歴史作家『関裕二』先生の仏像講座
〜仏像が語りかける古代史の悲劇〜
を開催いたします
仏像講座とここ最近の状況にちなんで、今日は仏像の記事にしようと思います(^^)
病悩は私たち人間が存在する限り
いつでもどこでもつきまとう根源的な不安です。
古からその不安は無くなることがなく
人々は病気平癒を『薬師像』に求めました。
人生最大の危難、あるいは国難である疾病の克服に力のある「薬師如来」
日本での薬師仏造立の確実な記載は
用明天皇の御不予(病気)による、南淵の坂田寺のご本尊の薬師像と推測されています。
また法隆寺の金泥銅薬師像の光背銘には
用明天皇が自らの病気平癒と祈請のために、伽藍建立を発願した旨が記されています。
☆法隆寺 金泥銅薬師像
さらに天武天皇も、皇后(後の持統天皇)の病気平癒のため『薬師寺』を建てた、というのは有名なお話ですよね。
他にも飛鳥の山田寺講堂の薬師三尊などがあり、当時の朝廷人の拠り所となっていたことがうかがえます。
ところで薬師の訓は「くすし」ですよね。
日本では医療の神を「くすしの神」と呼んでいました。
最近も記事に書きましたが
医師の神である大己貴命と少彦名命は、人間と家畜のために病気を治す方法や、鳥獣・昆虫の災害を防ぐ方法を定め、このことにより現在に至るまで全ての人民がその恩恵を蒙っているといわれます。
疾疫(えやみ)の訓を「ときのけ」というそうです。
「け」は“もののけ”の“け”のことで、人が的確に知ることのできない“けはい”のこと。
これを鎮める神が大己貴命と少彦名命で、それが仏教においては「薬師如来」でした。
薬師は常のものあれど 客人の 今の薬師
尊かりけり 愛しかりけり
薬師寺 仏足石歌
※常のものの薬師→大己貴命・少彦名命
※今の薬師→薬師如来
薬師如来が説かれている経典では
薬師は人の過罪を抜除し、生死の得説をはかる如来
とされていますが、その内容は大祓詞や祈年祭祝詞に通じるものを持っているとされ、同じ霊威がそこに期待されています。
この内容は神社本庁の資料を参考に書かせていただいておりますが、古代史を勉強している立場として矛盾点に触れておかなければ、と思います。
最初の方に書いた法隆寺の金泥銅薬師像の銘文ですが、用明天皇の病気平癒のために発願したとありますね。
効験あらたかでなければならないはずの薬師像に祈願したのに全く効果がなく、用明天皇が崩御された話を出しているのはちょっとおかしいですよね。
この頃はまだ薬師崇拝はまだ日本には入って来ておらず、後の時代に薬師寺の縁起に合わせ追記された可能性が高いんです。
日本書紀に記載の
天武帝・持統帝が薬師寺に祈願し、持統帝は病が治り天武帝は延命できた
こちらですと薬師如来がいかに効験あらたかな仏なのかが伝わってきます。
ですがこれも天武・持統帝の愛の絆を強調して、その2人の血を引く子孫に政権を独占させようという政治的ねらいだとされています。
こういう矛盾って書物もそうですが、寺社や仏像にも多く見られるようですね。
古来より神道や仏教がいかに政治と密に結びついていたかがうかがえます。
なんにせよ、私たちは一般民。
年代が少し違ったとしても仏像はありがたく手を合わせる存在であり、仏教美術的な視点で眺めたり。。。
関裕二先生の仏像講座は、その仏像の背景にある物語に想いを馳せ、歴史の真実に近づくことの出来る幸せな時間なのだなと思います。
昨日の記事『月讀神社と月読尊の謎』が
神社仏閣ジャンルの人気ランキングで1位
となりました
皆様、お読みいただき感謝申し上げます
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