長野県の箕輪町というところにいます。

ふと通りかかる神社につい寄るんですが、
この街の神社の、鎮守の森の木が強烈に太い。

日本全国神社の境内の広さと鎮守の木々の太さが結構、
比例関係にあったりしますが、
箕輪の神社の境内自体そんなに広くはないのに、
びっくりするくらい木が太い。
たぶん東京23区内には絶対にない太さ。

小さいころからぶっとい木の根が好きで、
たくさん描いた絵の多くに、木の根が入っていますが、

この街はなんかいいぞ。





さて、全然関係ないですが、


以下の3人に、
力関係があることに気づきました。



・グー:まいどおなじみの甥の悠矢(小5)

・チョキ:悠矢の連れてきた猫(ク~ちゃん)

・パー:僕



●グー対パー
どうやら悠矢は、僕には弱い。
僕がふざけて何かの刑(くすぐりとか電気あんまとかデコピンとか)をやろうとすると、
「きゃー!」とかいいながら大阪のボケとツッコミのように、待っている。


●チョキ対グー
ク~ちゃんは、悠がいなくなるとすぐに切なく鳴いたり、
でも一緒にいる時はいつも悠矢にもてあそばれて、
ひどいことされても切なく、力無く鳴くだけで、
半ばあきらめている。


●パー対チョキ
僕は、ク~ちゃんのことをこよなく愛しているのに、
なでてる(なでまくっている)だけなのに、
最後はいつも怒られて時々引っかかれたりする。
ひどいことをしている悠には怒らないのに。





愛?をより多く向ける方が、
どうしても弱くなるんだろうか。



でも、愛が欲しいからと、
駆け引きなどせず、
テクニックなどに頼らず、

愛を注いでくれるからと、
慢心せずに、


ででんと自信をもって思いをそのまま表現し、
そしてそれに誠実に反応してくれる、


そんな素直で力強い関係が好きだ。

お金の流れを意識するための、
言語化日記です。





自分を磨き、
何によって、人が真に喜ぶかの見識を深めていく。

その見識に基づいて、
人が喜ぶ、もの、サービスを提供することで、
対価としてお金を得る。


そして、

自分を磨き、
この世界で、”素敵なもの”とはどんなものか、
の見識を深めていく。

その見識に基づいて、
一旦預かった、
提供した喜びの量に相当するお金を、
自分が素敵だと想うモノや事や人に使う。

素敵な製品やサービスを対価としていただいたり、
尊敬する人たちが困った時、
もっと力が必要な時に、奉仕するためなど。


すると、

それによって、自分がとても喜び、
次のさらなる行動へのエネルギーをいただきながら、

素晴らしい製品やサービスを提供してくれた人、
尊敬する人たちが、
力を得てさらに発展する。



そうやって、増幅されながら巡り巡ってきた、
いただいた行動のエネルギーを使って、
さらに、社会に対して喜びを提供してゆく。

そして、
提供したものの対価としてお金がもっと集まり、
もっとできることが増えていく。

できることが増えれば増えるほど、
もっと多くの人の喜びを拡げていくことができ、
自分もますます磨かれ、
見識も深まり、


そうするとさらに、
喜びを相乗効果的に拡げる力が生まれていき、
”素敵なもの”が拡大・発展していく。




”仕事”や”お金”とは、
なんと素晴らしいものだろう。


これはなかなかおもろい一言でした。

茂木健一郎さんより。


『グローバル化の世界では、他者に何を差し出すかが全て。
いろいろ問題はあるにせよ、
身内のゴタゴタをメディアが延々と報じ続けているのは、
自分の排泄物を顕微鏡で見ているようなもの。
少しずつでも、日本の良いところをメタ認知して、
「はいこれ」と差し出せたらいいと思う。』




家猫がうんこする時の、真剣な顔を、
決定的瞬間として写真に収めたい昨今ですが、

うんこにフォーカスして”猫はきたない”と断じないのと同じように、


自分は、まず、自分の良いところを見つけて、
一事が万事、どんなことでも、
良いところを探すパラダイムを身につけていこうかな。
小学五年生の甥の悠矢から電話があった。

「ねぇお兄ちゃん、僕、足骨折しちゃった。」

「え! あっはっはっはっはっはっはー!!ワンパクだなぁ、痛い?」

「うん。ハクリ骨折だって。」


普段から田舎を飛び回ってしょっちゅう傷作ってるし、
なんか声が元気だったので、
開口一番つい大爆笑してしまいましたが、

よく考えると、労りの言葉も言ってないし、
爆笑から入るのはいかがなものか。


いずれにしても、
子供道をひた走って、
いろんな儀式を通過していく悠を見るのは、
楽しいです。



翻って、自分も、
自分道をひた走って…、
これからも、
どんな儀式が待ち受けてくれているんだろうか。

力の限り、
ワンパクに生きたいものです。

昨日、
滋賀県で開催されたある会で、
僕は長野から、
ある親しい友人は東京から別々に行き、
その会の間の、丸一日間、
一回すれ違った時に、
ちょっと話すタイミングではなく、

