昨日の日記を、
マイミクのShaLaLaサロンさんが引用してくださって、

http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1813293969&owner_id=1964158

とても謙虚な、
お医者のおじいちゃん先生のお話でした。
ありがとうございます。


で、またちょっと、その内容繋がりの日記です。



僕の考え方や言葉の言い回しのクセ等の、
何割かを占めているといえる、
もう何回読んだかわからない、座右の書、

田中直樹著『銀河英雄伝説』にて。



時は、西暦3600年。
宇宙暦800年。

銀河系の過半を占める専制国家である銀河帝国と、
それを逃れ、独自の民主国家である共和制国家を築いた自由惑星同盟。 


その自由惑星同盟の軍人の一人、ヤン・ウェンリー。
・得意技:
 寝坊、昼寝、部屋を片付けられない、
 紅茶に垂らしてもらうブランデーの量が少ないことを、
 養子のユリアン・ミンツに愚痴ること。
・夢:
 軍人を退職して年金生活。


そしてヤン・ウェンリーは、
類まれなる戦略家としての才能をもって、

銀河帝国において、
商人よりも力のない貧乏貴族に生まれ、
後に銀河帝国皇帝にのし上がった、
ラインハルト・フォン・ローエングラムの、
最大の敵(ライバル)となる。




さて、宇宙暦○○○年の、とある酒場にて。
ヤン・ウェンリーがまだ軍人学校の生徒だった時のこと。

ある事から、ヤン・ウェンリーが、
周りの軍人達からバカにされる。


その時、ふと、その場を通りかかった提督、
アレクサンドル・ビュコック。

彼はヤン・ウェンリーの2倍の年齢を持ち、
士官学校(幹部候補生)卒ではない、
一兵卒からの叩き上げの提督。

およそ一兵卒からなることのできる最高位である、
提督になれたのは、
実力と人望によってであり、
若い軍人たちから圧倒的な人気を得ているじいさん。


そんな彼が、こんな皮肉を彼らに言う。



『お前さんたちは、大樹の苗木をみて、
 それが高くないと笑う愚を犯しているかもしれんのだぞ』



~~~


きっと、実るほど頭を垂れる人、というのは、
周りの人の成長を信じている人なんだと思う。
そして、そうあって欲しいと思っている人なんだと思う。


例え今が未熟でも、
その人が自分を遙かに越えて大きく成長した、
喜ばしい未来の姿が見えてしまうから、

自然とそうなってしまうんだろうと思う。


そして、
そんな風に信じてくれる人がいる人は、
きっと、そんな風に成長していく。





そんな環境にいたいと思うと同時に、

そんな風に人を見つめる目を養っていきたい。




★★★
以下、追加。

うっかり、ジョギング忘れるところでした。
あやうく1日坊主。
夜更かしして深夜3時半でしたが、
新聞屋さんはもうバリバリ活動してますね。
超早起きのフリして走りました。

本日も1.6km(爆) (計:3.2km)
またしても、脳科学者の茂木健一郎さんのツイート備忘録ですみません。


以下、
茂木健一郎さん、
1月10日の連続ツイート。

~~~

しゅりんくっ! ぷれいりーどっぐくん、おはよう!

「連続ツイート」をお届けします。文章は、その場で組み立てながら即興的に書いています! 本日は、昨日「そうだよなあ」と考えていたことについて!

なあ(1)昨日、歩いていてふと思ったこと。ぼくは、相手が何歳だろうと、あまり違った人間だと考えていないなあと、逆に言えば、年齢差ということをほとんど人間関係を考える上での参照にしていないことになる。なんでだろう、と思いながらコンビニに入って、ああそうかと思った。

なあ(2)つまり、それは新しいことに向き合うという点において。何歳になっても、自分が知らないこと、経験していないことに向き合っている時に、人は同じ雰囲気をかもし出す。その新鮮なる断面において、あまり何歳だからどうのということは関係ないんだなと思う。

なあ(3)思うに、性別にせよ、年齢にせよ、あるいは「世代論」というやつにせよ、人が人をこうだと決めつけたり、あるいは区別したりするのは、その人が「出来上がった」人だと思うからだろう。しかし、変化という差分において人をとらえれば、みんな同じ人のはずだ。

