なにば
先日、ふるさとの会自然観察会の牛尾山探鳥会に参加しました。雨が降って、途中で引き返すことにはなりましたが、木立の中でさえずるオオルリの「ピーリールー」という美しい声を聞くことができました。森林浴とオオルリの声は精神を落ち着かせてくれます。
残念ながら、「青い宝石」とも称される瑠璃色の姿を見ることはできませんでしたが、この声だけでも宝物のような気がしました。オオルリは漢字で「大瑠璃」と書きますが、体長は16~17cmで、決して大きい鳥ではありません。夏鳥で秋には越冬のため東南アジアへ行ってしまうので、春から初夏にしか出会えない貴重な鳥です。雄は色が濃い青かコバルトブルーで、コルリ、ルリビタキと並んで、「青い鳥御三家」と呼ばれています。さらに、ウグイス、コマドリと共に「日本三鳴鳥」と言われ、見た目の美しさと声の美しさで人気を独占しているようです。オオルリが水浴びをしているビデオを見ましたが、透きとおったせせらぎの中で、頭を水に突っ込んだり、羽をプルプルさせたりして、とても楽しそうです。何をしても絵になる美しい鳥ですね。
さて、「青い鳥」と言えば、100年以上前に書かれたメーテルリンクの戯曲が有名です。幸せをもたらす青い鳥はオオルリかと言うと、そうではありません。この中に出てくる青い鳥は特定の鳥ではありません。記憶の国でつかまえた青い鳥は外に出たとたん黒い鳥になりますし、夜の城でつかまえた鳥は黒くなって死にます。未来の国の青い鳥はピンクに変わり、どこにも青い鳥はいないのです。しかし、チルチルとミチルが家に帰って、前は見向きもしなかったコキジバトを見ると、青い色に変わっていました。ここまでのお話で青い鳥は遠くではなくすぐそばにいる、つまり、幸せは夢見るような遠くにはなくごく身近なところにあるのだと解釈されることが多いようです。ところが、青くなったキジバトはどこかへ飛んでいってしまうのです。身近なところからも去ってしまう青い鳥とは何でしょうか。幸せの青い鳥はどこにもいないということですね。幸せは自分で作りだすものであり、青い鳥が与えてくれるものではないということかもしれません。
『青い鳥』の中には幸福の館に住む太った人々が「金を持つ贅沢」「満たされた虚栄の贅沢」「お腹が空いていない時に食べる贅沢」「何も理解せずにいる贅沢」などと皮肉な表現で描かれています。一方、天使たちは「きれいな空気という幸福」「青空という幸福」「日のあたる時間の幸福」「星々がのぼるのを見る幸福」などと表現されています。このことから、贅沢三昧は決して幸福な生き方ではなく、普段はあまり気づかないことに着目してみるとそこに幸福を感じることができるのだという考え方が見えてきます。私はここに「緑の森の中でオオルリの声を聞く幸福」を加えたいと思います。