実在妻が男のフェチを考えてみた | 孫と東村山Rhapsody

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東京都議会で「青少年健全育成条例」の改正案がだされて、
「非実在青少年」の性的表現を規制しようという条令が提出されましたが、
とりあえず今回は見送りになったようです。

政治権力が欲望を規制しようとするなんてあほらしいとは思います。

でも、こういう話が盛り上がるたびにある記憶がよみがえります。

小学生の私は、母とデパートの5階のお店で待ち合わせていました。

エレベータに乗り込むとやーさん風なおっさんが二人、計三人の密室空間。
おっさんたちはじろじろ私を見ています。
2階、3階通過してもエレベータは停止しません。
すると、一人のおっさんが「こういう小柄な子をくるくるまわしてやるとええんやで。」と言いました。
私はこのおっさんの欲望をほぼ正確に理解できました。
そうとうな耳年増ですwwww。

で、吐きそうになりました。

私は自分が
この中年のおっさんの欲望の対象に私がなっているということに驚き、恐怖し、
そういう対象として世界に投げ出されている自分自身を嫌悪しました。

5階に到着して扉が開いた途端、エレベーターから飛び出して、

それから、深呼吸してなにもなかったようににっこり笑って母親と合流しました。
なぜ母に報告しなかったかといえば、
まだ母の子供でいたかったからなのだと思います。
私はまだ母の愛を求める子供でいたかったし、
男たちの性的な欲望の対象になっている自分を母に気づかれたくなかった。
浅はかですが、子供というのはそんなものです。


その後、大人になってパンストをこよなく愛する男と出会いました。

キスしよう、そしてパンストはいてくれとあまりにも気軽な要請だったので、
抵抗なくパンストはきました。
けど、そのパターンが延々と続くと彼は私を欲望しているのか
パンストをはいた脚を欲望しているのかわからなくなってしまいました。
男というのはいかにフェティッシュかというのが実感された日々でした(笑)。
けれど、性愛の場面では、

自分とまるで違う性幻想をもった相手と対峙しているという現実を受け入れるしかありません。
そうでなければ、自分の欲望も満たせないのですから。


それからいろんなことがあって、

男の性的欲望というのは相当フェティッシュなものらしい、というはなんとなくわかったものの、
女である私が、男の欲望を質的にも意味的にも実感したり理解することは
多分一生できないだろうという風に思うようになりました。
わかる必要もないでしょう。
男たちが自分の妄想を合法的に実現したければ、
それなりのコストを払えばいいのです。

愛情なりお金なり。
もちろん男だって女の性幻想なんて知らないでしょうゞ(*´ー`)から同じことです。




で、理解できないし、だから見当はずれであろうことは承知で言えば
男のフェチっていうのを分類してみると

A 身体の部位に関する系、巨乳や美尻、うなじ、脚など
B 身に帯びている素材系、パンストやゴムなど
C 身に帯びているコスチュームによる属性付加系、メイド服、セーラー服など
D 特定シチュエーション系、痴漢、SMなど
E そして、この系譜に新たに加わったのが?非実在フェチです。
アニメや漫画(もしかしたら小説もはいるのでしょうか)に登場する人物です。

A~Dまでは対象が実在しているから、合法的に自らのフェティッシュを満足させようとしたら
相手にお願いするしかありません。
けれど、Eの非実在青少年はお願い抜きであらゆる妄想を盛り込むことができます。
ここに規制をかけたのが今回の改正案。
幼児を性対象するような妄想はいけないことと言わなければならない、
という社会的な要請に応えようとしたものだと思いますが、、、、、、



とここまで書いて、今から
MIAU Presents ​ネットの羅針盤『大激論! 都​条例改正案に賛成? 反対?』
 という討論会を見ることにします。