「あ、こんちは~」

と言ったきり、そのまま一度も話さず、
顔すら合わすこともなく、
それぞれ東京と長野に戻りました。




一ヶ月ほど前、ある別の親しい友人と、
「じゃあ、来週のどこかで、
 名古屋でラーメン食べましょう。」
ということになり、
相手から連絡を待つことになりました。

しかし、その週、
スケジュールをできるだけ空けて待っていましたが、
一向に連絡が来ず。
今もまだ、連絡無し(笑)。




情が薄い、ということでなく、
いいかげん、ということでなく、

そんな細かいことで、
針の穴ほどの疑いも、
嫌という感情も、
今後大丈夫だろうかという心配も、

微塵も感じられない、


「適当だよなぁ、お互い」
とむしろ笑いさえこみ上げる。

どんな風にチクチク突つこうかと
考えるのも楽しい。



皆、普段、仕事や人間関係で、
とても信頼感も責任感もあって、
真摯に生きていることを知っている。




なので、
こういうところで、
むしろ、気を使わないでくれることが嬉しい。

そんな根元の信頼でつながった、
無条件な友人関係が好きです。
Facebookで友人が、
自分と向きあうために滝行に、と言っていて、
ふと思いました。

自分と向き合うってなんだろう。


自分はどう生きたい?どうありたい?
ということを自分と本音で語らうことかなぁ、
と僕は思いました。


それを導きだすために、
以前、以下のようなことを考えました。

よくあるやつです。
映画にもなったり。

しかし、何となく、でなく、
だいぶ、何日もかけて、人間の想像力と良心をフル活用して、
感情を込めながら、心の動きまで感じながら、
その人生を仮想体験してみました。



1.
『現状で、あと一年の命とわかったら、この一年何をするのか。』


脳みそをフル回転して、
脳みそのフルダンプ(思ったことを全て書き出す)
してみました。

→大量に浮かんだものを、余分なものを省き、
 最後キーワードでまとめると、僕の場合は、
 ”愛する人達、奉仕”、でした。


2.
『あと一年の命で、且つ、完全に無制限に使えるお金、
例えば1000億円を持っていたら、この一年何をするのか。』


お金の条件を付けたのは、多くの人にとって、
これによって人生に大きな制限がかかっているからです。
(というか、僕のパラダイムにお金が大きな影響を与えている
のかもしれませんが)

もし、余命一年を宣告され、
且つ、庭から徳川埋蔵金が発掘されて、その一部の、
1000億円が自分のものになったとしたら、

明日、朝起きた時、
いつもの電車に乗るのか、
1年間、やっぱり今までと同じことをするのか、
自分はどこに行くのか、
誰に会うのか、
何をするのか、
どんな1年の計画を立てるのか。

→これも、1と同じで、
 ”愛する人達、奉仕”でした。
 ただ規模はでっかくなりましたが。


3.
『完全に無制限に使えるお金を得て、且つ、
寿命まで、例えば80歳まで、完全に自由に生きていいですよ、
という状態になったら、自分はどう生きるのか。』


以前、大前研一さんの映像で、こんなのがありました。
『日本経済メルトダウンの危機!大前研一 家計と個人消費の現状』
http://bit.ly/jUDnSf

いわく、
・老後はとても長い。
・老後のためにいかに節約するかではなく、
・老後どう生きたいか。
・20の趣味を持とう。

さて、80歳までの数十年間どう生きるか。
今までと同じ明日を、1年を、10年を過ごすのか。

今、やっている、
やらなければならないことを、
一切やらなくてよくなった、
死ぬまでのとてつもなく長い数十年間、
毎日をどう生きていくだろうか。


→これを真剣に考えた時、
 一瞬、虚しい気持ちを感じました。
 だって、打ち込めるもの、想いを込めるものがなければ、
 自分だったら40年間、いったい何をするのか。
 そして結論は、

 僕の場合は、
 上の1,2を含めた上で、夢を追う。挑戦する。
 になりました。

 結果がどうなるかなんてどっちでもいい。
 人生における、最高の暇つぶしです。


4.
『現状、どう生きているか』





今地球上に、
70億通りの人間の生き方が光を放っていますが、

時にこんな、
ストレートパンチャー同士の試合のような、
ど真ん中な問いかけの応酬が、

もやっとしたものを吹き飛ばしてくれる、
キッカケになることも、
きっとある気がします。

現在、塀の中の、

メルマガ 『堀江貴文のブログでは言えない話』

より、共感や気づきなどが発生。

紙袋を作る仕事や、
日常のちょっとしたことも命令されたりしながら、
過ごす毎日を書き綴っています。
以下、抜粋です。



…略…
今日は仕事がはかどった。
んでも、明日は免業指導日なる日で仕事は休みみたい。
ええ!?

