『丹生川上神社』
ご祭神
本殿
罔象女神(みずはのめのかみ)
相殿 伊邪那岐命 伊邪那美命
東殿
大日孁貴命・八意思兼命・誉田別命
西殿
開化天皇・上筒男神・大国主命・事代主命
綿津見神・菅原道真公
社殿によれば、ご神域は神武天皇が天神の教示で天神地祇を祀り、天香具山の土で作った平瓮と厳瓮を川に沈めさせ、戦勝を占った聖地とされます。この時、椎根津彦に川魚の様子を観察させ、丹(水銀)の鉱脈があることを知り、500の真榊で諸神を祀り国を平定しました。
丹生川上神社は、古くは雨師明神とも称され、祈雨・止雨の神として朝廷より奉幣の祈願がなされ、その際には、祈雨には黒馬・止雨には白馬または赤馬が献ぜられました。
「延喜式臨時祭」の条には、貴布禰社(現在の貴船神社)とともに幣帛のほか、祈雨に黒毛の馬一疋・止雨に祭料のほか白毛の馬を加える、とあります。
また奉幣の際には、宮中で祀られていた大和の国魂神である大和神社の神主が勅使に随うと定められていました。
天平宝字7年(763)から応仁の乱(1467)までに、奉幣祈願が96回に及んでいることが記録に残っています。
丹生川上神社といえば、こちらの中社の他に神社と下社がありますよね。
明治4年、丹生村(現在の下市町)にある神社が丹生川上神社として官幣大社とされました。しかしその社地が「類聚三代格」の太政官符に記載される「四至」に合致しないところから、川上村の神社が有力視されるようになります。それを受けて前者を「口の宮」、後者を「奥の宮」と呼ぶようになりましたが、明治29年に奥の宮が官幣大社丹生川上神社に昇格したところから、それぞれを官幣大社丹生川上神社下社・丹生川上神社上社に改めました。
ところが大正4年に小川村(東吉野村)の蟻通神社が本来の延喜式内社であるという説が世に出され、調査研究や考証を重ねた結果、蟻通神社が丹生川上神社中社と定められ、官幣大社に列格されました。
それにともない三社をあわせ
官幣大社丹生川上神社
とし、社務所は中社に置かれました。
戦後は三社は宗教法人として別々の神社に分かれ、下社・上社はそれぞれ丹生川上神社下社・丹生川上神社上社、中社は「丹生川上神社」と称しています。
☆東照宮・水神社
☆木霊神社
五十猛命をお祀りします。
☆相生の大杉(夫婦杉)
☆叶えの大杉
こちらのフクロウは、いつの頃からか叶え大杉に住みついており、丹生の杜の番人として境内を守っているのだそう。山桜の樹齢200年余の老木に彫刻されたしあわせをもたらす霊鳥です🦉
☆丹生龍王大神社
タカオ神(山の上の竜神)
クラオ神(谷の竜神)
この二神を合祀せて丹生龍王大明神としてお祀りされています。
☆大盛丸神社
龍神大明神をお祀りします🐲
☆吉野離宮址
丹生川上神社のご神域は吉野離宮だとする説があるようですね。
こちらの丹生川上神社では皆様方と正式参拝をさせていただきました。宮司様のお話、とても勉強になりました!なぜか笑アリ♪
☆御朱印
参拝の後、龍玉なるものを拝受🥚
そして境外のとあるところへ🐾
こちらの龍玉、鳥山明さんがお亡くなりになってからドラゴンボールとして人気を集めているそうですよ
こちらの朱塗りの「ゆめはし」を渡ります。
川の色がとても美しかったです✨
そして瀧が見えてきました。
☆東の瀧(龍神の瀧)
高見川(丹生川)・日裏川・四郷川の三支合流において、日裏川が高見川に注ぐところにある瀧です。秋津野の瀧ともいうようです。「東の瀧」は吉野離宮の東にあるということから付けられたとのこと。この東の瀧には龍神が棲まうといわれています。
ここで皆さんと、先ほど拝受した龍玉を、願いを込めて龍玉の穴に三度息を吹き込み投げ入れました🐉瀧に落ちたので成功かな♡
ハート発見
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