてリアルにピアノを引くことができる。
そのイメージを実現したい!となる。




これはもしかすると、例えば飛行機を実現したライト兄弟も同じなのではないか。

空を飛ぶ鳥がいる。
その当時のいろんな技術を組み合わせ、作った飛行機で、鳥の如く飛んでいる自分たちがありありとイメージできる。
だから、禁断症状のピアノ奏者のように、早く作りたい!飛びたい!イメージの通りに現実を作りたい!そしてそれは当たり前なのだ!!

そんな禁断症状的感覚が、湧き上がる想いとしてやむにやまれぬ行動をかきたて、そしてイメージを実現していったのではないか。
大きな何かを成し遂げた人の行動の源泉には、人類の大脳新皮質では説明できないものを感じる。




例えば、”幻肢”という症状がある。腕を失った人が無い腕の先に”うずき”を感じる、という症状。
脳には失う前の”腕の地図”ができている。脳にとっては腕はまだ存在しているもの。言い換えれば、明確なる腕のイメージができている。だから、腕があるかのごとく、うずく。
「そこにあるのだ!あれ・・・ない?おかしい!」といううずきを覚える。





ピアノ奏者の禁断症状。
ライト兄弟の止むに止まれぬ想い。
幻肢のうずき。

これが、「目標を明確化しよう」という成功法則の正体ではなかろうか。
これが、成し遂げた人たちが大なり小なり実際に感じていた身体感覚ではなかろうか。





切れて無くなってしまった”幻肢のうずき”は、二度と現実化できない。
うずきを止めるには、脳の方で無かったことにするしかない。

しかし、なんと自分の人生の”理想のビジョンのうずき”は、現実化できる。
その有り難い幸せを心から感謝しながら、うずきを解消する喜びを満喫していきたい。

京都の苔寺(西芳寺)
http://sakuragai6.kyoto-tales.net/2008-06-13-277

京都の苔寺こと西芳寺。
うっとり・・・。


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6月:84.6m/84km 6月30日朝
7月:2.2m/84km 7月1日朝

2014年:719.0/1000km
総計:2732.1/10000km(2012年~2021年末まで