3年前に観ていいと思った映画『14歳の栞』だが、その後ソフト化されず。

したら今リバイバル上映してる。で、なんかソフト化・配信の予定はないっつってる。

だから観に行ってきた。ここで観とかないともう観る機会があるかわかったもんじゃないから。

本当は前に観たkino cinema立川高島屋S.C.館でまた観たかったところだけど(いい思い出になってる)、そちらでの上映は先月下旬で終わっちゃってて。その頃は個人的に映画観に行ってる場合じゃなかったからなー。

なので池袋シネマロサで観てきた。

中学2年の とあるクラスに密着したドキュメンタリー映画。

ストーリーはなく、特定の誰かが主役でもない、35人の中学2年生たち(+担任の先生)と その日々、インタビューなどが映し出され続ける。

テーマ的というかな、感じられる事については前に書いた通りだよ。(ってか今回観に行く前に、前に書いたやつ久々に読み返したんだけど、悪くないレビューだと思った(笑)。手前味噌ですが。)

 

で改めてまた観てみて、

映画でこういうのはあまりないと思うんだよ。テレビのドキュメンタリー番組っぽい。じゃテレビでやりゃいいじゃんとはならないんだコレが。本作は映画足り得てる。

一番前の真ん中の席チョイスしたんだよ。映画はテレビドラマと違って体感するものだから、視界いっぱいに映像が広がるのが望ましい。ロサのスクリーンは大きくないしね。ちょっと姿勢としてはしんどかったんだけど、一番前の席でまぁ正解だったかな。

映像が視界いっぱいに入ることにより、没入度が高まる。

教室やグラウンドなど校内の光景が目の前いっぱいに広がり、

町の光景も路地、建物、夕暮れ、桜…

目の前で見てるかのような、もっと言えば自分がその場に居るかのような錯覚が得られる。

わちゃわちゃしてる中学生たちの姿も、傍観してるんじゃなく一緒に居るかのような、自分もこの35人の中に入ったかのように感じる。

実際の俺は中年なわけ。でも中学生たちの真っ只中にいて、しかもジェネレーションギャップなど感じない。俺らだって中学生の時はこんな感じだったわけで。

(あとまぁ俺自身がいまだに20代の頃とたいして生き方変わってないからとか、そういうのもあるのかもしんないけど・苦笑)

SF映画観てSFの世界に没入するように、『ランボー3』観て爆破を体感するように、ホラー映画観て逃げまくる主人公たちを体験するように、本作を(視界いっぱいで)観ると中学生の生活に一瞬で没入する。

もうシンクロしちゃってるんでセピア色の想い出に感じたりすることもない。一瞬で中学生になっちゃってる。

 

ちょっと気になったのがワンカットの長さ。

短い。カット変わるの早いんだよ。

こういう編集にした理由はおそらく、まずそうしないと とても35人を誰に肩入れすることもなく並立して取り上げきれないからだろう。実際上映時間は120分に達している。ワンカットもっと長いと上映時間ももっと長くなったはず。

もう1つは、今の時流というか今の若い連中の感覚に合わせたのではないかとも思われる。テンポいいんだよ。YouTubeの動画みたいな。

でもね。

映画を没入して観れるには、ワンカットは長い方が望ましい。その理由はコレとかコレとかコレとかコレとかのエントリで説明してるけど、

テレビで見るテレビ番組とかPCやスマホで見るネット動画は画面小さいからチャカチャカした編集でも構やしないんだけど、

デカいスクリーンで観る映画で(「見る」と「観る」は違う)短いカットの連続というのは映像を堪能出来ないだけでなく、没入感を阻害するうえ、人間の視覚や脳の認識能力からいってよろしくない。要はヘタすると具合悪くなりかねない。遠くの席から観ればそうはならないかもしんないけど、視野に対して映像が小さくなればなるほどテレビやスマホ見てるのに近くなって、“映画体験”ではなくなってく。

 

…にしても、であってもだよ、この作品はいい映画だよ。中学生が体験できちゃうんだから(笑)。ホント一緒に過ごしてるみたいだからね。

これやっぱソフト化しないで正解なんだろうなぁ。DVDとかブルーレイで自宅のテレビ画面で見たらそれこそテレビのドキュメンタリー番組だよ。「体感」が一切できなくなる。本作はやはり絶対映画館で観なければならない。