友人がしろぬこ(白い子猫)と出会ってしまいました。

しろぬこと出会ってしまった事からわかるように、
拾い主はとても素敵な方ですし(会社時代の同僚の女性(兄妹二人のお母さん))、
そういう人に拾われるということは、
きっと前世が天使級だったに違いないしろぬこです。
(目を凝らせばきっと羽が見えるっ)


ところが、家族にアレルギーの人が二人いるとのことで一緒に暮らすこと能わず、
ということで、どなたかビビッと縁を感じる方いらっしゃらないでしょうか。


うちには、ク~ちゃん(ツンデレ)が既にいるので、
もう一人迎え入れること能わず、なのです。


しろぬこ天使は、まだ手のひらサイズです。
北関東にお住まいです。
たぶん関東圏なら大丈夫かと。

白というか、ピンクです。

http://bit.ly/qbnLVv

小指に、この子と繋がる細い糸が見えた方、
引っ張ってくだされー。
ご連絡くだされー。
『酒と泪と男と女』、みたいなタイトルですが。

ところで、僕が初めて現物を見た芸能人は、
この河島英五さんです。
もう30年以上も前か。
地元のイベントに来て、子供たちの前で歌ってくれてました。

とはいえ、小学校低学年のころだったので、
この歌、理解できるわけがない。
河島さんはどんな気持ちで、
鼻垂れたガキどもの前でこの歌を歌ったのだろうか。





さて、

今回の日記も備忘録的、
そして、かなりあちらな感じの世界の話です。
でもmixiの日記は、
僕の人生の成功の軌跡なので、
あえて載せます。


とはいえ、
最近のテクニカルな面を追求しがちらしい成功哲学や、
精神世界に入りすぎてオカルトチックになってしまってる話ではなく、

スティーブン・コヴィー博士の『7つの習慣』とか、
中村天風さんとか、
人間の根元まで言及した思想とかなりリンクしていて、

根元は全部一緒だなぁ、
と最近感じたりしている話です。



世界の大きな変化の荒波の中で、
自分を見失わずに、
あるいは自分自身も大きく変化していくために、
なんとなく、それを支える、
”変わらない土台”
が必要だと思っていますが、

その土台になり得るなぁ、と思って、
それを明確に意識上に言語化したかったので、

朝早く起きて、
深く考える時に行く、
山の方の、秘密(でもないですが)の場所に行って、
1時間ほど風の音を聴きながら、

最近までの学びをまとめてみました。


★★★宇宙と天と神と己★★★

形而下学的な存在として、”宇宙”が存在する。
そして宇宙は常に変化している。

その上に、
形而上学的存在として、“天”がある。
天は、宇宙という物質的事実に等しい存在であり、
同時に宇宙の”意志”であり、
宇宙に“意味”をもたらす存在である。

その天の中で、万物は”天意天命”に従っている。
それは全て正しい存在である。
さらに、宇宙の変化と共に、
天もより善き方向に変化(進化)していくこともまた、
天意天命である。

そして、
“神”は天意天命を実行するために存在する。
その神の想いが“神意”であり、
天の中において神意を成就するために、
神は“己(人間・古田学・神の分身)”の体を創って、
この世に送り出した。
(以下、”己”というのは全て人間、
僕にとっては古田学のことです)

その己の感ずることのできる世界は、
全て神が己のためだけに作り出した、
神の視点でのパラダイムである。
(パラダイム:7つの習慣をご参照ください)

この神のパラダイムの中で、
何かに対して己が変化を加えると、
それに対して反応が起こる。

その反応は、全て、天意天命に従った、
神意を成就する方向に、世界を変化させる。
即ち己の思考・行動自体が神意成就への変化を促すものであり、
その思考・行動の結果もまた、神意成就に繋がる。