なあ(4)たとえば、社会的地位が高くて偉い人の前に立つと緊張するけれども、それはその人が出来上がった人だと思うからで、一緒にいちごパフェを食べたりして(なぜいちごパフェなのかわからないけど)「ああ、これはおいしいね」と新鮮な感動を共有する時には同じ人になっている。

なあ(5)一緒に旅行するともうその通りで、どんな年齢の人でも、境遇の人でも、初めてのびっくりに接すると、「全くねえ」などと目を白黒させて驚いている。その新鮮な命の流れにおいては、年齢も性別も年代も地位も名誉もなにもかも関係がないんだなあと思う。

なあ(6)逆に言えば、人間を、もう出来上がった固定したものとして考えるときに、区別も別扱いも何もかも始まるのだろう。もともと血液型人間学には科学的根拠は何にもないが、O型はこうだ、と決めつけて、変化の躍動に注目しないことで、人は別々のホルダーに入れられていく。

なあ(7)ぼくがケンブリッジ大学でお世話になったホラス・バーロー教授は偉い人だけど、一度面白いことがあった。京都で、たまたま一緒にパチンコ屋に入ったら、大当たりしてしまった。「ケン、こんなに玉どうするんだ!」と大喜びするホラスの顔。あのとき、同じだなあ、と思ったな。

なあ(8)変化において、みんな平等。ただ、自分はこうだと決めつけたりするのはもったいないし、あるいは、他人がこうだと決めつける人ももったいない。いるよね。決めつけて、説教する人。本当は、一番損をしているのは自分の可能性なんだけどね。

なあ(9)コンビニで買い物を済ませて出る頃には、ぼくの心は決まっていた。そうだよ。新しいことに出会って感動して、変化するということについては、人間みんな平等。だから、年齢も、性別も、国籍も、年代も、地位も、名誉も関係なく、これからも人間はみな同じと思うことにしよう。

