不思議空間“山科” | ふるさと会のブログ

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山科の魅力を山科の歴史を通じて記録しようと思います。

ねこまねき

 

 京都市の地図を広げてみると、まず真ん中に京都市内中心部の地形が目に入り、その右端にやや小さく、山科が開けている。よく見ると、山科はまるで京都市内の地形を4分の1ぐらいの尺度で縮小した模型のように見える。

三方を山に囲まれて、2本の川が合流してできる大きな川の流れに沿って開けた土地。出町柳で東からの高野川と西からの賀茂川が合流して、鴨川となり、京都市内を南に向かって流れていくところまで、旧安祥寺川と山科川との合流で再現している。見れば見るほど似通っている。京都市内中心部を模しながらも独立しているようでもあり、区民としては、訳もなく誇らしい気分になる。

もっとも自然界ではときどき同様のことが起こるようで、グローバルな地球規模でいうと、オーストラリア大陸と四国の形が不思議と似ていたり、アフリカ大陸と九州が似ている現象と、似ていると言えなくもないのかもしれない(???)。

 

 車で山科を東西を移動すると、京都から滋賀・大津へ行くときも、大津から京都へ向かうときも、山科は峠と峠の間のちょっとした間合いで、間奏曲のような場所だ。これはおそらく東海道の昔、歩いて京から江戸まで旅をした旅人たちにとっても同じような実感だったのではないかと想像する。京の都の賑わい、喧騒、人里を離れ、九条山を越えた旅人が、まだ見ぬ琵琶湖への期待に胸躍らせながら、近江の国へといよいよ分け入る逢坂山との間の、少しなだらかな道中。

夜明け前に京の三条大橋を出発した旅人が、ちょうど山科あたりで昇ってきた朝日に、雀が一斉に鳴きだすのを見た、という「すずめ坂」。山科に今も残る旧東海道のそのゆるやかな坂に立つと、ゆらめく光のなかでタイムスリップして往時の光景を見ているようだ。やがて逢坂山の峠まで来ると眼下に広がる琵琶湖はまるで海のようで、どれほど旅人を驚かせたことだろう。その峠越えのために、少しばかり休憩して体力を温存させたり、呼吸を整えたり、気持ちの準備をした場所が「山科」だったに違いない。

映画にもなった芥川龍之介の『藪の中』という小説のなかでは、揺れ動く男と女の心の彩、明暗が繰り広げられる奇妙な空間、舞台として「小関越え」が登場する。山科はやっぱり不思議な場所だ。

 

国内線の飛行機は琵琶湖を目印にしているのか、九州、広島、大阪から、東京、仙台、札幌へ、日本列島を南北に移動していく飛行機はどの便も山科の上空を飛んでいく。そのため、青い空に幾筋もたなびく白い飛行機雲を観察することができる。

晴れた日には、東の逢坂山でも、西の九条山でも、まるで山の切れ間から大空に向かってパーン!と勢いよく紐を引いたパーティークラッカーの色とりどりの糸が放射線状に開いたような、華やかな飛行機雲が幾筋も広がっているのが見ることができて、見ていて楽しくなる。

信長は「交通の要所」として、「近江を制するものは天下を制す」と言ったけど、現在、実際にJR琵琶湖線も湖西線も新幹線も通っているのは山科。今はそれに京阪電車、京都市地下鉄が加わる。

これだけ路線が集中しているのは、やっぱり目に見えない何かが集まっているのかもしれない。