では、己に主体はないのか。
否、己を磨けば磨くほど、
己の起こす変化はより力を持って、
より大きく神意を成就する方向に世界を変化させる。

宇宙の変化、天の進化と共に、
神もまた、自身を磨くことによって力を増すが、
己の成長も、神の進化に繋がっている。


よって、

”神意=湧き出る己の願望”

に基づき、
今日もまた、安心して、人事を尽くそう。

★★★


つまり、あなたも私も、
正しいんです。
大丈夫なんです。
思うがままに生きていいんです。





ということで、
通常の会話の中では、
よっぽど親しくて、
わかってくれる人にしか(笑)、
こういう話はしないと思います。



あと、
神の分身、とかかなり宗教チックな表現ですが、
他にうまく表現できないので使いました。


たぶん、
「7つの習慣」で言うところの、
”原則”は、天。

中村天風さんの言うところの、
”宇宙霊”は、天か、神、

という感じです。

さすが、「7つの習慣」は、
宗教チックな言葉を全て排除してますが、
読めば読むほど根元は同じに感じます。


あと、
宇宙と天と神を分けて定義したり、
天が進化したり、神が成長したり、
というのは、勝手に自分で考えたので、
現在の宗教とかでの考え方とは違うかもしれません。
(80歳くらいになったら神仏の研究でもしようかな。)

僕にとっては、
そう感じるし、
そう考えると都合がいいし、
そう考えると僕のやる気が出る、
ということです(笑)。


ということで、

死ぬまで自分自身の支えになり、
心が揺らいでも元に戻れ、
辛いことがあっても狂ったり道を誤ったりせず、
挫折しても何回でも立ち直ることができ、
どんなに変化しても変わらないであろう、

自分自身の土台がついに明確になりました。

もう、安心して、
どこまででも高く上がれるし、
どんなに遠くにでも行ける。


自分の歴史に残る偉業!(笑)。
たくさんの人からの知恵が全部繋がった感じ!
大感謝!
バンザーイ!
久しぶりに甥の悠矢(小5)です。


甥の悠矢が、


腹が減ったら飯を食い、

もよおしたくなったらドバっと出し、

眠くなったらストンと寝、

踊りたい時に踊り、

気分がいいとはしゃぎまくり、

気分が悪いと静かにし、

一人の時にはゲーム中毒患者と化し、

怒られるとムカつき、

我慢という状態を一瞬でもきらい、

片付けを一切せずエントロピーを一方的に増大せしめ、



まるで動物のように、

快適な精神状態だけを求めて生きている。


時に理不尽なこともあると思う世の中で、

この耐久性のなさに少し心配したり、


周りの人に一切感謝の表現を表さず、

ぞんざいに扱うそんな彼を見て、

ちょっとムカついたりするけれど(笑)、



きっと彼は天才肌で、

うまくすれば爆発的に凄いことを成し遂げる気がすると同時に、


かなりの部分で、僕と正反対な感じがする彼から、

たぶん大きな学びがあるような気がする。



もっと、

何者かが創りだしたコヤツが、

僕の身近にいる意味を、

意識して観察しようと思ってます。

先日、NHKスペシャルで、
『あなたの寿命は延ばせる』


というのをやっていた。



全ての生物には、

”飢餓遺伝子”というものがあり、
ギリギリの状態になると、それが発動し、
生命力を格段に上げる仕組みが備わっているらしい。

あらゆる病気に対する抵抗力を上げ、
細胞のエネルギー産生の多くを司るミトコンドリアを激増させ、
細胞のエネルギー産生効率がよくなり、
細胞の老化の大きな原因である活性酸素と戦う力を上げ、
死のカウントダウンであるテロメアを復活させ、

