前回の日記に登場した、キュウリの苗。

手前のちっちゃいのも、奥にわさーーーっと茂っているのも、
同じ時期に同じように植えた苗(父が)。

$まなびーの『ドラクエ型人生』



しかし、奥の方は、んもう茂りまくれーーっ、
っていうほど茂って毎日30本ほどきゅうりができますが、
手前は10cmくらいの苗のまま、全然です。

意味がわかりません。


たった1,2mの場所の違いだけで、大爆発する苗もあれば、
全く伸びない苗もある。
同じ苗なのに。
ほんのちょっとの何かの条件の違いだけで。


ちょっとの違い。
大きな差。

ここから気づきを得た。





あたかも、
1%のDNAの違いが、巡り巡って脳を育み、
人間とチンパンジーの違いを作ったのと同じように、
ほんのちょっとの条件の違いと、
その繰り返しの積み重ねが大きな違いになるんだろうか。


例えば、

1年365回、30年1万回、毎朝、
ああ…つらい、眠い、嫌だ…、と起きるのか、
なんて素晴らしい朝なんだ!と起きるのか。

世への不満にフォーカスし不平をもらし誰かを憎む一万回と、
自分にできることを積み重ねる一万回と。

疲れた疲れたと自分に言い聞かす一万回と、
嬉しい楽しいやったるぜ!と自分に言い聞かす一万回と。




たぶん、30年たったら、
心の状態も、醸しだすオーラも、人相も、
人生そのものも、きっと大きく大きく違ってくる。


どちらも、同じ潜在力を持つ、同じ自分だけれど、
ほんのちょっとの条件の違い、積み重ねたものの違いで、
実際の世界はきっと大きく変わる。




小さなことからコツコツと、
自分の方向を変える微々たる一歩を、
大事にしていきたい。
今朝。

ちょっと時間に余裕があったので、
裏の畑に行って、
もろキュウ用のきゅうりとミニトマトをとってくる。

$まなびーの『ドラクエ型人生』

日に30本単位でわっさわっさとできて、
油断するとすぐに夕顔くらい大きくなって食べられなくなってしまうので、
小指くらいの大きさからどんどんとってしまう。

$まなびーの『ドラクエ型人生』

絶対に店に出ない、
5cmくらいのちっちゃいキュウリをポリポリ食べる時の
幸せ感はかなりのものです。



そして朝食。

$まなびーの『ドラクエ型人生』



・田んぼで収穫されたお米
・畑で今とってきたきゅうりとミニトマト
・畑でとれた豆から作った味噌
・畑でとれたナスと、裏の牧場で育った豚肉の炒め物
・近くの水源から引かれた水
・裏の牧場で絞った牛乳から作ったヨーグルトに、
 裏の果樹園でとれたカット果物
・庭の油田から産出された原油から作り出したプラスチック容器
・裏山でとれた粘土を練って作った容器
・裏山の木の枝から作ったお箸

(いくつかウソが混じっています)



地球の豊かさと、

ここまでくるのに費やされた全ての手間暇に感謝しつつ、


いただきます。


(長くなるので、気づきは次の日記へ)
先日のボランティアの備忘録です。


被災地の皆さんに配布される、
日用品や飲食物の仕分け作業を行いました。

他にもいろんな種類の作業があったみたいですが、
「この中で一番、人を必要としてる作業どれですか。」
と質問したら、これでした。


体育館で行いましたが、
ここ1,2ヶ月で最も忙しい日だったらしく、
結構体力使いました。

走ってるので下半身は大丈夫でしたが、
普段使わない全身運動になったので、
翌日腕が筋肉痛に。


トラックと体育館間でペットボトル水の入った箱を何往復も移動したり、
所狭しとうず高く積まれていて雑然と並んでいる支援物資の移動や、
袋詰めなど、延々と手足体を使った単純作業です。

全国から、個人や企業からの物資が集まっていて、
体育館中に想いが詰まっている、という感じ。

市内の住民の方が中心になって、
全国から集まるボランティアの人達と一緒にやんややんやと働きますが、
僕が同じ班になった人は、
兵庫大仏の坊さん、愛媛の岡ちゃん似の中学教師、
東京のデザイン系現在求職中、地元の高校生の女の子達。


昼食時、自宅を流された男性の方とじっくりお話しましたが、
「ありがたい。ありがたい。ありがたい。」
こちらが恐縮するほどに、
何回も接続詞毎に、感謝されていました。

