大圓寺〜八百屋お七ゆかりの寺院〜 | ゆだぽんの♬虹色オーラ♬ブログ

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お寺や神社巡りで感じた事や、不思議な話・オーラについて…などなど書いています。

先週水曜日の目黒の講座の後、数年ぶりにこちらの八百屋お七ゆかりの寺院へお詣りいたしました✨




『松林山 大圓寺』
天台宗 延暦寺派寺院
ご本尊  釈迦如来像
創建  寛永元年(1624
開山  大海上人

山手七福神 大黒天
 
出羽三山の一つ、湯殿山の修験僧大海法印が元和年間(1615~1623)に祈願道場を開いたのが始まりとされ、修験道行人派の本山となりました。

江戸時代に徳川家を守護した天海大僧正は、目黒の地を江戸城裏鬼門(西南の方角)に当たるため、この大円寺に守護神として護国豊穣の神仏の大黒天を納め江戸の安泰を祈願されました。



☆本堂



本堂は再建当時のもので、開運招福大黒天と十一面観自在菩薩が安置されています。江戸の裏鬼門を守護する大黒天は、かつては“江戸の三大黒天”の一つとして崇拝されました。薩摩藩主の島津侯より寄進され、家康公のお顔をモデルに天海上人が彫ったという伝承があります。



☆薬師如来像



体の悪いところに金箔を貼り付けて病気平癒を祈願します。



☆釈迦堂



こちらの中にいらっしゃる木造釈迦如来立像は、京都嵯峨の清涼寺に伝わる釈迦如来立像を模して作られました。胎内には人間と同じように五臓六腑が納められているそうです。

昭和32年に行われた解体修理の際に胎内から白銅製の菊花双雀鏡・女性の髪・紙片・木札などが発見され、これらを調査してみたところ建久4年(1193)に制作され、宝永4年(1707)当時は鎌倉の杉本寺に安置されていたことが分かったそうで、制作年代がはっきりした貴重な重要文化財です。



☆阿弥陀堂



この阿弥陀堂の中には、お七と西運上人の像が祀られています。



☆西運の石碑



お七と恋仲になった寺小姓吉三は、お七の処刑後に出家して「西運」と名を改めて諸国を行脚します。

その後、現雅叙園にあった明王院に入ってお七の菩提を弔いました。


西運は往復十里(40)の道のりを、浅草観音(浅草寺)まで27年5ヶ月かけて隔夜日参りし、お七が夢枕に立って成仏したことを告げられると「お七地蔵尊」を造り祀ったということです。



☆お七地蔵尊



西運は多くの江戸市民から寄進された浄財を基金にして、行人坂の石畳・目黒川の石の太鼓橋を架け多くの社会事業を行いました。



☆大圓寺道祖神



行人坂火事と八百屋お七についてはいくつか説がありますが、基本のお話をご紹介します。


八百屋の娘お七は、1682年12月に発生した天和の大火により家を焼け出され、一家で円林寺に避難し生活をしていました。そこで吉三という寺小姓と恋仲になります。やがて焼けた家が再建され、お七一家はお寺を出て家に戻り、2人は離れ離れとなってしまいました。お七は吉三が恋しくて思いは募っていきます。そしてまた自宅が燃えれば吉三に会えると、自宅に放火をしてしまいました。火はボヤで済みましたが、江戸時代の放火は大罪。お七は江戸引き回しの上、鈴ヶ森で火炙りの刑に処されました。


お七が放火をして天和の大火となった、と誤解されやすいのですが、天和の大火はお七が放火をした火事ではなく、お七が放火をする原因となった火事です。



☆大圓寺石仏群



大圓寺といえば520躯の圧巻の石仏群ですよね。

釈迦三尊像3躯

十大弟子像10躯

十六羅漢像16躯

五百羅漢像491躯


目黒行人坂火事の犠牲者追悼のために作られました。





3枚あるうちの上の写真は「とろけ地蔵尊」といい、お顔が溶けたようなお姿をされています。

江戸時代に漁師が海から引き上げたもので

悩みをとろけされて解消してくださる

ありがたいお地蔵様です。



☆大圓寺七福神



☆六地蔵



☆みがわり地蔵尊・観世音菩薩・庚申塔・池の龍



お参りしていたらアオサギがシュッと飛んで来て本堂の屋根に降り立ちました🕊





そのカッコよさに見惚れてしまいました❤️





これからは月一回目黒に通うことになるので、目黒の寺社へもまたお参りしたいと思っています☆


次回はどこにしようかな♪




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