古墳いろいろ♪ | ゆだぽんの♬虹色オーラ♬ブログ

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お寺や神社巡りで感じた事や、不思議な話・オーラについて…などなど書いています。

さきたま古墳群を代表する3基の古墳を記事にいたしましたが、今回めぐった古墳は他にもたくさんありますので、簡単ですが一気にご紹介させていただきますねルンルン


☆二子山古墳

二つの山があるように見えることから二子山古墳という名がつきました。
元々は東側裾に観音寺があったことから観音山とも呼ばれます。

埼玉県では最大規模の古墳で、出土した須恵器や埴輪から6世紀前半の築造とされます。

先日ご紹介した稲荷山古墳を1.15倍すると、この二子山古墳に重なるのだそうです。



☆鉄砲山古墳

さきたま古墳群の中では3番目に大きい前方後円墳で、6世紀後半の築造みられ、二子山古墳を80%に縮めた形をしています。

鉄砲山という名前ですが、江戸時代に忍藩の砲術演習所(角場)があったことに由来します。
訓練場があったのは北側くびれ部付近で、訓練場を造るために墳丘が改変されていたとか(これもあり得ない…)、銃砲弾が通る矢道・的を立てた柱穴・命中状況を見る者が隠れた矢見塚などが確認され、付近からは1~200匁の18種類・154点の銃砲弾が掘り出されています。

鉄砲山古墳の特徴としては、全国的にとても珍しい三重堀を有する古墳であるということ。

また発掘調査はされていませんが、後円部で行われたレーダー調査と発掘調査の結果から、南に開口する横穴式石室が存在することが分かっています。

ガイドさんの話によりますと、発掘調査には色々とお偉い様の許可が必要となり、諸事情により実際にはなかなか難しいのだそうです。


☆中の山古墳

6世紀後半〜7世紀前半の築造とされる前方後円墳で、さきたま古墳群の中では最後に築造されたとされます。

渡柳地区にある三基の古墳の中央に位置するのでこの名があり、かつて石棺のようなものが発見されたと伝えられることから別名を唐櫃山(かろうとやま)古墳といいます。

堀跡からは、通常の円筒埴輪ではなく須恵器の窯で焼かれた灰色の壷(須恵室埴輪壷)が出土しています。これと似たような土器は韓国と北九州のいくつかの古墳で確認されていますが、関東地方では他に例が無いそうです。


☆奥の山古墳

さきたま古墳群の中では2番目に小さい前方後円墳で、6世紀中頃この築造とされています。

大正年間まで戸場口山古墳が残っており、中の山古墳とこの奥の山古墳と共に渡柳三大墳と呼ばれていて、奥の山古墳は最も北側(奥)にあるのでこの名があるそうです。

ちなみに戸場口山古墳はさきたま古墳群に属する古墳の一つでしたが、1918年頃に消滅しています。

奥の山古墳からは珍しい副葬品が出土しています。
造出しから装飾付須恵器(子持壺)という、丸底で頸部の長い壷に同じ形の小さな小壷が3個ついたもので、同じく造出しから出土した高杯形器台に載せて供えられたと考えられています。

このような須恵器が出土した例は、関東ではきわめて少ないそうで、古墳は小さめなものの規模に関わらず、被葬者が関東地方において別格の地位にあった証拠とされています。


☆瓦塚古墳

さきたま古墳群の中では6番目の大きさの、中型前方後円墳。明治時代初期、近くに瓦工が住んでいたことから瓦塚古墳という名が付きました。

築造は二子山古墳と同じ6世紀前半と考えられています。二重の周濠が台形にめぐっており、西側くびれ部分の造出しから多くの須恵器が出土しています。


☆愛宕山古墳

さきたま古墳群の中で最も小さい前方後円墳。
6世紀中頃の築造と見られ、埋葬施設は未調査。
墳頂に愛宕社が祀られていたことから愛宕山古墳という名が付きました。


墳頂には仏様キラキラ

さてさて♪
これでめぐった古墳は全てご紹介できました!

今回は古墳に集中してのウォーキングでしたが「八幡山古墳」に「前玉神社(浅間塚古墳)」、「忍城」や「古代蓮の里」などまだまだ見どころがたくさんございますラブラブ

そして想像以上に素晴らしいところでしたクローバー

今度は個人でコースを立てて訪れてみようと思っています(^^)



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