悲劇の都 飛鳥〜遣唐使船と高向玄理〜 | ゆだぽんの♬虹色オーラ♬ブログ

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お寺や神社巡りで感じた事や、不思議な話・オーラについて…などなど書いています。

昨日は今年初の新潮講座

クローバー歴史作家『関裕二』先生クローバー
〜第一回 悲劇の都 飛鳥〜

を受講してまいりました♬




今回のご講義は「遣唐使船」と「高向史玄理」が中心でしたキラキラ

お話を聴いてあらためて認識したのですが
遣隋使船は沈んでいないのに遣唐使船は沈んでいる
のだそうですね。

遣唐使船が沈んでしまった、その理由とは⁇

孝徳天皇の最後の政治となった2度の遣唐使派遣。
第一船・第二船と、それぞれ違う派閥・違うルートを通って唐に入っていることに秘密が隠されていました!

そのことから高向史玄理と同乗していた学問僧たちが唐で亡くなったというお話も、色々と想像がつくなぁと感じます。




ところで「高向史玄理(たかむこのふひとくろまろ)
とはどのような人物だったのでしょうか。

一言でいうなら
飛鳥時代の学者で孝徳天皇の外交の中心人物

高向氏は渡来系氏族の東漢氏の一族とされ、“高向”の名称は河内国錦部郡高向村(現在の河内長野市高向)の地名に由来するそうです。

遣隋使の小野妹子に随行し、帰国後は僧旻(そうみん)とともに国博士に任ぜられ、大化の改新後の新政権の重臣となりました。
654年に遣唐使として長安に行き、3代目皇帝の高宗に謁見しますが、その地で亡くなりました。



高向玄理と船の沈没に心を奪われた1日乙女のトキメキ


また先月の関先生ご出演のテレビ放送で、残念ながらカットされてしまったお話も聴くことが出来ました!





次回もかなり楽しみです♪






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