…略…
しかし、一日が長いよ。てか、時間が余りすぎ。
本読む時間が山ほどある。
もっと仕事がしたい気がするね。

…略…
しかし、これにめげてはならない。
自分で進んでこの場所に修行に来たと思うしかない。

…略…





最近”仕事”というのは、

世界との関係性の中で、
自分という、世界でただ一つの独自な特徴を持つ個体を、
有効に活用したり育てたりしながら、
使命感やその独自性でもって、
世の中に貢献していくことで、

お金は、それらを水の流れのように、
スムーズに媒介してしてくれるもの、

というパラダイムになってきました。


できる限りの活動で、
人が喜ぶ価値を提供していきながら、
→人が喜び

対価としていただいたお金を、一旦自分の所に集め、
→自分もできることが増えて喜び


さらに、
集まったお金を自分が信じる素晴らしいことや人に使っていくことで、
→自分が使って喜び
使った先の喜びがまた増え、
→人が喜ぶ


人の喜びが自分の喜びに感じられるならば、
喜びはさらに倍。




”仕事”は、否応なくやらなければならないこと、
とかではなく、
自分と世界を活かし喜びを拡げていく、

積極的な、 ”生命活動”、

なのかも、と感じます。




こういう考え方は、
一般的な、よく知られた認識かもしれませんが、

覚醒した、『マトリクス』の主人公の目に、
マトリクスの世界がコンピュータの数字の流れに見えたように、


第三者的な知識としてだけでなく、
世の中の森羅万象の一つが、
実感として自分の体に刻み込まれた感じがします。
長野県は今日も暑いですが、日陰に入ると、
体を通り抜ける風が、とても心地良いです。




脳科学者の茂木健一郎さんの連続ツイートです。

生きるということの「音楽」 ~music~



いやー…、ものすごい。

自分の体、という小宇宙の素晴らしさと可能性を、
即興でこれだけダイナミックに表現する、というのは、
天才というかなんというかすごいです。


神社参拝をした時に一瞬で想像して体験する、
宇宙創世から現在までの宇宙のうねりのような、

あるいは、
地元に、太平洋と日本海に水が分かれる、
”分水嶺”というのがありますが、
滴り落ちた雫が、支流を経て統合されながら海に流れ込み、
そして、また空に昇って雲になり、空を流れ、
風に乗って、山を潤し…というような、
どのタイミングを切り取っても二度と同じ形は生まれない、
調和と流れのドラマを感じました。



恐縮ですが、
完全なる備忘録です。




音楽(1)音楽をあらわす言葉musicには、もともと、「音」という意味はない。芸術の神Museにかかわるもの。だから、天体の運行の妙なる調和もmusicであり、人体の美しい比率もmusicとなる。そのような視点から見ると、私たちの周囲には音楽があふれている。


音楽(2)パウル・クレーは、もともと音楽家を志していた。彼の作品の中には、音楽が流れている。色彩の配置、かたちのバランス、モティーフの混合の中に、何とも言えない素晴らしい調和と響き合いが感じられるのだ。その絵の音楽は、まさにMuseへと至る道筋を示す。


音楽(3)私たち一人ひとりは、楽器を使わなくても音楽家である。しゃべる言葉は、そのリズムやイントネーション、響きを通して音楽となる。言葉の意味だけでなく、印象がいかに人に伝わるか、感じ合えるかと考えた時、日々の何気ない会話が音楽セッションとなる。


音楽(4)朝起きてから寝るまで、私たちは音楽を奏でている。さっと切り替えて、違うリズムで動き始めたり、他人と「話者交代」を通してビートを刻んだり、手足を繰り出す脈動、顔の表情の変化、すべてが比率を持ち、平行するハーモニーがあり、全体として音楽となっているのだ。


音楽(5)脳の中の神経細胞の活動も、また音楽である。その情報処理において、同期や位相が重要な意味を持つ。情報が統合される上でも、a, b, cの順番で到達するのと、a, c, bで到達するのでは結果が異なる。私たちの脳の中には、常に、神経細胞の壮大なハーモニーがある。


音楽(6)頭のいい人とは、脳の神経細胞の音楽がすぐれた人のことである。感性のいい人とは、脳の神経細胞の音楽が光る人である。そのような脳内音楽に、外部からの音楽が入り込み、響き合うことで共鳴する。外から入る「音楽」は、もともと脳内にある「音楽」を補完するに過ぎない。


