比較的大きな神社へ行くとまず最初に
鳥居は神の世界とこちらの世界の境界に立てられ、鳥居の先は神の領域になることを示しています。
さらに進むと
二階造りの隋神門を楼門といいます。
ちなみに一階にも二階にも屋根があるものは二重門と呼ばれます。
ご質問が多いのは、楼門(隋神門)の左右に安置されているこちら↓
とよく聞かれます(^^)
これは「随身(ずいしん・ずいじん)」
といい、別名を
矢大臣・看督長(かどおさ)
閽神(かどもりのかみ)
俗に左大臣・右大臣
ともいいます。
随身とは平安時代以降、貴族が外出する際に警護のために随従した近衛府の武人で、悪神や鬼の侵入を防ぎ神を守る門番として安置されています。
冠をかぶり弓矢を持っていることから矢大臣とも呼ばれます。
向かって右の若人が左大臣(写真上)
向かって左の老人が右大臣(写真下)
一般的には
兵杖を帯した若人の衛士
剣を帯び矢を負った老人の衛士
を飾る習わしがあるそうです。
さて、昨日ご紹介した馬橋稲荷神社の隋神門。
左に“奇磐間戸命”
の神像が祀られています。
この「豊磐間戸命・奇磐間戸命」も、随身と同じく門番なのですが、少し出自(身分)が違うんですね。
この二神は「櫛石窓神・豊石窓神」とも書きます。
くしいわまどのかみ・とよいわまどのかみ
という御門の神、御殿の窓の神。
そう、こちらは門神…神様なのです。
このニ神の名は古事記に登場します。
神社本庁よりお借りしました
天孫降臨神話の段で、邇邇芸命に随伴した神々の中に
『天石戸別神』あめのいわとわけのかみ
という神がいます。
この天石戸別神のまたの名を
櫛石窓神くしいわまどのかみ
豊石窓神とよいわまどのかみ
といい、“宮廷の御門を守る神”とされています。
また忌部氏の伝承「古語拾遺」によれば
天石窟にお隠れになった天照大神が、思兼神の策によりお出ましになられたので、新しい御殿へとお移し申し上げ、太玉命の子である豊磐間戸命と櫛磐間戸命の二神に御門を守護させた、とあります。
太玉命の子ということは、神祇氏族であった忌部氏の祖ということになりますね。
この二神の名は忌部氏伝来の御門祭の祝詞の中にも記されています。
ということで、神門の左右でひっそりと神様を護衛している随身のルーツはかなり古かった!
というお話でした☆
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