新聞のこと① | ふるさと会のブログ

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山科の魅力を山科の歴史を通じて記録しようと思います。

山科人

「なあ、夕刊って全然読むとこあらへんなあ」そう言う妻に「そうやなあ」と生返事をしながら、かつて沖縄で友人の家に1週間ほど居候のようなことをしていた時のことを思い出していた。20歳代の夏だったか。その友人は中部にある寺の布教所に住んでいた。住むというよりも布教活動をしているのだが、実際はこれといって何もしないでじっとソファに座り、たまに冷蔵庫から水を取り出して飲む、というそんな生活だった。そこにしばらく逗留したのである。

 午前中はともかく、暑さの厳しい午後に歩き回ることなく、同じようにボーっとしていると、夕刊が届く。サーと目を通してテーブルの上に新聞を置くと、友人いわく「沖縄の夕刊って読むとこないでしょ?」

 沖縄本島には「沖縄タイムス」「琉球新報」のライバル2誌があり、夕刊が廃止されたのは比較的早く、どちらも2009年3月であった。あの時「読むところがない」と思った夕刊が廃刊されるまで40数年かかっていることになる。京都新聞はどうなのだろう。

10年以上前に那覇の“おばあスナック”(齢80過ぎたママの店、沖縄には多い)で聞いた話。新聞記者がよく来るという店で、「近いうちに沖縄の新聞2社が統合するかもしれない」とママが言う。これも数十年先なのだろうか。

全国紙でも朝刊夕刊の「セット購読」は年々減っているようである。夕刊の情報がテレビにとって代わり、若者はスマホで十分だ、という。「読むところがない」という原因だけではないのである。

そして「夕刊離れ」はすごいスピ-ドで進んでいる。新聞の朝夕刊総頁数のうち、夕刊は3割になるらしい。もしこのまま「夕刊離れ」が続けば、新聞社の売り上げや就業者などが大幅に減り、余剰人員の増加にもなる。かつて私の世代では、新聞記者はあこがれの職業だった。知人が大阪朝日新聞社の入社試験を受けた。試験会場はマンモス大学として有名な近畿大学で、「日曜日の朝やのに、駅からずっといつもと変わらんぐらいの行列が続いていた」と言っていた。おそらく数十人の採用に数千人が押し寄せていたことになる。大人気であった。

私は、この4月から新聞購読料の値上げをきっかけに、夕刊の購読をやめた。朝刊のみ3,400円である。