分かっているだけで、100種類以上の、
死への抵抗の力が復活するらしい。

生物はそんな力を蓄えてきた。



さて、
何億年もの間、
生物は、飢餓と闘ってきた中で、

ほんの、この50年程度で、
脳みそと道具のイノベーションにより、

現代の全人類のほんの10%くらいだろうか、

地球の歴史50億年の中で、
ピンポイントでこの時代に、
しかも人間として生まれ、

日本を含む、一部の超幸運な、
先進国や富裕層のみではあるけれど、
急に飢餓にならなくても済む生物が存在できるようになってきた。

『世界がもし100人の村だったら』
http://homepage1.nifty.com/hiroshi127/100people-2.htm
http://magazineworld.jp/books/special/100people/



しかし、
そんな飽食の我々は、
その遺伝子は通常眠ってしまっている。


そして、億単位で地球に対応してきた体の仕組みは、
このほんの50年の歴史しかない劇的な飽食の時代に、
未だ対応していない。



億年の飢餓ゆえに、
常に腹減った腹減った、
という身体的欲望が止まらず、
生命活動で消費する以上の食料を求め続ける。





さて、人間は、なぜ金を求めるんだろう。


結局これも、お金に対する飢餓の歴史の長さから、
お金欲しいお金欲しい、
という欲望が止まらないだけなのではなかろうか。



でも人間は、
意志と、脳みそのイメージの力によって、
億年の仕組みを飛び越えて、
世界を、そして自らを、
自由にコントロールすることができるようになってきた。




他の生物にはない、
人間独自の、そんな”長所”を最大限活かすことで、

人間がもついろんな原始的な欲望に振り回されるのではなく、
そんな欲望を理解し活かし、全てを”包含”しながら、



世界の中での自分の役割はなんだろう、
心からワクワクあれる人生はどんな人生だろう、


そんな自分への、
素朴な、ゆえに核心的な質問に、
死ぬまで真摯に応え続ける、
そんな生き方をしていきたい。
最近、温泉に入ったあとに気づいたことで。

毎回、湯から出て、ふと鏡を見ると、
ほんのり笑っている。

全く力を入れず、自然な、無心の状態だけれど。



よく、”本当の自分”とか、”ウソの自分”とか、
気にしたり議論になったりするけれど、

どんな状態でも、それは全部自分であって、
どれかが真実の顔、というのはないと思っていますが、

完全に緊張が解かれたシーンでの自分の顔というのは、
ちょっと笑ってる(というか穏やかというか)んだ、
と発見しました。


普段、意識せずとも、
どこかしら緊張してるんだなぁ、と。



もちろん、緊張状態が悪い状態である、と、
偏った見方をするつもりもなく、


時に凛々しく、時にだらしなく、TPOに合わせ(笑)、
いろんな顔で世界を楽しめたらいいなぁ、と、



フリチンで温泉の脱衣所の鏡の前でヒゲ剃りながら、
火照った頭でボーっと思ったりしました。
ふと別所温泉に立ち寄った。

真田家のお膝元、長野県上田市街地の山の方。


夜、温泉街を歩いてみた。

千と千尋の神隠しのような、ちょっと異世界な感じ。

(写メなんで、全然見えないですね。)
まなびーの『ドラクエ型人生』-別所温泉


傾斜と階段の多い、

街とお寺や神社が一体化していて、 

階段を登ったら、

<北向観音>
まなびーの『ドラクエ型人生』-北向観音2


で行き止まりだったので、

雰囲気の良いこの街の開運祈願をしっかりとしつつ。


ところで、観音様って、

仏教?神道?

境内の雰囲気は神社でしたが、

お寺のような雰囲気もあって、どっちでしょう。


まなびーの『ドラクエ型人生』-北向観音1



さて、お湯に入ろうかとまた歩く。


150円の外湯がたくさんあってどれに入ろうか迷ったが、

体をドロドロに熱してから、

露天の床にドベーッと大の字になって空を見あげたかったので、

結局、500円の大きなお湯の方に行った。

<あいそめの湯>
(写真撮り忘れ)

中も外も硫黄のにおい。


時間ギリギリまで寝そべって、

無心になったりいろいろ考えたりしつつ。


すると、心の奥底から、

こんなことしたいあんなことしたい!