なにせ、自分としては、学ばせていただきに来ているので…。
感謝したいのはこちらでした。


ところで、
ボランティアの人達、よく働くよく働く。
僕は結構働き者だと思いますが、
負けず劣らずでした。

そんな性格の人だからこそボランティアに、
ということもあると思いますが、

なぜだろう。


例えば、バイトとして、
全く同じ仕事をやることになったら、
明らかに、どこかしら、
嫌な面をフォーカスしてしまう。
サボりたい、と思うに決まっている作業。

にもかかわらず、

もっと働かせてくれ!もっともっと!
という感じ。

隙をみて、工夫できることを探し、
少しでも荷物をたくさん持ち、
できるだけ早く動き、
スタッフの方々の準備をまだかまだかと待ったりして。



やはりこれは、

”自分の意志で来たから” じゃなかろうか。

100%自分で選び、時間を工面し、
手間をかけて遠くから来ているので、
例えば、こっそりサボるとか、意味がわからないし、
いやだなぁ、と思う余地がない。


形而下学的には、
この世に生まれてきたのは自分の意志ではありませんが、

心から仕事を楽しみ、全てを楽しみ、
人生を楽しんで生きるヒントを、
見つけることができた気がします。





ボランティア後、海岸の方へ行ってみましたが、
写真ではわからない、
非現実的な景色がそこにありました。

良識と先見性と実行力のある人間達によって、
10年後100年後に、

今は破壊され尽くし、
全てが消え去ってしまったその地が、

めくるめく、ワクワクするような地に、
大復興されたらいいなぁ、
と願っています。

「小沢氏、会期末までに不信任案提出の意向 新党・新会派も視野」
http://bit.ly/owOsZs


久しぶりに、
時事ニュース(ホントかどうかはわかりません)入れてしまいましたが、
特にこのニュースに特化した日記ネタではありません。

政治や政治家の方々に対する、
自分なりの望む方向性はありますが、

基本的に、
自分が力を尽くして変えられる範囲を考えつつ、
自分の願望の成就を目的とした時の優先順位を考えると…、




どう計算しても、

限りなく0に近い確率で得ることができた、
二度と無い、貴重な、希少な、大切な、大事な、
この有限な人生を使って、
「あー生きて良かった。」
という感想をつぶやいて天に戻っていくためには、

まずは自分と自分から同心円状に広がっていく人達に対する、
喜びの分かち合いの輪を拡げていくことに、
どうしても集中したいですので、



実は、
こういうニュースは興味は超あるんですが、
フォーカスからは外しています。



自分のフォーカスは、
自分の成長、と、
喜びの拡大、なので、


今の自分への影響、という、
部分最適なメリット・デメリットだけを考えた、
この人好き、この人嫌い、という感情的で反射的な自分の好みとか、
情報ソースの偏りからくる偏見とかの、
自分のネジ曲がったフィルターを全部、
力ずくで外し(たと仮定し)て、

自分にどう生かせるか、というフィルターでのみ、
このニュースを感じた時、

以下のように思いました。




(ここまで前置きです(笑))






前回、前々回の日記の続き的ですが、


小沢さんも、菅さんも、


『これが”小沢一郎”である。』

『これが”菅直人”である。』


という人生を生きている。


自分の人生を、

力の限り表現している。



素晴らしいなぁ。

前回の日記で、


”名前すら必要ないかもしれない。 ”


と書いたのが後から少し引っかかりました。
ちょっと違う。


なので、
1年くらい前に書いてお蔵入りしていたストックから、
日記を探しだしてきました。




★自分の名前★


自分の名前がすばらしいなぁ、と思っていたので、

先日、初めて聞いてみた。

「僕の名前ってどうして、”学”になったの?」

母「私は他の名前にしたかったんだけどね。」

僕「なぬ!?」

母「お父さんが勝手につけちゃったのよ。
  何でも勝手にやっちゃって。」

僕「あはは。じゃあ何てつけたかったの?」

母「なんていうか、もっと画数が多くて、かわいい名前。」

僕「かわいい!?あはははは!」

母「そうそう、確か、お神主さんに画数で決めてもらったんだった。確か。」


僕の名前は、画数のみで決まったらしい。



まあ、この名前になった経緯はおいといて、

まさに、

『全てが学び』


僕の生き方とジャストフィットしていて、

僕は大満足しているし、

これから、死ぬまで磨き続けていきます。
また少しずつ気づきを文章にしたい波がやってきているので、
ひと月ほど前に書いて、
何となく日記に載せたくなかったやつ
(たぶんマイワールドに入り込みすぎているので(笑))
を、気にせず載せます。