以上、「何歳になっても同じだよ。新しいことに感動する限り」の連続ツイートでした。

~~~


世界の実業家だった、
松下幸之助さんや、本田宗一郎さん、
稲盛和夫さん等ももちろん、

自分自身をあきらめず、

いつも何かを目指している人や、
もっと良くなりたいと思っている人は、

総じて、

『実るほど頭を垂れる稲穂かな』

を実践されている気がする。
「自分はまだまだ」
ととても謙虚に、
いつも自己研鑽を続けておられる。


この連続ツイートを読んで、
本当にそうだなぁ、と思った。




いつも目をキラキラ輝かせ、
新しいことに挑戦し、
自分ならできるだろうなぁと勘違いしつつ、


息を引き取るその瞬間まで、
喜びを感じ、そして探しながら、
生きていきたい。





あ、ところで、
本日から、12月31日までの期間で、
合計1000kmジョギングを開始しました。

今までも週に2日くらいのゆるいペースで1~2時間走ったりしていましたが、

猪瀬東京都副知事や、
茂木健一郎さん(ウォーキング)、
その他いろんな実業家の方々などが、
ジョギングをしていて、

猪瀬副知事なんか、
あの忙しさの中、
昨年1年間で900kmを、
ほぼ毎日走ってやり遂げて、
この人にできて僕にできないはずはない(笑)、
ということで、


且つ、
自分の腹の徐々に微増しつつある小憎たらしい脂や、
今後何十年の健康、

そして何より、
自分自身の自信を高めるために、
毎日継続する、
というのをやることにしました。


さて、
コミットメントしちまいましたので、
やるしかありません。


1000km目指して。

気長に地道に一歩一歩、
やるぞー。


本日:1.6km(笑)
アイドルが厳しい下積みを経たり、
思わぬことをやらされたり、

お笑い芸人が汚れ役をやらされたり、

いろんなメディアでいろんなタレントさん等が、

自分の価値観、目標、
事務所の都合、お金を稼ぐため、
世間やファンの要望、

いろんな原動力を得て、
いろんな経験をしている。

いいなぁ。



良きにつけ悪しきにつけ、
僕を動かし、自分の人生をデザインする原動力は、
基本的に自分の感性と意志のみという状況を自分で選びましたが、




どこに自分の天命や天性が見つかるかわからないし、
価値観の幅や可能性を広げるためにも、

いろんな課題を自分に積極的に与えて、
たくさん挑戦していきたい。


『人類は、”挑戦”することに、喜びを見出す。』
-チクセントミハイ

『好きに生きたらいいんだよ。 だって、君の人生なんだから。』
-ジョン・レノン
一昨日の出来事です。


とある用事で、
見知らぬお宅のおばあちゃんとお会いすることに。

ご本人と電話でやりとりして、
場所を伺うも、

「住所?忘れたで。
 国道を南に行くとニシザワ(スーパー)があって、
 その先の交差点を東に曲ってすぐだで!」


「えー、たぶん迷ってしまうので、できれば番地を…。」

「だから!ニシザワの先の交差点を曲ってちょっといくの!
 一軒しかないで、すぐわかるで!」



こういう、場所を説明してもらうシーンはたまにあって、

「あの角をこう曲って南に降りて、
 こういってこういくと3軒目にうちがあるから」

と言われたりして、
当人は明確なイメージがあり、
そして良かれと思って夢中で、
相手もわかるだろうと思ってお話してくれるんですが、
見知らぬ土地で、迷ってしまうことがよくあるので、

「なるほど、はいはい、そう行って、こう行く。
 なるほどー、だいたいわかりました!
 とりあえず念のために住所教えていただけますか?」


と言って、教えたい思いを最後まで受け止めつつ、
結局はカーナビにお任せしたりします(笑)。



でも今回、
そのおばあちゃんは結局番地を教えてくれず、
仕方がないので細かく念入りに聞きつつも、
迷ったら近くまで行ってから電話することにしよう、
と思って電話を切った。




さて伺う時間が近づいたので、現地に向かう。
言われた通りに行ったら、
案の定、全然わからない(笑)。

困ったなぁ、と思って、電話。
何度か電話してようやく繋がる。

結局、

「電気つけて手振ってるで!わかるで!」


「(と言われても、家たくさんあるしなぁ)」

と思って困りつつ、近辺を車で徘徊してみた。



田舎なので、川や森がたくさんあるところで、

ふと、道の向こう側で、
街灯もなく、真っ暗な中で、
もそもそ動いている人がいる。

電気ついてないけど、
この氷点下の寒空に、
外に出てもそもそしてるし、
もしかしてこの人か!

と思って近づいてみた。


そして車を降りて近づいて、
話しかけてみると、、、



なんと、野グソ中の(きたなくてすみません)、
ホームレスと思われる見知らぬおじいさんだった!





となると、
僕がわざわざ車を降りて話しかけたことが、
とても不自然なので、

「すいません!私、古田、と言いますが、
 待ち合わせの方ですか!?」


と、あきらかに違うだろうけど、
取り繕ってみた(笑)。


「あー?なに!?」

「いえいえー!すみません、違いますよね、
 失礼しましたー!」

と言って車に戻ろうとしたら、


「あ!!ちょっと!すみません…!すみません…!」


と呼び止められる。

なんだろうと振り返ると、、、


「紙!紙もらえないですか…!」


!!!


「あはははははははは~!!はいはい!!
 紙!いいですよー!!」


と、大爆笑しながら、もっさり紙を渡した。


「はいどうぞ!!」

「いやー助かったー!ありがとうー!」

「いえいえー!通りかかって良かったです~。」


と言ってその場を離れた。




ふう、世の中おもろいなぁ、と思いつつ、
ふと気付いた。
これは奇跡だ。


・じいちゃんが便意をガマンできない。
・じいちゃんが野グソをする。
・紙を持っていない。
・僕とおばあちゃんが会う用事がある。
・おばあちゃんが住所を教えてくれない。
・おばあちゃんちがやっぱりわからない。
・たまたまそこを僕が通りかかる。
・通常だったら通り過ぎるだけだろうけど、
 待ち合わせの人かと思って、車を降りて声をかける。
・たぶん僕がとてもフレンドリーな感じだったので(笑)、
 じいちゃんが勇気を持って紙をお願いしてみた、
・当然車なので、箱ティッシュを常備している、



これら全てが揃わなければ、
じいちゃんはちょっと大変なことになっていた。

このじいちゃん、
僕を引き寄せるとは、
なんという強運なんだろうか。






でも、

この日記を書きながら、

もしかしたら僕が、
このじいちゃんに何かをもらったのかもしれない、
と、ふと思った。



~マザー・テレサの言葉~

ちょっと考えてみましょう。
独りぼっちの人に、あなたが向ける小さなほほえみ、
目の不自由な人が道を渡る時あなたが差し出す手、
おなかのすいている人のために、
あなたがちょっと我慢して差し出した食べ物。