音楽(7)すべては音楽から始まる。私たちはもっと感覚的でいい。リズムを刻むことに夢中になっていい。生命を止める理屈から自由でいい。他人の音楽に耳を傾け、自分という楽器を響かせることでいい。指揮者のいない脳内音楽に、思う存分浸っていい。時間の進行に没入していい。


音楽(8)私たちは、朝から晩まで、即興演奏を続けている音楽家である。叩いたり、弾いたり、吹いたりしながら、私たちは生き続ける。その過程で文字を生み出したり、作品を残したりするが、それは、私たちの生命音楽の残滓でしかない。肝心の音楽は時間とともに消えてしまうのだ。


音楽(9)生命音楽の記録装置は、残念ながらない。つまり、私たちの生命のいちばんの本質は、流れる時間の中に自ら浸り、動き感じるしかないということ。音楽を奏でながら、音楽に耳を傾けながら、音楽を生きる。演奏を死ぬまで続ける。ミュージシャンばんざい。ダーッといこう。


以上、生きるということの「音楽」(music)についての、連続ツイートでした。
ワタミ元社長、渡邉美樹さんの本で、

毎朝晩、神棚に祈って一日のけじめを付ける、
と書いてありましたが、


最近はほぼ完全に習慣になりました。
朝眠くても忙しくても、
どんなに疲れて帰っても、
まあいいやとせずに、
祈るよう、自分をコントロールできたようです。

あとは意識せずともだいたい”習慣”がなんとかしてくれるということで…。

ほんの小さな、
誰にも命令されずに決めた、
『自分にもできた』感から、
『人生は自分で何とかできる』という、
自分への信頼感に繋がっていくと、信じています。


祈ることは、

・感謝
・商売繁盛
・自分への質問

などですが、

最近のマイブームは、

「人生をもっと素晴らしいものにするために、
 今日できる最も大切なことはなんだろう。なぁ自分。」

と、自分に問いかけます。

良いか悪いかは知りません。
「7つの習慣」を日本に持ち込んだ、ジェームス・スキナー氏は、
どこかで、良いようなことを言っていました。


その他にも、いろんな良い習慣を作るために、
自分にインプット中です。




さて、

今日は天竜川がほど近い、駒ヶ根の辺りにいますが、
先ほど、やけにつばめっぽい声がたくさん響く地域だなぁ、
と思ったら、頭の上の柱にたくさんいました。

まなびーの『ドラクエ型人生』-つばめ


去年も確かつばめの写真を載せましたが、
自分で決めた、自分の人生にとってとても大切なことをおこないながら、

四季折々の日本や、地球の365日を、
体に刻みこんでいきたいものです。
一昨日~昨日は、0泊2日で大阪強行軍。

人生に、”無駄”とも言える余白は大いに必要ですが、
自分で決めた一定期間、
自分で決めた目標を目指して、
全力で自分をコントロールしてそれだけをやり切る時期もあっていい、
と思っていて、今がその時期なので、

自分のコントロールにハリとけじめを付けることを目的に、
勉強してきました。

おかげさまで、
答えをたくさん発見できました。



帰りは、車中泊をすると角膜炎が再発するので、
なんとか眠らずに自宅に帰着するため、
車内で、

ぎゃ~はははははは~!と大笑いしたり(普段は朝やります)、
→一瞬で気合入っていいですよ。むやみに楽しく明るくなります。
  腹筋やノドも鍛えられます。

ミッション・ステートメントを大声で読んだり、
→最近、5年がかりでようやく、読むだけでやる気が内からほとばしる、
 自分の人生のミッション・ステートメントができました。
 (自分のありたい理想の姿を文章にしたものです。7つの習慣ご参照。)

数値目標を大声で叫んだり、

ダンベル運動したり、

普段は全く飲まない炭酸飲料を飲んでみたり。
→どうせなら、新しい体験を、ということで、
 奇をてらってみました。



<ウコンサイダー>
ウコンの味がした。たぶん。
まなびーの『ドラクエ型人生』-ウコンサイダー

…ウンコじゃないですよ。ウコンですよ。



おかげで、21時半ころに大阪を出発し、
深夜2時半に長野の自宅に帰着できました。


夜に家に帰りついたら、最近好きなのが、
車を止めてから5分ほど、背もたれを倒して、
車のウィンドウを開けて、外の音を聴きます。

真っ暗なので、蚊も入って来ないし、
直接当たる風が爽やかで、

深夜なので車も通っておらず、
人工的な音の全くない、
風の音と、

小野という地元地域全体からにじみ出て響き渡る、
無数の虫とカエルの大合唱が体に染み込んでいくのを、
じっと感じたりします。



さてさて、もっともっとやりたいことがたくさんあるので、
もっともっと、人生にとって大切なことにフォーカスして、
毎日を大切にいきます。