中尊寺金色堂〜奥州藤原氏の心〜 | ゆだぽんの♬虹色オーラ♬ブログ

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お寺や神社巡りで感じた事や、不思議な話・オーラについて…などなど書いています。

さてさて♪中尊寺といえば❗️
『金色堂』ですよね✨

もちろん拝観しましたです👀




『中尊寺金色堂』


奥州藤原氏の初代「藤原清衡」か天治元年(1124)に建立した仏堂で、平等院鳳凰堂とともに平安時代の浄土教建築の代表例であり、国宝に指定されています。


約30年ぶりの金色堂は、やはり変わりなく素晴らしかったです✨


須弥壇内には

藤原清衡・基衡・秀衡の御神体化した遺体

泰衡の首級

が納められています。


金色堂には

中央壇・左壇・右壇
の3つの須弥壇があり、各壇に一体ずつの遺体を安置します。定説では中央壇の被葬者が清衡・左壇の被葬者が秀衡・右壇の被葬者が基衡とされています。泰衡の首級は右壇に安置されています。なんと、人工的か自然かは解明されていませんが、遺体はミイラ状になって保存されているのだそうですよ。

1950年の調査により、泰衡の首桶からは100個あまりのハスの種子が発見されています。ハスの権威であった大賀一郎氏に託されましたが発芽は成功せず、1995年に大賀氏の弟子の長島時子氏が発芽を成功させました。2000年には開花に至り、中尊寺ではこのハスを「中尊寺蓮」と称し栽培しています。




写真は撮影スポットで撮影したものです。


仏像についてですが、中央壇・右壇・左壇ともに阿弥陀三尊像(阿弥陀如来坐像・観音菩薩立像・勢至菩薩立像)を中心に、左右に3躯ずつ計6躯の地蔵菩薩立像(六地蔵)、手前に二天像(持国天・増長天)を配し、合計で11躯の仏像から構成される群像を安置しています。



☆中尊寺経蔵(重要文化財)



創建時の古材を用いて再建されたものであり、堂内には平安時代の彩色文様が確認できます。国内最古の保安3年(1122)の棟札が伝えられます。


ご本尊の騎師文殊菩薩と四眷属像、堂内具や経典類は現在は讃衡蔵に安置・収蔵されています。



☆関山天満宮



鎌倉時代、菅原道真公十四代世の孫である五条為視が平泉に下向した時に生まれた乙王丸(後に中尊寺経蔵の別当となった)に授けた天満大自在天神こ御真影と観世音菩薩を祀ったのが由来です。



☆芭蕉翁像并奥の細道



☆金色堂覆堂(重要文化財)



正応元年(1288)の棟札より、鎌倉幕府によって金色堂の修復が行われ、覆堂がかけられたと考えられてきました。近年の調査から金色堂建立後五十年ほどで簡素な覆屋根がかけられ、増改築を経て室町時代中期に現在の形になったと見なされています。





覆堂内はこんな感じ。結構ひんやりしました。



☆西谷坊(大長寿院)



中尊寺の塔頭の一つで、平安時代の嘉祥3年(850)に、円仁の孫弟子の釈円教が創建したともいわれています。





本堂は文久3年(1863)の再建だそうです。





石の積み上げ方が芸術的🪨



☆釈迦堂



1917年の再建で、ご本尊は釈迦三尊像です。



☆辨財天堂



ご本尊は辨財天十五童子で、仙台藩主伊達綱村公の正室「仙姫」によって1705)年に寄進されました。堂内には千手観音菩薩二十八部衆も安置されています。



☆白山神社



中尊寺の北方を鎮守するため、慈覚大師円仁がこの地に勧請したと伝えられています。




☆能楽堂(重要文化財))?



嘉永6年(1853)に伊達藩により再建されたものです。





中尊寺で御朱印帳を拝受🍁

違う種類の御朱印帳をお願いしたのですが、手違いでこのデザインになってしまったようです。しかしこれもご縁、ありがたくいただきました。



☆御朱印



この日は中尊寺金色堂の他に「讃衡蔵」にて

奥州藤原氏の残した文化財3000点あまり・平安期の諸仏・国宝中尊寺経・奥州藤原氏の御遺体の副葬品を拝観いたしました☆





藤原清衡が平和な国を願って、戦で命を落とした敵味方すべての人々の霊をなぐさめるために建立された中尊寺。


民の心の拠り所となるよう、仏教を中心とした平泉の街づくりを発展させていこうという慈愛の心が伝わってきました⭐️





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