これらはみんな、
あなたがイエス様にしているのです。

苦しみは神からの贈り物なのです。
それによってわたしたちは、
キリストに最も似た者となるのです。
苦しみを罰と受け取ってはなりません。

わたしたちの間には偉大な人々がいます。
ただわたしたちがそれに気づいていないだけなのです。
その人たちとは貧しい人々の中でも最も貧しい人々。
だれからも望まれていない人。
相手にされない人。
はねつけられる人。
アルコール依存症の人。
足の不自由な人。
目の見えない人。
病気の人。
死にかけている人

パンだけではなく、愛に飢えている人。
服だけではなく、人間としての尊厳や尊敬を奪われている人。
レンガの家がないだけではなく、受け入れてくれる人のいない人。
この人たちこそみじめな姿を取られたキリストなのです。

~~
今回の日記は、
備忘録ではなく、

どうしても、
世の中に訴えておきたいことです。


とはいえ、

ここで訴えても、
世界に対して訴求力はないとわかっていますが、

「王様の耳はロバの耳!!」


と、我慢できずに井戸の穴に向かって叫んだ、
王室御用達の床屋の主人の如く、

ここで、叫ばせていただきます。




前回の日記で、

カツヲさんが、
座っておしっこをする、”座り”を、
コメントで提案してくださいました。


実は、私も”座り”派です。

SAなどの公衆トイレなどでも、
可能な限り、便座の方に行きます。


なぜならば、

小便器でのおしっこは、
必ず、細かい水滴(というかおしっこ滴?)が、
パンツの方に飛び散っているからです。


もう一度。

小便器でのおしっこは、
必ず、細かい水滴(というかおしっこ滴?)が、
パンツの方に飛び散っているからです。




この宇宙の真理に気付いたのは、
大人になった後のある夏。


短パンを履いていて、おしっこをした時です。

素足にお返しが来ていたのです。

それまでなぜ気づかなかったのか、
あるいは、特に気にしていなかったのか、



例えばまるで、小学校低学年のある日、
それまで単なる友達だった子が、
初恋相手として認識されてしまったような。
もう元には戻れない。


とにかく、
そこで、無意識から意識へ、
”おしっこのお返し”が上がってきてしまいました。

一生懸命、そーっとするようにトライしてみたんですが、
どんなにそーっとしたとしても、
些細な霧レベルのおしっこの霧がヒヤっと足にかかる。


ということは、あの人も、この人も、
実はパンツ(ズボン)の表面には、
おしっこがかかっているのだ。

その人のお相手の女性が、
そんな太ももをひざ枕にして、
なおかつ顔をうずめたりしているとしたら、
なんとも・・・。

まぁ、好きな人なら、
そんなことはディテールに過ぎないかもしれませんが、
それは別の話です。



ということで、
それ以来、
できる限り、立ちではなく”座り”にしています。





『原子を割るよりも偏見を割るほうが難しい。』


と、アインシュタインは言っていますが、
それと同じくらい、

『お返しは避けることは難しい』



と覚えておいていただければ、
と思います。
甥の悠矢(小5)観察日記です。




家のトイレの床が、水滴でよく濡れている。

僕が邪推するに、
おそらく悠矢がバチャバチャこぼしてるのではと、
勘ぐっている。


そこで、たまたま何かの拍子にそれを指摘したら、

「僕じゃないよ、おじいちゃんだよ!」

と言った。
こやつは見え透いたウソを、、、

と思って、ただし証明はできないし、
いずれ学ぶだろうし、
人間の本当の価値からしたら、
そんなことはディテールだ、と流した。


しかし、トイレに行くたびに、
またこぼれてるなぁ、
と思い出されてしまい、
負の感情がムラっとくることに、
ふと気づいて、

「あ、これは何か執着してるなぁ。」

と気付いた。


つまりここに何か、
学びと成長があるかもしれない。





ということで、じっくり考えた。

そしたら結論が出た。


まず、何に対して負の感情を持っているのか。
それは、

おしっこ飛ばすことに対してじゃなく、



”僕が指摘したのに平気で飛ばしていること”

”悠矢がウソをついた(と僕が思ってる)こと”




負の感情の一つは、
人を変えようとした時に起こる。
変えることができるのは自分だけ。
つまり、
変わって欲しいのに力が及ばないことに対して発生する。

僕は、悠矢を変えようとしていた。
なぜか。
つまり、ウソをつかせてしまう自分の人間力のなさを、
棚に上げて、ベクトルを悠矢に向けていたのだ。



そして支配しようとしているのだ。
支配は依存を産み、
お互いを成長無く、
エネルギーを奪い合う関係に堕としこみ、
お互いを不幸にする。



もう一つ。

僕は、悠矢よりもモノを知っていて、
悠矢よりも正しく生きているんだ、
と高慢になっているのだ。

自分の求めるありたい姿に向かって、
ひたすらに自分を研鑽するのではなく、

自分の方が知っていることを確認して安心し、
隣の欠点を探して、自分の相対的位置に安住する。

高慢になった先に、成長も安らぎもない。





仮に、
魂に輪廻転生があり、
それを繰り返す回数によって、
霊的にレベルが上がっていくということがあるとして、

たまたま現世で僕の方が悠矢より年齢が上だからといって、
その霊的なレベルが僕の方が上とは限らない。

もしかしたら、僕の方がかなり下で、
悠矢の魂は、
その行為によって、その道化によって、
僕の学びを促し引き上げてくれているのかもしれない。





なるほど~。


悠矢・・・、いえ、悠矢さん。

いつもアホっぽくしてるけど、

実は深いな・・・。
いえ、深いんですね。
今回も、脳科学者の茂木健一郎さんのツイートです。

RTしたいツイートが多かった場合に、
まとめて備忘録として転載させていただいています。


とかく、変に自分や他人に厳しいと、
自分や他人の汚れや矛盾を許せなくなってしまう気がします。

でも、
”論理”自体が、”矛と盾”という物語に表されるように、
必ずどこかで矛盾に行き当たる、と僕は思っているし、

そして全ての物事が、
必ず”汚れ”を内包しているとも思う。


なので結局、

自分が何を信じるのかは、
最後は、なにはともあれどこかで、
自分で「エイヤッ」と決めるしかないし、

手についた汚れは、
ある程度のところで切り上げるしかないし、

宇宙に内包する矛盾は、
「まぁいっか。」とどこかで許して現実を生きるしかない。



とはいえ、宇宙は全てを内包しているので、
異常に綺麗好きとか、
異常に汚れている人とか、
とてつもなく論理的正しさを追求する人とか、
世界一ゆるい人とか、

あらゆる性質について、
それを先鋭化した存在というのは必ず正規分布的に存在していて、
且つそれが宇宙の面白さなので、


最後は、

”自分はどれを選ぶのか”

だけの話なのかもしれません。



以下、全文。

