〜神功皇后と広開土王の激闘〜邪馬台国の会講演会のご案内 | ゆだぽんの♬虹色オーラ♬ブログ

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お寺や神社巡りで感じた事や、不思議な話・オーラについて…などなど書いています。

今月の7月16日(日)に、私の所属する邪馬台国の会の講演会が開催されます!

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第412回 邪馬台国の会講演会

対面とzoom両方で行われております。会員以外の方でも、どなたでもご参加いただけます。

🍀第412回 邪馬台国の会講演会
♦︎講師 元産能大教授 安本美典
7月16日(日)13:30〜16:20
ZOOM講演会 参加費1200円
対面講演会 参加費1500円

会場:JR大井町駅前 きゅりあん5F講習室

(東口駅前家電量販店LABIと同じ建物)


※zoom講演会参加の方のみチケットをご購入ください。対面講演会にご参加の方はチケットを購入せずに直接会場にお越しください。

♦︎講演テーマ
「西晋鏡」は福岡県を中心に分布する
「邪馬台国北部九州説」六つの証明、その3

皆様ぜひぜひ♬
講座の参加お申し込みはこちら👇


🍀邪馬台国の会ホームページ
(過去の講演資料が豊富に掲載されています)


詳細・お問い合わせは、上記ホームページよりお願いいたします。
【お問い合わせ先】yamataikokunokai@gmail.com 

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古代史好きの方・ご興味がおありの方
この機会にぜひご参加くださいませ〜♬

そんなわけで今日は、邪馬台国の会の定期講演会をまとめたわたくしの過去記事から、一部を抜粋して安本美典先生の講座を、PRを兼ねてご紹介させていただきますね!


「神功皇后と広開土王の激闘」


皆さんお馴染みの「神功皇后」ですが、その活躍年代はいまだ確定しておりません。

日本書紀は神功皇后を卑弥呼にあてはめて、その年代を合わせるために、朝鮮の史書「三国史記」の年代を干支2めぐり(120年)繰り上げています。

しかし「宋書」など別の史料から、安本先生が検証された結果、神功皇后の活躍年代は402年を中心とする前後となり、これは高句麗の広開土王の活躍年代(在位391〜412)とほぼ正確に重なります。このことから日本書紀の年代は信用できないことが分かります。

広開土王は、古代の朝鮮半島から中国東北地方にかけて栄えた高句麗の第19代の王で、好太王(こうたいおう)ともいい、一代の英傑です。
広開土王は407年に倭(日本)と合戦しています。




神功皇后といえば『三韓征伐』がよく知られていますよね。


1880年に、広開土王の事績が記された石碑が、中国東北部の吉林省集安市で発見されました。王の息子の長寿王が父の功績を讃えて建立したもので、4〜5世紀の朝鮮半島の歴史、倭(日本)との関係性、そして神功皇后の三韓征伐の事実を示す貴重な史料となっています。


神功皇后の活躍年代の記録としては

399年、百済は先年の違いを破って倭と和通したため、王は百済を討つべく平壌に出向いた。すると新羅からの使いがやってきて「多くの倭人が新羅に侵入し、王を倭の臣下とした。高句麗王の救援をお願いしたい」と願い出たため、大王は救援することにした。


400年、5万の援軍を新羅に派遣した。新羅にいた倭軍が退却したので、これを追討するため任那・加羅へ迫ったところ、逆をつかれて安羅軍に新羅の王都を占領されてしまった。


404年、帯方地方(現在の黄海道地方)に倭が侵入してきたため、これを討ってた大敗させた。



☆広開土王碑文拓本(原寸大の複製)



写真は「東洋文庫ミュージアム」に展示されている、原寸大の広開土王碑文拓本(複製)です。



神功皇后は謎が多いですが、そこがまた魅力的で、もっと知りたいと思う歴史的人物の1人です♡






☆占いサロン「青琴会」 

和楽の7月の予定

第3〜4火曜日・毎週木曜日

青琴会HP

※7月25日(火)はお休みをいただいております



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