水俣湾について想うこと★その13 ~ 患者施設『明水園』・石川さゆりとの交流ほか | ふるふワールド

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前回はコロナ感染拡大によるまん延防止法で残念ながら水俣病資料館は閉館中だったが、開館になったのを機にもう一度訪れてみた。館内の展示物を見て水俣病患者の施設関連で「明水園」「水俣ほたるの家」「ほっとはうす」があるのを知った。

 

 

水俣市立明水園

 

水俣病患者の方々の療養施設として昭和47(1972)年12月に水俣市複合施設明水園として開設され、以降水俣病認定患者対応の施設となっている。

設立当初は、重症心身障害児(者)施設と重度身体障害者授産施設だったが、で障がいの重度化により昭和52(1977)年に授産施設を廃止。現在では、定員が65人となり入所者の健康保持、医療、看護、介護、リハビリテーション、日常生活援助などを行っている。

 

 

 

共同作業所「ほっとはうす」(社会福祉法人)

1998 年 11 月 活動開始 

喫茶コーナーの営業、押し花、ポプリなどの自主製品の製造・販売などを行っている。利用者11 名(胎児・小児性水俣病患者 9 名その他 2 名) 

胎児性水俣病患者などが通う共同作業所であり、市民と交流しながら患者の生活のサポートや、水俣病問題について啓発活動を行っている。水俣病患者が直接子どもたちと接し生の声を届けることで、この問題に対する理解と啓発を効果的に行っている。

団体の目的 ・障がいを持つ人が働き、出会い、交流する場 ・障がいを持つ人が広く社会に関わることを大切にする ・障がいの種別や程度にとらわれない、誰でも参加できる地域に解放されている場 ・どんなに障がいが重くても、地域に暮らし続ける意志を支え、応援する ・水俣病事件を語り伝える

ボランティアとして地元高校生、県内の大学生、小学校教師、福祉施設・病院職員、市内の主婦や小学生なども参加している

 

 

(熊本県NPO法人 水俣病協働センター (水俣ほたるの家)

2007年11月に定款に記載されたNPO法人。水俣病被害者の人権と権利を守り、医療、福祉、生活に係わる諸問題に協働で取り組むとともに、被害の全容解明と被害補償に取り組む。また、加害責任の検証を行い、その教訓を伝え、産業公害等の被害者らと協力して、その権利回復と公害廃絶の活動に寄与することを目的とする。

(※ネット上で調べてみたものの情報が少なくメンバーは約10名、公害認定訴訟でも患者に寄り添いともに戦っているようだ)

 

 

 

石川さゆりさん「水俣病終わってない」 ~ 

38年続く交流(2017年朝日新聞デジタルより)

 

演歌歌手の石川さゆりさんは今年、38年ぶりに(2017年時点)熊本県水俣市のステージに立った。還暦を迎えた水俣病胎児性患者との再会を喜び、「きれいになった海と街」を見た。流れる月日の中で変わり行くもの、いつまでも心にとどめなければいけないこと。5月1日の公式確認61年を前に、水俣病について石川さんが語った。

胎児性患者さんらは、熊本出身で年の近い石川さんを水俣に招いてのコンサートを企画し、1978年に実現させた。前年に「津軽海峡・冬景色」のヒットがあった。石川さんは療養施設も訪れ、重度の胎児性患者らと対面した。

 

「学校で『4大公害病』の一つとして水俣病を学んでいたけれど、実際に患者の皆さんに会った時、ただただショックでした。自分の意思と関係なく、自由を奪われて暮らさなければいけない。いったいどうしてこんなことになったんだろう、と」

 

大成功に終わったコンサートの後も手紙のやり取りなど交流は続いた。2010年、コンサートを記録した映画の上映会が水俣市であった際も、石川さんは駆けつけた。そして今年2月、還暦を迎えた患者たちは「生きてきた証しに」と再び石川さんを水俣に迎え、コンサートを開いた。患者代表の男性は「これからも人生は続く。石川さんの歌、力を貸してくれる皆さまの思いが生きる力になる」と満員の会場で感謝を表した。

 

石川:「車イスに乗るようになったり、話すことが以前より難しくなったりした人もいた。患者さんや家族は一生闘って過ごしている。本当に困難な大変な日を重ねたと思うけど、心はたくましく健やかに過ごされたんだ、とごあいさつを聞いて感じました」

 

1978年当時の水俣での石川さゆりコンサートの際の患者との交流

 

 

石原慎太郎と石川さゆり

 

石原慎太郎氏は77年4月、環境庁長官として水俣市の患者療養施設を訪問した。自立を願っていた胎児性患者らは手紙を書き、「仕事がしたい」と石原さんに要望。ただ、受け取った石原さんが胎児性患者らを侮辱したような発言をしたと聞き、胎児性患者の坂本しのぶさん(65)=水俣市=たちは偏見があると感じたという。

 

石原慎太郎氏:『いま(明水園で)会った患者さんたちもかなりIQが低いわけですね。この手紙は非常にしっかりした文章というか、あるタイプの文章に見えますけど、これはやっぱり彼女たちが書いたんですかね』

 

坂本さんらは、熊本市に滞在していた石原さんに直接抗議。78年1月、石原さんは水俣市を再訪して謝罪の意を示した。

 

              土下座で患者らに謝罪する石原慎太郎氏

 

 

石原氏の謝罪の際、患者側は歌手の石川さゆりさんを「水俣に呼びたい」と提案。石原さんや故原田正純医師らの支援を受け、患者たちは石川さんのコンサートを実現させた。

石川さんの水俣公演を提案した胎児性患者の滝下昌文さん(65)=水俣市=は「石原さんとの面会は思い出深い。コンサートのことは今も感謝している。亡くなったと聞き、一つの時代が終わったと感じる」と感慨深げに話した

 

 

38年ぶりのステージで熱唱する石川さゆりさん=2017年2月11日、熊本県水俣市