「そのうち」 | ふるさと会のブログ

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山科の魅力を山科の歴史を通じて記録しようと思います。

山科人

新聞の短歌欄を読んで印象的だったことがある。短歌そのものを覚えていないのは残念であるが、「よそからこの地に嫁に来てずっと毎日、見上げる向かいの山に『いつかは登ってみよう』と思い続けて、実現できずに何十年もたってしまった」という内容のものであった。

朝の洗濯物を干す時、日中にかがんだままの農作業をしていて腰をぐっと伸ばした時、夕方に家路を急ぐ途中でのっそり上ってきた月を見た時、そこに見慣れた高い山の稜線があった。そのうちに登ってみたいと思いながら、いつしか、もう自分はそんな山に登れない年齢になってしまった。これから先、登ることもないだろう。おそらく選者もその感覚に同感したからこそ選ばれて新聞に掲載されているのだ。

相田みつを「そのうち」の詩の中に、

 「そのうち・・・・・/そのうち・・・・・と、/できない理由を/くりかえしているうちに/結局は何もやらなかった/空しい人生の幕がおりて/顔の上に 淋しい墓標が立つ/そのうちそのうち/日が暮れる/いまきたこの道/かえれない」(会田みつを『人間だもの』)

この詩は人生を絶望的な視点でとらえるのではなく、「だから前向きに生きようよ」というふうに作者の温かい思いと考えるべきであろう。

 盆地のわが山科には東に音羽山(標高593m)が稜線的には最も高く見えている。山科のポイントによってその形が変わるが、この山が際立って目立つことになる。もう少し高い千頭岳(600m)がもう少し南にあるが、手前の山に隠れて山科のほとんどでこの山の頂上は見ることができない。ちなみに私は毎年春と秋のお彼岸、そしてお盆や暮れに仏壇用のシキビ(シキミ)を取りにこの山に登っている。「牛尾山」の法嚴寺に参ってから、約30分。送電線の鉄塔の立つ山頂に立つと、北側の斜面は見事にシキビの木が生えそろっている。そして下界は山科だけでなく、琵琶湖そして遠く比良山までが一望できる素晴らしい景色だ。シキビを採り終え、この景色を見ながら弁当のおにぎりをほおばるのが私の楽しみである。

「小山の人は朝が遅い。花山の人は日が暮れるのが早い。」というのを年寄りから聞いたことがある。盆地の西側の花山の地域は、音羽山から上った朝日が山科で一番初めに射すことになる。一方、東の山のすそ野にある小山は、朝日が遅く、逆に夕方はいつまでも暮れないでいる、そんな様子を言ったものであろう。私の住む花山の地域では対面の山ぐらいにしか思えないが、大宅ぐらいから見る音羽山はそびえ立つという感じで迫ってくる。

 ひょっとしたら、今この時、家族の洗濯物を物干し台で干しながら、「その(・・)うち(・・)、あの山に登ったるねん」と思っている若いお母さんがいるかもしれない。そんなお母さんに言ってあげたい。「そのうちなんて言わずに、今度の日曜日に登りましょ」と。