先月月初、地元にて。

深夜0時頃、毎月月初の恒例行事の、
神社公式参拝→古田家の墓参り。


墓参り時、ふと、
周りを見渡して、じーっと、
何分くらいだろう、
たぶん30分くらい、感じてみた。

雨が上がった後で、
微妙に森がキシ…キシ、パキ…パキと鳴っている。


1000年だか2000年だかの歴史のある、
古田家の代々の墓が連なって、
鎮守の森に守られている場所。



神社で祈る時、
10分くらいかけて、
100億年の宇宙の歴史から、
自分が誕生し、今のこの時点までを、
早回しでイメージしますが、

その後訪れるこの墓達は、
それまで生きていた人たちが、
骨になって、地球に戻った場所。


今は完全に、土に戻り、
亡くなった本人からしたら、
完全なる、”無”。
彼らに使われた原子は、
今は他の用途に使われている。


では、この人達が、
”生きた”ということは、
どういうことなんだろう。


では、何十年かしたら自分もここに入るだろう自分が、
”生きる”ということは、
どういうことなんだろう。


100年後は確実に死んでいる。

1万年後は、影も形もない。

1億年後は、人類の形も大きく変わっている。

100億年後は、太陽もろとも地球も消えている。

100兆年後は、この宇宙も消えるか力を失っている。


とすると、
自分が生きるということは、
どういうことなんだろう。

森を感じて、
自分を感じてみる。



今、自分は生きていて、
60兆個の細胞が生きていて、
目、口、鼻、耳、皮膚、から世界を感じ、
脳みそで処理したりイメージしたり、
手足などの移動手段で世界を移動したり、
喜怒哀楽、いろんな感情で自分を表現する。


結局、これが全てなんだろう、
意味付けは結局、
誰かや自分が後から作ったもの。


であれば自分は、
今持っている、こういう全てを使って、
どう生きるか。



天意天命に従って生きてもいいし、
誰かの価値観で生きてもいいし、
自分の価値観を追求してもいいし、
誰かが決めた枠に当てはめて生きてもいいし、
枠を無視して生きてもいいし、
賞賛される人生でもいいし、
批判される人生でもいいし、
自分を活かして生きてもいいし、
自分を活かせず死んでもいいし、
何かを成し遂げてもいいし、
何も成し得ず死んでもいいし、


いろんな意味付けができるだろうけれど、

100兆年後の未来からの視点か、
神の視点か、
宇宙の視点か、
何でもいいけれど、
超俯瞰してみると、

結局、どう生きてもいい。
今この瞬間、
そういう事実があるだけ。





そういえば、
岡本太郎が、
「職業は、岡本太郎。」
と、言っていた。

”芸術家”、と言われてなんか全然違う。狭い。
オレはオレを全力で表現しているだけ、
というような話でしたが、



じゃあ、自分はどう生きるのか、
と考えた時、

結局、

『この”古田学”を生きる。』


という結論になった。
名前すら必要ないかもしれない。



で、この己をどうしてくれようか、
と考えると、

せっかくなので、
自分の現在、そして潜在的に持てる全ての力を、
研ぎ澄まし鍛え、存分にフル活用して、


遊園地で爆発的に遊ぶ子供のように、
現世を徹底的に生きる、

という感じになりました。





真っ暗闇のお墓で30分も、
ライトも付けず、
ジーッと佇んで、
ブツブツ独り言を言ってる姿は、
不気味だろうなぁ、

こういうのを世間では”変態”、
と言うんだろうなぁ、
と思いながら、

また一つ自分の根っこを知ることができた、
かなり楽しいひとときでした。

宵の口、

GAGNERフェスティバルの最後のステージ。

ロットングラフティのノブヤが言った。

「もう、いいよ。抑えなくて。大丈夫だから。」


手を振り、足を踏み鳴らし狂喜乱舞する観客席の圧力を、
実は、30人からのスタッフが、柵をステージ側から、
何曲もの間ずっと、
まるでタックルをせき止めるラガーマンのように、
必死に抑えていた。

自分も無心に音に酔いたいのを、
一緒に踊りたいのを抑えて。


でも、
柵を抑えないと、
柵をなぎ倒し、観客が雪崩落ちて大惨事になってしまう。



そのスタッフたちに。

(いや、でも…。)
スタッフたちは戸惑う。


「もう、いいから。大丈夫。一緒に、ステージに上がろう。」




そして。

なんと、柵を抑えていたスタッフ全員をステージに上げ、
最後の曲に。




最も激しく、歌い、そして聴く側も、それを全身で受け止めて、
クライマックス。
全てが一体になった。

もちろん、事故もなく。





スタッフにも思いっきりライブを楽しんで欲しい、という想い。

自分のことだけを考えて、
後ろから前を押したりすると、
前の人が圧力で柵を倒して大惨事になってしまう。
しかし、そんな人は一人もいない、という信頼。

その想いを受け取って、それまで押せ押せだった客が、
激しく音に身を委ねながらも前の人を配慮する。

そんな皆を信じてステージに誇らしく登ったスタッフ。



全員が、”信頼”という絆で結ばれた、
奇跡のような、熱い夜でした。


$まなびーの『ドラクエ型人生』-Gフェス(ファイナル)

成功の形は人それぞれですが、

社会的成功、の一つの形として、
どれだけ多くの人に喜びを与えたか、
あるいは、
どれだけ深い喜びを与えたか、
というのがある気がします。

実業家はもとより、
スポーツ選手、芸術家、etc.




