今年の6月に日本仏教の聖地である高野山へお詣りしました
空海さんは高野山を自らの修禅の場として開かれ、そこで得た智慧を利他行として東寺で実践されたのだとか。
なのでそれ以来、同じ真言宗の根本道場である東寺へも、絶対にお詣りしたいと願っていましたが、とうとうその機会が訪れました!
東門(慶賀門)をくぐり少し歩くと素晴らしい光景が
私は東門から入りましたが、東寺の伽藍は南大門を入って金堂・講堂、少し隔てて食堂が一直線に置かれていて、左右には五重塔と灌頂院が配置されています。
塀で区別された境内はそのまま曼荼羅であり、密厳浄土を表しているのだそうです。
そして唯一残る平安京の遺構。
『八幡山 東寺(教王護国寺)』
東寺真言宗 総本山
ご本尊 薬師如来
創建 延暦15年(796)
開基 桓武天皇
8世紀末に平安京の正門(羅城門)の東西に、東寺と西寺という2つの寺院の建立が計画されました。それぞれ平安京の左京と右京を守る王城鎮護の寺、そして東国と西国を守る国家鎮護の寺という意味を持つ官立寺院でした。
真言宗の宗祖である空海(弘法大師)は、嵯峨天皇から当時を給預され、真言密教の根本道場としました。
空海に深く帰依した後白河法皇の皇女である宣陽門院は、霊夢のお告げに従い同時に莫大な荘園を寄進しました。空海が今も生きているとして毎朝食事を捧げる「生身供(しょうじんく)」や、毎月21日の空海の命日に供養を行う「御影供(みえく)」などの儀式を創始したのも宣陽門院なのだそうです。
1994年には「古都京都の文化財」として世界遺産に登録されています。
タイムリーなことに
金堂・講堂・五重塔・宝物館・観智院が特別公開中でしたので全て拝観いたしました!まずは講堂の立体曼荼羅を拝観♪
堂内には弘法大師の密教の教えを表現する立体曼荼羅が
大日如来を中心とした五智如来
五菩薩・五大明王・四天王・梵天・帝釈天
の二十一の仏像が安置されています。
イケメン帝釈天をはじめ、東京国立博物館で開催された東寺展でお会いした仏像たちと再会をいたしました!東寺展では撮影OKで大人気だった帝釈天さん、講堂ではとても控えめでいらっしゃいました。
お次は東寺一山の本堂である金堂♪
台座の周囲に十二神将
日光・月光の両脇侍菩薩像
がいらっしゃいました。
この三尊像は桃山時代の大仏師康正の作で、薬師信仰の形をとどめています。
こちらは迫力と同時に優しさを感じました♡
そして五重塔へ
空海さんが嵯峨天皇から東寺を勅賜されたときは、まだ塔は建っていませんでした。
東寺の象徴といえる五重塔は焼失すること4回におよび、現在は徳川家光が寄進した
総高55mの、現存する日本の古塔中最高の塔です。内部は心柱を大日如来に見立て、その周囲の須弥檀上に阿閦如来・宝生如来・阿弥陀如来・不空成就如来の金剛界四仏と八大菩薩が安置されていました。
四天柱には金剛界曼荼羅諸尊が描かれています。
外陣周りは四方の扉の内面に護法八方天、扉の左右の柱には八大龍王が描かれ、周囲の壁の上段に真言八祖像、下段には蓮池が描かれています。
天井は折上小組格天井とされ、長押等にも全面にわたって極彩色の文様が装飾されています。
五重塔の内部をしかと目に焼き付けました今でもとても素晴らしいですが、建立当初は極彩色の、それは見事なものだっただろうな、と思わせる造りでございました。
☆八幡社殿
平安京と東寺を守護する為に祀られましたが明治元年に焼失。平成3年に再建されました。
ご本尊は檜材の一木造りで、一本の巨木から弘法大師作と考えられています。
僧形八幡神座像と女神座像二躯の三躯が安置されています。
足利尊氏が当時を本陣としていた時、鎮守八幡宮の神殿から流鏑が新田勢に向かって飛び、勝利を
☆八島社殿
ご祭神は東寺の地主神とも、大己貴神ともいわれます。八島社というのはわが国を大八洲瑞穂国というところから起こった社号で、そういうことからこの社は東寺以前より鎮座されていました。
弘法大師は伽藍建立に先立ちこの神へ祈願し、地主神とあがめたとされます。
☆毘沙門堂
平将門の乱の際、都の守護神として羅城門に安置されていた兜跋毘沙門天立像を、大風で羅城門が倒壊後に東寺に移し、お堂を建ててお祀りしました。
☆三面大黒天・不動明王
☆大日堂
☆大師堂(西院御影堂)
東寺の境内の西側に築地塀で囲まれた区画があるのですが、この区画は西院と呼ばれ、中心に建っているのが御影堂です。
元々は弘法大師空海の住房であったと伝えられ、現在は屋根の葺き替え工事が行われています。
弘法大師の念持仏である国宝の不動明王像(秘仏)一軀が安置され不動堂とも呼ばれていたそうです。
弘法大師信仰の中心となっている御堂です。
明日は宝物館と観智院などをご紹介いたします
☆12月7日(土)イベント『第4回神人和楽』
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