というワクワクなマグマがモリモリモリっと湧いてくる。

温泉入ってリラックスするといつもそうです。



閉館の音楽も流れきたし、

さて出るべ、と、

のどが乾いたので蛇口ひねったら、

飲む温泉の源泉でした。

暖かくて硫黄のにおい。


そういえば、北向観音の境内の入口の浄水?も、

手を清めようとつけたら温泉でした(笑)。



地球の裂け目から湧き出るエネルギーに寄り添う街。

ちょっとだけ、堪能させていただきました。
お盆なのでお墓参りに行きました。

少し離れているので、年に数回の母方のおばあちゃんのお墓へ。
この前、5月くらいに行った時に、梨と柿の写真を日記に載せましたが、
結構実が大きくなっていました。

$まなびーの『ドラクエ型人生』-8月の梨

$まなびーの『ドラクエ型人生』-8月の柿



ところで、最近少しパラダイムシフトが。


心理カウンセラーの竹内さん
http://ameblo.jp/takeuchiyosihiro/

がリンクを共有してくださった、

Eijiさんという方のブログより、
http://mixi.jp/show_friend.pl?id=34998590

神社仏閣やお墓参りでの”祈り”について、
ものすごいパラダイムシフトを喰らってしまいました。


曰く、

”祈ること、とは、祈る相手の開運祈願すること”

一言で言うと、
そんな感じです。

一見この文章だけでは、当たり前っぽいですが、
詳しくは3,4年分くらいの過去ブログを全部読んでいただければ。




もし僕が死んだら、やっぱり子孫は気になるし、
自分に力があったらぜひとも子孫繁栄、
頑張ってる人を応援したいし、
好きな人達が幸せになってほしい。

で、感謝される、祈られる、ということは、
力をもらえる、ということで、
例えば、僕がおばあちゃんのお墓参りをすると、
おばあちゃんが天国で、
神としての格が上がるそうです。

格が上がったら力が上がるので、
応援ももっと精が出る。




ということで、タオル濡らしてお墓を丹念に拭いて綺麗にして、
存分に、おばあちゃんの開運祈願をしてきました。

僕が放蕩息子ならぬ放蕩孫でも、
応援はしてくれると思いますが、
僕がもっと精を出して生きれば、
おばあちゃんも、神社仏閣の神々も、
応援のしがいがあると思うので、
自分自身もできることを増やし、
人間性も磨きながら。




現在過去未来、
生死問わず、
自分の周りの、
自分が好きな人達の開運祈願をしていきたい。


後年、
自分の身体のどこを切っても、
出てくる血や細胞を顕微鏡で見ると、
”開運祈願開運祈願”と書いてある。
骨の髄からそんな生き方をしていきたいなぁ、
と願う毎日です。
真夏の山の神、セミ。
山という山が、

ジーーーーー
 ジーーーーー
  ジーーーーー
   ジーーーーー
    ジーーーーー
     ジーーーーー
      ジーーーーー

と轟(とどろ)いている。

ふと、彼らはどんな思いでないているんだろう、
と思って、ふとセミの一生を、
セミになりきってイメージしてみた。


●セミの一生(オス編)

土の中で、意識が目覚める。

めしー!
 →食べ物を探し食らう。

寝るー!
 →眠いから寝る。

出すー!
 →もよおすので出す。

出るー!
 →なんか呼ばれてる気がする。土から出る。

出るーー2!
 →ムズムズする!殻から出る。

嫁ー!
 →とにかくなけーーー!魂を震わせろーーー!!

やったー!
 →種をあげる。

パタ。おしまい。


●セミの一生(メス編)

土の中で、意識が目覚める。

めしー!
 →食べ物を探し食らう。

寝るー!
 →眠いから寝る。

出すー!
 →もよおすので出す。

出るー!
 →なんか呼ばれてる気がする。土から出る。

出るーー2!
 →ムズムズする!殻から出る。

婿ー!
 →とにかく探せーーー!魂震わせてるやつーーー!!

