☆本堂
本堂は再建当時のもので、開運招福大黒天と十一面観自在菩薩が安置されています。江戸の裏鬼門を守護する大黒天は、かつては“江戸の三大黒天”の一つとして崇拝されました。薩摩藩主の島津侯より寄進され、家康公のお顔をモデルに天海上人が彫ったという伝承があります。
☆薬師如来像
体の悪いところに金箔を貼り付けて病気平癒を祈願します。
☆釈迦堂
☆阿弥陀堂
この阿弥陀堂の中には、お七と西運上人の像が祀られています。
☆西運の石碑
お七と恋仲になった寺小姓吉三は、お七の処刑後に出家して「西運」と名を改めて諸国を行脚します。
その後、現雅叙園にあった明王院に入ってお七の菩提を弔いました。
西運は往復十里(約40㎞)の道のりを、浅草観音(浅草寺)まで27年5ヶ月かけて隔夜日参りし、お七が夢枕に立って成仏したことを告げられると「お七地蔵尊」を造り祀ったということです。
☆お七地蔵尊
西運は多くの江戸市民から寄進された浄財を基金にして、行人坂の石畳・目黒川の石の太鼓橋を架け多くの社会事業を行いました。
☆大圓寺道祖神
行人坂火事と八百屋お七についてはいくつか説がありますが、基本のお話をご紹介します。
八百屋の娘お七は、1682年12月に発生した天和の大火により家を焼け出され、一家で円林寺に避難し生活をしていました。そこで吉三という寺小姓と恋仲になります。やがて焼けた家が再建され、お七一家はお寺を出て家に戻り、2人は離れ離れとなってしまいました。お七は吉三が恋しくて思いは募っていきます。そしてまた自宅が燃えれば吉三に会えると、自宅に放火をしてしまいました。火はボヤで済みましたが、江戸時代の放火は大罪。お七は江戸引き回しの上、鈴ヶ森で火炙りの刑に処されました。
お七が放火をして天和の大火となった、と誤解されやすいのですが、天和の大火はお七が放火をした火事ではなく、お七が放火をする原因となった火事です。
☆大圓寺石仏群
大圓寺といえば520躯の圧巻の石仏群ですよね。
釈迦三尊像3躯
十大弟子像10躯
十六羅漢像16躯
五百羅漢像491躯
目黒行人坂火事の犠牲者追悼のために作られました。
☆大圓寺七福神
☆六地蔵
☆みがわり地蔵尊・観世音菩薩・庚申塔・池の龍
そのカッコよさに見惚れてしまいました❤️
これからは月一回目黒に通うことになるので、目黒の寺社へもまたお参りしたいと思っています☆
次回はどこにしようかな♪
🍀ゆだぽん公式LINE 電話鑑定はこちらから
🌸イベント 第5回『神人和楽』開催
⛩出羽三山勉強会開催します
人気ブログランキング