~~~

しゅりんくっ! ぷれいりーどっぐくん、フランス北部リールで、まだ午前3時48分だけど、おはよう!

フランスのリールから、「連続ツイート」をお届けします。文章は、その場で組み立てながら即興的に書いています! リールは、今午前4時57分。いつもと違う時間帯で、ごめんなさい!

しそ(1)昨日、リールのレストランでクルーたちとご飯を食べていたら、パリ在住の江口さんが、突然「幸せってなんだと思いますか?」と聞いた。ディレクター=監督の牛山さんが言ったことがひどくて出鼻をくじかれたけれども、カメラのアパッチ青木さんの答えは、ぼくもそう思えるものだった。

しそ(2)アパッチ青木さんは、「自分のところには来るまい、と思っていたものが来たとき」と言った。本当にそうだな、と思う。そしてそれは幸せの一つのかたちであって、全てではない。福音以外にも、日々の命の調和の中に幸せがある。幸せとは、一つのバランスのことである。

しそ(3)そしたら、江口さんが、パウロ・コエーリョの小説『アルケミスト』のことを話し始めた。城主が少年に、スプーンをもたせて、オリーヴオイルを満たす。そして、スプーンを持って、城の中を一周してきなさいと言う。少年は、オリーヴオイルをこぼさないようにしながら、一周してくる。