やったー!
 →種をもらう。

出るーーー3!!
 →土の中に卵を出す。

パタ。おしまい。





やっぱり、人間としての自分は、
モジモジせず、
人間らしいやりたいこと、をやり尽くし、
全力で生き切るのが幸せな気がした。
最近、超早起きの習慣をつけるべく、

自宅で寝た時には、
朝起きた時に、燦々と輝く太陽を感じるべく、
庭を5分ほど、散歩します。

その時に楽しみなのが、
アサガオの成長です。


最盛期はもう少しです。
$まなびーの『ドラクエ型人生』


母が植えたんですが、育てる権利を奪い取り、
苦心して、つるをいじくり、バランスを考え、
伸び方を制御し、整えてここまできました。
朝、この前に来ると、
ニヤッとして、じーっと見入ってしまう。

なんて素晴らしいんだろう。
このバランス、フォルム、表現。

盆栽家や庭師の気持が少しわかりました。
これは、芸術ですね。
アサガオを使って何かを表現する。


で、面白いのが、
初夏、芽の状態で、
最初は全然つるが伸びないんですが、
ある時を境に、ぶわーーーっと伸び始める。

もう勢いが出たら、つるの先頭を切っても、
下の枝の方から、ニョキニョキーーーっと、
これでもかーーーっというほど、つるが出てくる。



初夏、最初は弱々しくても、
勢いに乗った真夏のアサガオは、

きっとこの夏を早回しにしたら、
まるで噴水か、あるいは花火のように、
土から飛び出て葉を茂らせ、
ブワッと華を咲かせて、
散っていくんだろうなぁ。




ここで気づきが。


よく、
”人間って弱い”、
とそこかしこで聞くけれど、
条件によって、
あるいはフォーカスによって、
あるいは嗜好によって、
強くも弱くもなるだけで。


基本的に僕は超強いと思っています。
厚かましいほどに。
切っても切って伸びてくる、
僕がいじったことなど結局関係ないほどに咲き誇る、
真夏のアサガオのように。

その潜在的な厚かましさが時を得て、
人類は地球を席巻している。
誰でも、その厚かましさを持っている。


初夏のアサガオも、真夏のアサガオも、
同じアサガオ。
時を得るかどうかだけ。

あるいは、先日のキュウリの苗のように、
条件が合うかどうかだけ。




さて、そんな潜在力を持つ人間として、
自分はどんな風に生きていくか。

どんな演出で、
自分の人生を彩り楽しむか。


はかない可憐な花か、
雄々しい大樹か。


真夏の季節を、
存分に堪能していきたい。
最近、ジェームス・スキナーさんという、
僕のバイブルである「7つの習慣」という本の訳者をやった方が、
何冊目かの本を出しましたが、

その紹介で次のような話がありました。





自分がお金持ちになるためにはどうすればいいか。
自分の周りがお金持ちが多ければいい。

自分が○○になりたければ、
自分の周りで○○を実現している人と多く交わるようにすればいい。

自分の人生が良くなるためにはどうすればいいか。
自分の周りの人の人生が良くなればいい。


人は環境に影響される。
朱に交われば赤くなる。





厳密な言い回しは忘れちゃいましたが、
根っこではそんな感じなエッセンスが含まれていました。



周りをうらやみ、成功を妬み、足を引っ張るのではなく、

周りに感謝し、成功を祈り、応援することにフォーカスする。



目の前の煩悩や、
嫌いな人や考え方があるのは人としてしょうがないですが、



恨みを晴らし、
小欲を満たしてつかの間のストレス解消をしたいのか、

そんな小さなことに振り回される自分を超え、
自分の人生を根っこから素晴らしいものにして生きたいのか。




人間が唯一持つことのできた能力、


”刺激と反応の間の、『選択の自由』”


を発揮させて、


より人間らしい、
豊かな人生を築いていきたい。