知恩院〜憧れの大鐘楼と阿弥陀様〜 | ゆだぽんの♬虹色オーラ♬ブログ

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お寺や神社巡りで感じた事や、不思議な話・オーラについて…などなど書いています。

八坂神社さんでの参拝を満喫し徒歩で移動🐾ずっと行ってみたかったこちらの寺院へお伺いしました!




大晦日の「ゆく年くる年」で中継される除夜の鐘でもよく知られています✨



☆三門(国宝)



『華頂山 知恩教院 大谷寺』

浄土宗総本山

ご本尊 法然上人像 阿弥陀如来

創建 承安5年(1175)

開山 法然上人






こちらの迫力満点の三門は、元和7年(1621)に徳川秀忠公の命を受け建てられました。


知恩院の門は「山門」ではなく「三門」と書きますが、空門・無相門・無願門という悟りに通ずる三つの解脱の境地を表す門「三解脱門」を意味しているそうです。


楼上内部は仏堂となっていて、中央に宝冠釈迦牟尼仏像・脇壇には十六羅漢像、また三門造営の命を受けた造営奉行の五味金右衛門夫妻の木像が安置されています。


高さ24m・横幅50m・屋根瓦約7万枚

というわが国最大級の木造の門です。

「華頂山」の扁額の大きさは畳2畳以上というから驚きです!





浄土宗の宗祖といえば法然上人でございますが、その法然上人(法然房源空)が、東山吉水(現在の知恩院勢至堂付近)に草庵を営み、後半生を過ごし没したとうゆかりの深い地に建てられた寺院が知恩院です。現在の、迫力のある規模の大きな伽藍が建立されたのは江戸時代とのこと。



☆本堂(御影堂:国宝)




本堂または大殿とも呼ばれます。知恩院の境内は下段・中段・上段の3段に分かれており、本堂は中段に南面して建てられています。寛永10年(1633)に焼失し、6年後の寛永16年(1639)に徳川家光によって再建されています。


法然上人ゆかりの吉水草庵があった場所とされ、宗祖の法然上人像をご本尊として安置することから「御影堂」、また知恩院最大の堂宇であることから「大殿」とも呼ばれます。日本文化に大きな影響を与え、浄土宗の本山寺院の建築としての文化史的意義も高いことから、2002年に三門とともに国宝に指定されています。





この日は御影堂で大規模な法要が行われており、中には入らず、阿弥陀堂へ向かうことに。





手入れが行き届いた美しい渡り廊下を通ります。



☆阿弥陀堂



阿弥陀如来様を拝観♪

とても素晴らしく、優しい雰囲気の阿弥陀様で一目で心を奪われてしまいました💖時間が許すならずっとお堂で阿弥陀様とご一緒したかったです。。。



☆宝仏殿



阿弥陀如来像と四天王像が安置されています。



☆経蔵



徳川秀忠寄進による宋版「大蔵経」六千巻を安置する輪蔵が供えられています。



☆多宝塔



☆納骨堂



☆写経塔



☆名号の松



☆大鐘楼



知恩院といえば❗️除夜の鐘チョコですよね✨

写真ではなかなか伝わりませんが、やはり本物も迫力満点です♬





この鐘楼は延宝6年(1678)、知恩院第38世玄誉万無上人の時に造営されました。


高さ3.3m・直径2.8m・重さ約70トン

知恩院第32世雄誉霊巌上人の鋳造で、知恩院の釣鐘は京都方広寺・奈良東大寺と並ぶ大鐘として知られています。


この大鐘が鳴らされるのは

法然上人の御忌大会(4月)と大晦日の除夜の鐘で、除夜の鐘は親綱1人・子綱16人の17人で撞き、京都の冬の風物詩となっています。



☆法然上人像



暑くて時間は押していて、御廟は割愛させていただこうと思っているのに、足が勝手に階段を上っていました💧



☆勢至堂



知恩院発祥の地である勢至堂。法然上人がお念仏のみ教えを広めた大谷の禅房の故地です。現在の勢至堂は享禄3年(1150)に再建されたもので、現存する知恩院最古の建造物です。


もともとのご本尊の法然上人ご尊像(御影)は御影堂に移されており、現在は法然上人の本地身とされる勢至菩薩像(重要文化財)をご本尊としてお祀りしています。



☆御廟



法然上人のご遺骨を奉安する廟堂です。現在の御廟は慶長18年(1613)、常陸国土浦藩主であった松平伊豆守信一の寄進により改築されたものです。


法然上人は建暦2年(1212)、この地にあった大谷の禅房でご入滅され、その後、門弟たちにより廟堂が建てられご遺骨が奉安されました。


写真の拝殿では毎月、法然上人のご命日である25日に別時念仏会が行われます。

 


☆御朱印(納経印)



4/29〜5/12の期間
京都非公開文化財特別公開
「大方丈・小方丈・方丈庭園」
が開催されており、迷わず拝観させていただきました♪向かって左の御朱印は特別公開限定御朱印「阿弥陀如来」です。


☆大方丈
狩野派による彩画で間仕切りされた
鶴の間・上中下段の間(仙人の間)・松の間
梅の間・柳の間・鷺の間・菊の間・竹の間
という襖絵の題材で呼ばれる諸室がありました。

☆小方丈
こちらは仏間を含まない純住宅建築で
上下段の間(雪景の間)・雪中山水の間
蘭亭の間・花鳥の間・羅漢の間
という狩野派の水墨画の間から成ります。

☆方丈庭園
江戸時代初期に小堀遠州と縁のある僧玉淵によって作庭されたと伝えられる池泉式の庭園です。

撮影禁止のため写真はありませんが、素晴らしい襖絵でした。あの有名な「抜け雀」と「三方正面真向の猫」も直に見ることができて感激!

抜け雀は狩野信政が描いた大方丈の菊の間の襖絵で、万寿菊の上に数羽の雀が描かれていましたが、あまりにも上手に描かれたので、雀が生命を受けて飛び去ったといわれる絵です。確かに雀の部分が抜けていて摩訶不思議でした。

三方正面真向の猫は、大方丈の廊下にある杉戸に描かれた狩野信政筆の猫の絵で、どちらから見ても見る人の方を正面からにらんでいるように見えるのでその名がつきました。

「抜け雀」も「三方正面真向の猫」も、知恩院の七不思議の一つに数えられています。

気になる方はググってみてね♡




この後、知恩院でちょっと不思議な体験をしたので明日はそのお話をご紹介しますね☆







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