しそ(4)少年がもどってきた時、城主が「すばらしい絵をみたか」「庭師と話したか」と聞くと、少年は、「いいえ、スプーンの中のオリーヴオイルをこぼさないのに精一杯で見ませんでした」と答える。城主が、「それはもったいない、もう一周してきなさい」と少年に言う。

しそ(5)少年は今度は部屋にかかっているすばらしい絵を見たり、美しく整えられた庭に感嘆する。戻ってきて城主に、「すばらしいものを見ました」と報告する。城主が、「スプーンの中のオリーヴオイルはどうした?」と聞くと、少年は夢中になっていたから、すべてこぼれてしまっていた。

しそ(6)物語の結論は、人生とは、スプーンの中のオリーヴオイルをこぼさないようにしながら、すばらしい絵や美しい庭を見ることが幸せ、だということ。つまり、人生の目的(=ライフワーク)を忘れない一方で、日々出会う思いもかけぬものをきちんと見て、楽しむことなのだろう。

しそ(7)ちょうど、パリの蕎麦屋さん、円(YEN)で、中山美穂さんと「アルケミスト」の話をしたばかりだった。その時のドキュメンタリーのディレクター(監督)が牛山さん。江口さんはさらにUFOの話をはじめて、半分に割ったらU2が出てきたとか、他愛もない話をした夕べは楽しかった。

しそ(8)幸せとは、workとlifeの間とか、失敗と成功とか、努力と弛緩とか、予想と意外とか、さまざまなものの間のダイナミックなバランスのことなのだろう。それこそが、生命の本質。一つのことのみにこだわる原理主義は、その性質からして、もっとも幸せから遠い。

しそ(9)そして、幸せの原風景が子どもの時代にあるように、本当は、「幸せってなんだっけ?」と取りたてて問わない、無自覚な日常が幸せなんだろうと思う。江口さんの問いかけで、ぼくたちは幸せについて考えた。そして、談笑の中に没入して我を忘れたとき、本当に幸せになっていた。

以上、「幸せとはバランスのことであるが、そんなことを考えないのが一番幸せである」の連続ツイートでした。

~~~
ご飯時、

家ネコのクゥちゃんは、
何千万年もの間この地球上で培ってきた、
ネコとしての真価を発揮する。



ジーッとこちらを凝視しながら
微妙な下目遣い。
ちょっと潤んだ目。
「クゥちゃん」と言うと、「にゃん?」と返事をする。
やや片足を浮かして前のめりになっているさま。

ツメの先から耳の先、尻尾に至るまで、
身体の組織全てをフル稼働させて、
期待を表現する。



そこから満を持して発せられる、ビームのような、
バンコラン(パタリロ参照)なみの眼力に打ち砕かれ、
胸はキューンとし、
表情は緩み、
赤ちゃん言葉になり、

いつも、ダメだと言われても、
人間の食べ物をあげてしまう。


わけがわからない。




母は、子に与えることによって、
同時に喜びを受け取っているという。

BlueBloomBlogより
『与えるために受け取ること』
http://bloom.at.webry.info/201107/article_1.html


まさにそれを体現している、
天に愛される生物、ネコ。




催眠術とか使ってるのかなぁ。
まあいいや。
許す。


まなびーの『ドラクエ型人生』-催眠術師クゥちゃん

今、


男とか、女とか、おかまとか、おなべとか、

彼氏とか、彼女とか、

ステータスあるなしとか、

年が上とか下とか、

友達が多い少ないとか、

犯罪歴があるないとか、

見かけ強そう弱そうとか、

経験が多い少ないとか、

見栄えがかっこいい悪い、かわいいかわいくないとか、

モノ、金持ってる持ってないとか、



あらゆる属性を、

単なる個性として、

あるいは単なる刺身のツマ的ディテールとして、


今、目の前にあるその魂と直接語り合い、

目に見えない美しさを感じれる、


そんな目を持つべく、

自分を磨いていきたい。
あけまして、おめでとうございます。


人生で一番新しい年になりました。


人生の際で、

自分の歴史を年表にした時に、

2012年を感慨深く想い返せるように、


365日かけて、

今日から1日1日を積み上げていきます。



皆様も喜びの多い年になりますよう、

祈念いたします。


本年もよろしくお願いいたします!