さて、友人達が工夫を凝らして、
いろんな屋台を出している。

腹ごしらえ&応援のために屋台の品を買う時、
気づきが。


・食べ物を一つ買う。
→自分は食べて喜ぶ+店側は売上一つ分アップの喜び

・食べ物を二つ買う。
→自分が食べて喜び、誰かにあげたらその人が喜び、
 店側は売上二つ分アップの喜び。


ということで、いろいろの品を、3つずつ、
買ったりしました。



一事が万事、
世の中でそれをやっていくためには、
もっともっと稼いでいく必要がある。


稼ぐって、なんて素晴らしい。
頑張ろう。
フェスティバル、初めてのスタッフ。
役は、駐車場係でした。

いろんなイベントで、
冬は厳寒、夏は酷暑の中で、
駐車場スタッフが頑張っているのを見て、
尊敬していましたが、
今回これができました。



…と思ったんですが、
僕のターンはピークをかなり過ぎた時間帯だったため、
必要なくなり、他に回ることに。


基本的に、自分の割り当て以外は、
口を開けていても仕事は降ってこないので、
本部に行っては仕事を探し、
チョコチョコ動いていましたが、

しばらくして、
これだ!という仕事を発見しました。


『ゴミ拾い』


隙を見つけては、
通路を端から端まで歩きまくり、

まるで嫁をいびる姑さんのように、
ほんのひとかけらのゴミも逃さず拾いまくり、

あるいは屋台の食べ物飲み物から出る、
次から次にたまるゴミを縛って処理し。





せっかくの学びの機会を最大限活用させていただくべく、
やりきった!と言えるほど、
できることをしようと思っていましたが、



一つだけ自分に称号を与えます。


”このGAGNERフェスティバルで最もゴミを拾った男”




そして、

勝手にゴミ担当の人達に紛れて最後までゴミと格闘し、
屋台から無数に出る生ごみにまみれてバックヤードの苦労を学びながら、


僕的に、最高にカッコいい一日を過ごせたと思いました。




こういう、

ひとつひとつを、積み重ねることが、

少しずつ自分を認め、自分を好きになり、
そんな自分なら成功してもいいよ、と自分で自分を許し、

そして自分の人生が思い通りになっていく幸せにつながる、

とますます信じることができました。
久しぶりに日記書くと、
タイトルにひねりがなくなりますね。



さて、

最近は、自分的に、

『考えるな。感じろ。』

週間だったらしく、
あまり日記な気分ではありませんでした。

とはいえ、ネタは増える一方なので、
最も大きな出来事を備忘録します。



7/23(土)。
夏の代名詞、GAGNERフェスティバルに行ってきました。

第一回:のど自慢に出場。
    2000人の前で、愛を取り戻してきた。
第二回:屋台出店。超うまい餃子を出店した。
    5万円以上の赤字を出し、涙目になった。
第三回:ただの客として楽しんできた。
    完全なる客(ギャラリー)目線も一つの勉強。

そして今回、スタッフとして、
フェスティバルを運営する裏側の経験をさせていただきました。


普段、日常の些細な出来事から、宇宙の法則を見出したり、
宇宙の法則から、生きる上での理(ことわり)を発見したり、
と感性を敏感にしているせいか、

今回、強烈な体験により、
あまりに学びが多かったので、
一日記1,2テーマくらいにしないと長くなりすぎるので、
いくつかに分けて残します。





ところで、

今、風評被害の激しい、
福島の南相馬に来ています。


僕の場合は、ボランティア、は、もちろんそうですが、

二度とないこういう機会の経験を積ませていただきたい、
学ばせていただきたい、
という身勝手な想いから発する行動で、

とはいえ、少しでも現地の役に立ちつつ、
学びの一つとして大いに学んで、
大きくなった自我、じゃなかった、
大きくなった自分の器でもって、
今後、世の中にペイ・フォワードしていく、というのが、
自分のミッションなのですみません。


ということで、すきまができたら、現地の様子を、
気づきと共に日記にしてみます。



戦利品
$まなびーの『ドラクエ型人生』-南相馬ボランティア帽子