水俣湾について想うこと★その14 猫実験とチッソの隠蔽 | ふるふワールド

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「猫実験」、、このテーマは時系列からいくともう少し前に書こうと思っていたものの、犠牲になった猫たちのことを考えると気が重く、なかなか調べる気にならなかった。とはいえ今回水俣まで行ったきっかけ、水俣病を調べるきっかけとなったのが「猫の墓」だ。「猫実験」という重いテーマはどうしても避けては通れない。

 

 

水俣病の公式確認のあった昭和31年(1956年)から熊本大学医学部の水俣病研究班や伊藤蓮雄・水俣保健所長は、水俣湾産の魚介類をネコに食べさせる実験を行い、伊藤氏は翌年に実験の結果、水俣病と同じ症状を猫が起こすことを突き止めた。

昭和34年(1959年)には熊本大学医学部の水俣病研究班は、水俣病の原因は「有機水銀化合物」と発表した。これによって、「チッソ」の工場排水が疑われ始めた。チッソ側はこの熊本大学の発表に強く反論。「水俣病の原因はチッソ工場の排水ではない」ことを証明する目的で行なわれたのが、チッソ附属病院の院長・細川一(はじめ)氏らによる猫実験だった。

 

チッソの技術部とチッソ附属病院が中心となり、猫に様々な餌を与えて実験を繰り返していた。昭和32年頃に始まった実験に使われた猫は、838匹。その中で、チッソの工場排水・百間排水口の廃液を餌にかけて与えたネコ374号は、1959(昭和34)年9月28日にネコ水俣病を発症した。

さらに、チッソの廃液中、アセトアルデヒド工場から排出される廃液を餌にかけて与えたネコ400号が同じ年の10月6~7日頃にネコ水俣病を発症、もう一つの塩化ビニール工場の廃液を餌にかけて与えたネコは発症しなかった。ネコ400号の解剖の結果も、ネコ水俣病であることを示していた。

チッソは、自社工場から排出される廃液が水俣病の原因であることを確定的に知った。だが、チッソ内の研究班会議では、猫実験を含む新たな研究はしないことになった。細川氏は猫実験の継続を訴えたが、会社側から禁止された。また、廃液の採取も拒否されるようになった。

チッソは、自社の工場廃液が原因であることを知りつつ、その実験結果を隠蔽し、虚偽の報告で熊本大学の原因究明を妨害。自社のアセトアルデヒド製造工場を増産させ続けた。細川氏らのネコ400号の実験から約9年後の1968(昭和43)年5月まで垂れ流し続けた。

 

 

 

細川氏は、自分たちが行なった猫実験によって、自社の工場排水が水俣病の原因が知ったにも関わらず、会社側の命令で実験そのものを隠蔽させられる。苦しんでいる多くの水俣病患者たちを診断した医師の立場と、責任逃れをもくろむ会社側との板バサミで苦悩したそうだ。患者らがチッソに損害賠償を求めて69年に提訴した第1次訴訟の際には、肺ガンでの入院中に熊本水俣病裁判出張尋問で、当時のチッソ社内研究について証言し、「猫400号実験」の結果について会社側(技術部)も知っていたと証言。当時のメモを提出した。

これによって、当時、実験が行なわれたことも、1959年の時点でチッソ側が「排液が原因である」ってことを認識した上で隠蔽工作してたことが明るみになる

1973年3月20日、熊本地方裁判所で「チッソは水俣病の原因が有機水銀と認識しながら工場排水を流していたという過失責任がある」として患者側勝訴の判決が出る。

 

 

細川院長の補足

 

1960年8月27日、会社側に禁止されていたアセトアルデヒド排水直接投入猫実験(いわゆるHI実験)をひそかに細川氏が再開、翌1961年全9例の猫の発症を確認したが公開されることはなかった

細川氏は、チッソ附属病院の院長に就任した時に、会社側から立派な院長室を作ろうっていう話があった時、「そんなお金があるのなら、診察室や病室を1つでも多く作って欲しい」とずっと断り続けていた。

何ともやり切れないのは水俣病の原因究明のために犠牲になった猫たちの命が、チッソの隠蔽により無駄になってしまったことだ

 

ちなみに、このHI実験された9匹の猫のうちの1匹、「猫717号」のホルマリン漬けの標本は、細川氏がチッソ付属病院を退職した時に自宅に持ちかえり、昭和43年(1968年)に、政府が公式見解として「水俣病の原因は水銀である」って発表した時に、水俣病の被害者たちを助けるために標本を利用して欲しいと熊本大学医学部の教授に送っている。そして、細川氏は、自らが証言した水俣病裁判の結果を知ることもなく、肺ガンのため、69才の生涯を閉じた

 

 

 

「猫400号」の猫実験

 

毎日、20ミリリットルの排液をエサに混ぜて食べさせた実験。3ヶ月後には猫400号はよだれを垂らし歩行困難になり、人間の水俣病患者に酷似した症状を発症した。細川氏がその事実を会社側に報告したが、会社側は「たった1例の実験だけでは、排液が原因だとは言えない」として、この実験結果を公表しないように命令して、事実を隠蔽する

 

 

ネコ実験小屋

当時、院長だった細川氏のチッソ附属病院で水俣病の原因究明のための実験に使用されていたもの

付属病院から譲り受けていたチッソ従業員から相思社が寄贈を受け、相思社の水俣病歴史考証館に展示されている

 

 

 

 

猫の墓

水俣病を実証するための実験で800匹以上の猫が犠牲となった。その猫たちを弔う墓。昭和50年4月建立とある

 

 

 

【次回、最終回】