ヤマトタケルツアー☆猿橋を渡る旅人たち | ゆだぽんの♬虹色オーラ♬ブログ

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お寺や神社巡りで感じた事や、不思議な話・オーラについて…などなど書いています。

6月17日(土)
関裕二先生の『ヤマトタケルツアー』

ツアーの最後に訪れたのは
「日本三奇橋」の一つとして知られる国の名勝です✨




『猿橋』


猿橋は山梨県大月市猿橋町猿橋にある河川「桂川」に架かる橋で、国の名勝に指定されています。


山口県岩国市の「錦帯橋」

富山県黒部市の「愛本橋」

と並び「日本三奇橋」の一つとして知られています。


奇橋とは、江戸時代頃に建造された古い橋で、構造が珍しく造形的にも美しいとされる橋のことなのだそう。


☆名勝猿橋架替記念碑



猿橋は何度か架け替え等の工事が行われていますが、写真の石碑は昭和27年に竣工した際に立てられたもののようです。


向かって左は明治天皇大橋御召換所趾。

明治13年に明治天皇が山梨県巡幸を行い、6月18日に猿橋を渡っています。


ヤマトタケルツアーが6月17日。

一日違いでしたね。



☆山王社



猿王を祀る山王社。

橋のすぐ側に鎮座しています。





猿橋を渡ってみます👣





下を見下ろすとこんな景観🍀





まわりを見渡すとこんな景観👀

赤い橋は「新猿橋」

その下のシマシマの橋は「猿橋水路橋」(八ツ沢発電所一号水路橋)で、八ツ沢水力発電所に送水するために作られた現役の橋で、今でも大量の水が送水されているのだそう。





関先生が「猿橋は下から見上げるのが最高」

とおっしゃってたので下に降りてみました。





下から見上げた猿橋🐒

先生のおっしゃる通り、本当に素晴らしい眺めでございます‼️





周囲の景色の美しさと、橋の特殊な構造美から、江戸時代には歌川広重の「甲陽猿橋之図」や「六十余州名所図会」にも描かれています。


新緑も素晴らしいですが紅葉の季節も最高でしょうね🍁





猿橋の起源は西暦600年頃といい、百済の造園博士の志羅呼(しらこ)が、たくさんの猿がつながりあって対岸へと渡っていく姿からヒントを得て作られたという逸話があります。


時代は下って戦国時代には

武田信長vs足利持氏

武田信虎vs上杉憲房

の合戦の場となるなど戦略上の要地でもありました。


幕末の甲府の戦いでは、甲陽鎮撫隊・春日隊退却時に、敵軍の進路を断とうと猿橋に薪を積み油をかけて焼き落とそうとしたといいます。しかし春日盛の佐藤彦五郎さんという人が、この橋を焼却してしまったら土地の人がどんなに困るだろう、と体を張って大反対し中止させたそうです。そのおかげで奇橋は生き残り現在も活躍しています。





猿橋は高さ31mの位置に架かる

長さ約30m・幅3.3mの橋で

橋脚が一本もない特殊な構造の刎橋(はねばし)です。刎橋とは、深い谷や流れが急な川など橋脚が立てられない河川において、橋脚を使わずに両岸から張り出した四層のはね木によって橋を支える構造の橋のことで、橋の重さがあるほど両岸のはね木に力が伝わり、より強固に橋全体を支える仕組みになっているとのこと。






五街道の一つ「甲州街道」が通る地にあった猿橋。

たくさんの旅人が行き交い、賑やかに交流していたのでしょうね(^^)


そして私たちも同じ旅人です☆






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