寛永寺〜猫様の道案内〜 | ゆだぽんの♬虹色オーラ♬ブログ

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お寺や神社巡りで感じた事や、不思議な話・オーラについて…などなど書いています。

東博の特別展へ行った際には、いつも上野公園内の寺社を巡っているのですが、寛永寺まではなかなか足を延ばせなかったのですが、今回約9年ぶりにお参りさせていただきました🙏




『東叡山 寛永寺』

東叡山 寛永寺 円頓院
天台宗寺院
ご本尊 薬師如来
創建 寛永2年(1625)
開基 徳川家光
開基 天海大僧正

京都の鬼門(北東)を守る比叡山に対し「東の比叡山」として建立された寛永寺。
天海さんは、天台宗の拠点として江戸に寺院を造営したいと考えており、それを受けて将軍徳川秀忠公が現在の上野公園の地を天海さんに与えました。





寛永寺に到着すると山門前で貫禄のある猫様が待っていました🐾


声をかけるとゴロンゴロンし始め…





「着いてきなよ」

とスタスタ歩き始めました🐈‍⬛





途中、何回か寝転がってゴロンしては起きて歩き。。。





根本中堂へ到着👣

そしてお堂の前で「よくやったでしょ」といわんばかりにゴロンゴロンネコ





達成感を感じているのかしら⁇





案内を終えた後はお昼寝タイム💤

賢い猫様ですね💖





了翁禅師塔碑



了翁禅師は江戸時代前期の黄檗宗の僧で、出羽国雄勝郡に生まれ、幼い頃から仏門に入り後に隠元大師に師事します。諸国を巡るうち霊薬の処方を夢に見て「錦袋円(きんたいえん)」と命名し、不忍池付近に薬屋を俗甥の大助に営ませます。その利益で難民救済や寛永寺に勧学寮(図書館)の設置などを行いました。


こうした功績により、輪王寺宮から勧学院権大僧都法印位を贈られています。宝永4年に78歳で没し万福寺塔頭天真院に葬られました。



☆慈海僧正墓



☆地蔵菩薩像



☆六地蔵



☆鐘楼



☆尾形乾山墓碑・乾山深省蹟



☆虫塚碑



伊勢の長島藩主「増山雪斎」が、写生図譜である「虫豸帖(ちゅうちじょう)」の作画に使った虫類の霊を慰めるため、雪斎の遺志によって文政4年に建てられました。



☆旧本堂表門・根本中堂鬼瓦



徳川家の菩提寺といえば
「増上寺」と「寛永寺」

増上寺は中世から存在していた寺院で、寛永寺は天海さんを開山として徳川家により新しく建立された寺院です。

なぜ徳川家の菩提寺が二つあるのでしょうか⁇

そもそも徳川家の菩提寺は、徳川家2代将軍秀忠公の眠る「増上寺」で、寛永寺は菩提寺という位置づけではなかったのです。ですが3代将軍の天海大好き家光公が、自分の葬儀は寛永寺でとり行い、遺骸は日光に…と遺言しました。

その後、4代家綱公・5代綱吉の御廟は上野に。。。増上寺から反発はあったものの、寛永寺は増上寺と共に徳川家の菩提寺となりました。

6代将軍家宣公の御廟が増上寺に造営されて以降は、徳川家歴代将軍の墓所は寛永寺と増上寺と交替で造営することが慣例となり、幕末まで続くことになるのです。





9年前、寛永寺に向かう道のりで雨が降り出し、激しく降ってきましたので、寛永寺の堂内で雨宿りをさせていただきました。

雨で薄暗かったためかライトアップされていて、ご本尊の薬師如来様をお守りする十二神将がそれは見事で、ず~っとここにいて眺めていたい‼︎と感動した思い出がございます♡





時の流れは早いものですね桜





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